6

「お前、行かないのか? パーティー好きだろ?」

 灰狼は声をかけてきた目前の狂狼を見つめた。観察するのを楽しむように口角を上げていた。それは本当に狼の牙が生えている、と錯覚するほどだった。食堂で楽しむ中央の集団から離れるように、灰狼と狂狼はテーブルを囲んでいた。丁度、柱で隠れる場所を陣取っていた。灰狼は未だ騒いでいる中央を横目で見た。数人が既に飲んだくれ、床で倒れていた。後で誰か腕っぷしに自信がある奴が、回収することになっていた。パーティー。灰を被る狼として、灰狼はそのような場所が嫌だった。居心地が悪く、息がしにくい埃で塗れている場所が良かった。ただ『檸檬』の主人公ほどまではいっていなかった。

「最初から好きではない。どうやら、勘違いしているようだな、狂狼。知ったかぶりはダサいだけだぞ。今していることのように」

 肉が山盛り入れられた皿。その前に座る狂狼が、ワイングラスをステムで持ち、円を描くように振り回していた。ただ灰狼はそれがただのぶどうジュースであると知っていた。近くにいるのにアルコール臭はなく、ただ単純な甘い香りがした。狂狼が動きを止めた。その顔の下は見えなくても、真っ赤になっているはずだった。

「酒を飲んで酔っ払う訳にはいかないからな。そんなお前も酒を飲んでいないじゃないか、灰狼?」

 灰狼は静かに狂狼と目を合わせた。自分の手元を見れば、無難な水が入っていた。無駄に格好付けるよりかは、普通に生きる方がましに思えた。

「梅酒の梅は好きだが、ぶどうジュースしか飲めないお子ちゃまには言われたくない。癪だ」

「格好付けてるのかよ」

 と、狂狼はゲラゲラ下品に笑った。

 灰狼は狂狼を見下ろすと、目を細めた。

「同郷だからと言って昔のことを忘れた訳ではないからな。お前の子分か舎弟か奴隷になったとしても。ただのBL好きが。だから飛ばされたんだ。今も隠れて読んでるのだろ?」

 狂狼とは同じ街のガキ大将同士であった。互いに意見が合わず喧嘩が終わっていないのを、灰狼は忘れたことがなかった。わざわざ距離を置いていたのに、運命の悪戯か共に仕事をする仲になっていた。昔のことと片付けることが出来たが、それを灰狼は出来なかった。最後まで追いかけ回さなければ、気が済まなかった。助けられたとも言えたが、今では何故コイツの手を取ったのか分からなかった。心が弱かった時に漬け込まれ、詐欺に遭ったような気分だった。狂狼は焦ったようにテーブルの下に置いていた本を閉じた。見えないように隠れてしていたのに、何故気付かれたのか分からなかった。灰狼の口を押さえようとしたが、テーブルのせいで手が届かなかった。

「そんな大声で言うなよ。外では馬鹿ロットと言え。良いな、馬鹿が多い訳ではない。親愛なるその趣味を持つ俺が、愛情を込めて外でも言えるようにしたんだ。それに今は何をしていても怒られないだろ?」

 灰狼は狂狼に鼻を鳴らした。今更と言えた。堂々とゼドの前でそれを読めた方が、頭が狂っていた。どのような神経をしているのか。そのようなことをすれば、セインの逆鱗に触れるぐらい誰でも理解出来た。自ら致命傷を負いに行く死にたがりなのか。

「あっそ。除隊されずに生きられているだけ良かったじゃないか」

 狂狼は皮肉に気付かないのか、何の反応もせずに口を開いた。

「そうだな。俺らのお上は使える奴には腕を差し伸べてくれるから。俺らをこの場に呼んでくれたのも、唯一ただ一人の上司様だ。プレゼントは手渡せず他と紛らわせることになるが、あのクロスネフ副隊長を見れば寿命が伸びる。やり甲斐と言う奴だな。鬼とは違い、本当に」

 背後から気配を感じ、狂狼は急いで振り向いた。だが、誰もいなかった。目前の灰狼を見れば呆れるような顔をしながら、額に手を置いていた。

「鬼?」

 と、耳元で囁く音が聞こえた。

 狂狼は壊れた機械の首のように、ゆっくりと頭を横に動かした。そこには言葉通り鬼の面相をした、ギールが立っていた。狂狼は枯れた笑みを浮かべた。

「小隊長。ここにいらしたのですね……。何とも奇遇ですね」

「そうだな。私が呼んだのだから、私がここにいなければおかしいではないか。狂狼?」

 表情を動かさないギールがそこにいた。狂狼は必死に表情を隠した。

「そ、そうですね。では、俺達は仕事がありますので」

「おい」

 そう颯爽と狂狼は消えようとしたが、隣からこれまで聞いたことがないような低い声がした。ギールに襟首を掴まれ、狂狼は体を縮めた。セインも怒ったら怖いが、普段はニコニコしているギールの方が悪魔のように恐ろしかった。

