12
氷嚢に氷を詰めると、濡らしたタオルと変えた。冷たさで頭が痛かったが、逆に体の熱を外に出してくれた。俺が咳き込むと口元に水を注がれ、薬も飲まされた。俺は一瞬目を開けたが、襲う眠気に勝てなかった。疲労感が一気に押し寄せ、俺は抗うことが出来なかった。視界の先でギールがいた気がしたが、よく見えなかった。苦しんでいるような顔だったが、俺にはよく分からなかった。誰かの手の温もりを感じながら、俺は体から力を抜いた。背後で誰かが誰かと会話しているように思えた。
俺は目を開けた。そこには誰もいなかった。見慣れたいつもの天井だった。少しだけだるさが残っているとしても、注視しなければ気付かないほどだった。服を見ればパジャマに変わっていた。誰かに着替えをされたようだ。俺は布団を退けると、ベッドサイドテーブルを見た。黒革のファイルが置かれていた。灰狼が俺に持ってきた物と思われた。俺は見る前にシャワーに入ることにした。床に足を付けると俺はゆっくりと一歩歩いた。ちゃんとバランスを崩さずに歩けるようだった。俺はそのままクローゼットから着替えを取ってから、洗面所で服を脱いだ。シャワーがお湯になってから、俺は頭から浴びた。寝起きのシャワーは気持ち良かった。目も覚めるようになり、俺は首を鳴らした。頭にシャンプーを付けてから、顔と体も洗った。最後に全身を流すと、俺は湯を止めてから少し飛び跳ねて水を払った。かけていたバスタオルに手を伸ばすと体を拭き、化粧水を付けた。これはセインが俺に教えてくれた物だった。冷える前に服を着た。ドライヤーを素早く済ませてから、木の櫛で髪を少し整えた。寝癖は特になかったが、乾いてすぐだったので髪が少しふんわりしていた。
「少し良いか」
そう俺は呟きながら、鏡の中の俺を見た。普段ほどではないが、昨日よりも血色が良くなっていた。俺は自分の顔をまじまじと見るナルシストの趣味はなかったので、すぐに洗面所から出た。シャワーが終わってから少しして体も冷え始めていた。俺はベッド横の椅子にかけられていた上着を羽織ると、クローゼットの金庫を開けた。そこに銃器や武器が厳重に仕舞われていた。中に俺が昨日床に放っていた懐中時計も置かれていた。俺は元の場所に一つずつ直すと、使い慣れた愛銃も身に着けた。腰にいつもの重さが戻った。銀狼隊は良くも悪くも人気を集めていたので、テロ対策にも室内での武装が許可されていた。特に侵入者がいたことで更に警戒が強まりそうだった。俺はベッドの反対側の壁にある、テーブルを見た。トレイの上に白い粥鍋が置かれていた。蓋を触ればまだ温かく、俺は椅子に座ると開けた。白い湯気が上がり、俺には食欲を唆らせた。
「いただきます」
俺はスプーンを手に取ると、ゆっくりと胃に流した。固形物と比べ、熱が下がった俺の胃にも優しかった。ほんのり好きな梅の香りがした。俺は何も考えずに食べる手を進め、気付けば空になっていた。俺はお腹を押さえ、食後の一時を楽しんだ。トレイに一緒に置かれていた麦茶を飲むと、俺は歯を磨くために立ち上がった。ふと扉に張り紙があることに気付いた。
本日は病み上がりのため、自室でお休み下さい。これは銀狼隊の総意であります。仕事は本日既に引き継がれているため、出勤しても何もありません。また無理矢理出勤した場合、強制的に連れ戻されます。食器は食べた後に扉の近くに置いて下さい。ご協力のほど、よろしくお願いします。
灰狼
「灰狼……」
強制的に連れ戻される、の所を読み俺は苦笑いをした。これは始めから勝負が付いているのだった。たった一人で大人数と拳で戦うのは何とも不利だった。これは俺の負けであり、俺が大人しくするしかなかった。風邪を拗らせた俺への罰として、今日一日は部屋でじっとする必要があった。缶詰状態でも言えたが。最悪ベッドに括り付けられでもすれば、嫌なことを思い出しそうになった。俺は来た道を戻り、トレイを扉の前に置いた。歯磨きを唯一使えるミントの歯磨き粉で済ませると、俺は黒革のファイルを手に取った。出勤しなくて良いとしても、銃が腰にないと俺は落ち着かなかった。執務室とは違い、隊員から貰った使い慣れていない椅子に座った。使い古した椅子よりも柔らかいが、人が余り座っていなかったので冷たさがあった。俺は座り直すと、黒革のファイルを開いた。
重要極秘から解除された印があった。俺が入隊した当時に調査され、紙は端が色褪せていた。タイプライターで書かれたようで、少し読みにくい字だった。だが、俺は情報を漏らさずに全て読むために、一字一字しっかりと追った。俺が一歳を迎える直前に、夜の屋敷に賊が押し入った。働いていた使用人を切ると、俺を攫って逃走したようだ。俺だけが標的だったようで、他の金物は何も盗まれなかった。両親は俺を必死に探したが、軍にいるとは思わずに時間だけが過ぎていった。身代金を請求されることもなく事件は怨恨の線が疑われた。そして、長年の調査でグリエル・ゼヌゲールという男が関わっていることを調査班は突き止めた。ただその男は裕福な家庭を狙った単独犯であり、既に事故死していると記されていた。数枚の報告書を読み終わり、俺は何とも実感がなかった。全く別人の出来事を読んでいるような気がした。
「誰なんだ、グリエル・ゼヌゲールは?」
俺は紙を睨み付けながら、そう呟いた。答えが目前に並べられたと思えば、俺の目前にはまた別の壁が聳え立っていた。俺は頭を捻って唸ると、引き出しから紙とペンを取り出した。そうだ、取り敢えず詳しく当時のことを知っている人に話を聞こう。せめて当時周りに誰が住んでいたか、から始めるしかない。俺はペンを握ると素早く書いた。
老夫婦に会いに行く外出の許可をくれ。
名前は書かなくても分かるのだった。俺は紙を千切ると皿の下に挟んだ。椅子に座ると俺は手を弄り、頭を掻いた。ワーカーホリックではないと思うが、何もないのも暇で仕方がなかった。両手が空いている何もない時間は初めてかもしれなかった。いざ突然休みが来ても、休み方が分からない。俺は娯楽など何も知らなかった。そんな俺の口から紡がれるのはあの童謡だった。昨晩は誰から教えられたか分からなかったが、今は少しだけ予想出来た。もしかしたら老夫婦が赤子の時に、俺に歌っていたのかもしれない。俺の耳元で流れるその歌声を、俺は覚えていたのかもしれない。扉が閉まる音がすると、俺は視線をそちらに向けた。トレイが回収され、床に紙が置かれていた。俺はすぐに灰狼だと知った。扉から入ったのは良かったが、扉を叩いて入るよう教える必要があった。俺は紙を手に取って見た。
特別に譲歩して最大三時間の外出許可が出ました。クロスネフ副隊長が迷子にならないように、先方に使いを出しました。少しすれば到着すると思います。外出の準備をよろしくお願いします。
灰狼
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