「今どこに行こうとしていた?」

 尋問され、狂狼は頭を急いで回転させた。

「……お手洗いに行こうとしただけです」

「誕生日パーティーという祝いの場でトイレを先に行かなかったのか? やはり、私の訓練の仕方が間違っていたか……」

 と、ギールは酷く嘆いた。

 誰もが心を押さえ、涙したくなるほどだった。狂狼はその様子に焦った。ギールを困らせたとイシャルに知られれば、更に状況が悪くなった。

「いえ、違います。私が悪かったのです」

 ギールが先程とは異なり、狂狼を睨んだ。あの悲しみは嘘だったかのように。

「なるほど。……で、私が言っていた報告書はちゃんと用意しているか?」

 狂狼は膝の上に置いていた本を開いた。横のギールの圧が更に強くなった。狂狼は探していたページを開くと、そこに挟んでいた報告書を取り出した。ギールから言われていた人物二人についての調査だった。ギールは気持ち悪い物を、触っているような素振りで手に取った。その本に挟まれた物が湿っていたからだった。

「狂狼、何故報告書が湿っている?」

 ギールから視線で刺された狂狼は、すぐに答えた。

「水です。書いていた時に零しただけです。忘れないためにそこに挟んでいただけです」

 重要な報告書を忘れないために、狂狼は必ず持っているその本に挟んでいた。部隊内では禁書扱いされていたが、小隊では特例で許可されていた。そのため、上司が大変だとしても狂狼は好きだった。だが、オオカミ少年のように、既に前科がある狂狼は信頼を失っていた。ギールは折り畳むとポケットに入れた。

「水だろうな。でないと、お前ごと焼くぞ。後」

「ギール」

 言い続けようとしたギールは、呼ぶゼドの声で中断された。ギールは狂狼を最後に再び睨む付けた。

「副隊長に助けられて良かったな、狂狼。だが、次は誤魔化せないぞ」

 ギールは狂狼の返事を聞かずに、灰狼を見た。少し溜め息を零した。

「後、灰狼もだ。役に立たない狂狼を何とか監視しておけ」

「分かりました」

 と、灰狼は勝手にほっとしていた狂狼の脇腹を抓った。

 狂狼のせいで自分も注意されるのが許せなかった。狂狼が痛みで変な声を上げたが、灰狼もギールも自業自得と無視した。そこで灰狼は初めてギールと気が合うと思った。二人で目を合わせると笑みを浮かべた。

 狂狼の罰ゲームを何にするかのアンケートが小隊長の元で取られ、狂狼は何としてでもそれを撤回しようとしたが叶わなかった。小隊百パーセントの全員参加の結果、狂狼は一週間本を没収された。萎れた植物のように項垂れ、一週間何の役にも立たなかった。常に病人のような顔をしながら、手元にない本を探し求めていた。最後はゾンビのように意味もなく彷徨うようになったため、ギールが小隊長として根性を叩き直していた。妥協策としてギールがイシャルの護衛官に任命し、本ではなく現実世界でより生きられるようにした。因みに狂狼本人は壁と化し、ギールとイシャルの前で鼻血を出さないように耐えた。ただ仕事は本当の騎士のように、不審者を何度も拘束していた。奮闘して無関係の民間人も拘束していたと判明した時は、またギールから叱られていた。

 夜は灰狼にその一日の素晴らしさを布教するように熱く語り、狂狼の顔に真っ赤な紅葉が出来ていた。灰狼は狂狼の話をこれ以上聞くのが嫌になり、部屋から抜け出すようになった。心を踊らせながら扉を押し開けた狂狼は、無人の部屋を見て仕出かしたことに気付いた。灰狼が楽しんでくれていると思っていたが、それはただの独り善がりであった。狂狼は床にへたり込むと、呆然とした。ゆっくりと立ち上がると叫びながら、大好きだった本を手で破った。終わると無様な姿になった本だけが残り、他には何もなかった。カラスが暴れたかのように紙切れが辺りは散っていた。狂狼は赤子のように泣いた。だが、途中から歯軋りし、発狂したように呻き声を上げた。その日、小隊では狂狼が更に狂ったと言われた。だが、基地内では地縛霊の叫びが聞こえたと言われた。

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