19

 一番隠したかった秘密を一番言いたくなかった俺に喋り、酷く体調が悪そうだった。俺も俺で壁にもたれかかり、肩で息をした。知りたくなかったのか知りたかったのか。そう言われれば俺は知りたかっただろう。だが、今はそう素直には言えなかった。セインがそのような親に囲まれながらも、あれほど優しい人になれたのは彼が誰よりも強いからだった。俺はセインが恋しくなり、自分の服を握り締めた。シワが付こうが気にしなかった。服の下の肌も巻き込んでいたが、その痛みは胸の痛みには到底届かなかった。俺は小さく息をしながら、奥歯を噛み締めた。そうすれば、零れそうな水滴を我慢することが出来た。

「クロスネフ副隊長、痣になりますので」

 灰狼は俺の手を取ると、ポケットから取り出した小さい黒狼のぬいぐるみを渡した。何度も灰狼の仕事の相棒であったのか、使い古されていた。俺は何を言わずにそれを触った。灰狼はその間に俺の服のシワを急いで直した。それが終わると灰狼は部屋の端で気配を小さくした。俺は未だ動かないギールを見下ろした。仕方なく代わりに黒狼を渡した。ギールは困惑しながらも受け取っていた。ギールが顔を上げたのを見て、俺はギールの横にしゃがみ込んだ。

「で、その敵については何か分かっているのか?」

 セインの親はすっかり俺の敵判定されていた。ギールのことだから調べていない訳がなかった。ギールは足元を見つけてから口を開いた。ただその様子は一瞬ぬいぐるみを眺める、茶髪赤眼の成人男性だったが。

「……奴らは既に死亡している。運命の悪戯か、セインの葬式の日に何者かに殺害されている」

「犯人は?」

 と、俺は顎を触りながらギールに聞いた。

 立ち上がったギールは平常心を保っていた。

「未だ掴めていない」

「そう。なら、それをこれからは重点的に調べてくれ。後、早く服を着ないと風邪を引くぞ。髪もここで乾かしてしまえ」

 俺がそう指示するとギールは頷いた。

「分かった」

 ギールは黒狼を灰狼に返してから、服を着た。受け取った灰狼は嬉しそうにポケットに入れていた。髪を乾かし終わるとギールは部屋から出て行った。血の付いたナイフを記念にいるかと聞いたが、却下したので俺が持ち続けることにした。しっかり拭いたが。灰狼は誰が何かを言う前に消えていた。俺も汗を掻いたな、とシャワーを入ることにした。ギールはシャワー室をどこも荒らしておらず、丁寧に元の場所に戻していた。あれほどのことが起きたのに、終わってしまえば普通の日々に戻っていた。永遠に続くと思っていた一日が、今は瞬き一瞬に思えた。これでは感覚が麻痺してしまいそうだった。シャワーの後でまだ体が熱かったが、それよりも俺の疲れの方が溜まっていた。俺をベッドで歓迎してくれた、セイン二世を触りながら和んでいると寝ていた。布団に潜る暇もなかったが、朝には布団が被せられていた。

 朝からは何事もなかったかのように普段の業務が行われた。朝の執務室でギールに無難な挨拶をしてから、俺は小隊の労働環境を改善するよう副隊長として指摘した。ついでに自分のポケットマネーからたまには贅沢をしたら良いと言ったが、それは有難いが遠慮すると言われた。ちゃんとケアをしていると言っていたので、ギールならそうだろう。ちょっと頬が赤かったのもイシャルに色々隠していたことを叱られたようだった。早速副官が尻に敷かれているのは面白かった。ギールでも勝てない者がいるようだ。

「イシャルから嫌われた……」

 と、項垂れるギールを無視しながら俺は書類作業を続けた。

 器から落とされた豆腐のようにぺちゃんこになっていた。何とも格好悪くだらしない格好だ。あの毒薔薇に認知されているとは到底思えない。俺は視界に入れないようにしながら、手元を見た。講演依頼が舞い込んでいたが、今は事件の方に集中したいので断っていた。ただ軍のイメージアップに銀狼隊が各地を飛ぶのは仕方がなかった。俺らは人気になったがために、そういう仕事を任される。以前は勝手にくたびれば良いだったのが、ころりと宝石のように大切にされる。本当に鼻で笑いたくなる。

 隊員からの要望書で銀狼像を置きたいとあったが、有難く却下した。それだけに金をかける訳にはいかない。お菓子タイムが欲しいというのには、勝手にしろと書き殴った。だが、本当に勝手に遊び回って菓子パーティーをされるのは困る。少しふざけただけだと信じよう。灰狼からの要望書は、全隊員にチビ黒狼を一匹ずつ渡すだった。俺がチビと言われているようだ。失礼な。それに灰狼が黒狼教首席広報官とは知らなかったが、これは遊んでいるのか。正気なのか。宗教の教ではなく、狂の方だろう絶対。即却下。俺は溜め息を零した。もっと意味あることを書け。俺は次のを取り、微笑んだ。やっとまともなものが来た。イシャルからのはお見合いを隊員のために開催するというものだった。俺に集うことがないのなら、何でも良かった。ぜひとも俺の壁になってくれ。こう思っていることをギールに口が裂けても言えないが。

「イシャル」

 と、俺が言えばギールは背筋を伸ばして、周りを見渡した。

 俺は見なかったことにして、言葉を続けた。

「から要望書が来ていたんだが、中々面白そうだぞ」

 ギールは俺から紙を奪うと、紙に穴を開けるほど一字ずつ読み進めた。そして、涎が垂れそうなほど口元を緩ませた。俺よりもお顔が悪かった。ガハッと音が出そうなほど勢い良く起き上がった。椅子が後ろで音を立てていた。

「百パーセント大賛成だ、イシャル」

 と、拳を大きく振りながら、紙を握り締めた。

 折角イシャルが時間をかけて書いていたのが、クシャクシャになっていた。あれではまた絞られる材料が増えるだけだ。わざとではないだろうが。姫を迎えに行くかのように、ギールは部屋から飛び出した。忙しない奴だ。

「困った奴だな」

 俺はそう言いながら、足元のセイン二世を見つめた。足を揃えて姿勢良く座り、ギールとは比べ物にならなかった。だが、今のギールは俺に小言を言わないのでそれだけ良かった。俺は書類作業が終われば久しぶりに射撃場で楽しもうと思ったが、その前に扉が叩かれた。俺が答えると扉が音を立てて開けられた。俺が知らない男が立っていた。シーツを着飾り、社長のような上に立つ雰囲気を持っていた。黒髪に青いメッシュが入り、紫色の瞳だった。顔を良く見ればメヴィスが若くなったように見えた。俺は納得した。この男がシリゼス・ギルターか。メヴィスとは似ているようで異なる。シリゼスは俺と目が合うと、爽やかに表情が弾けた。

「顧問、お会いしたかったです。この日を夢にまで待っていました。メヴィス・ギルターが息子、シリゼス・ギルターでございます」

「……顧問?」

 挨拶しようとしていた俺は固まった。顧問。顧問とは何のことだ。俺は銀狼隊の副隊長以外、何の役職にも就いていないはずだ。名誉会長などを頼まれたことがあったが、全て蹴った。縛られ、銀狼隊の仕事に支障が来すのは許されない。シリゼスは当然という風に頷いた。

「はい。顧問は顧問です。アーグス様からウェルヴィス家の顧問に任命されています。お時間がある時に、相談に乗っていただきたいのです」

 次期当主のシリゼスに何も干渉していないだけ安心した。だが、相談に乗るだけで顧問になれるものなのだろうか。

「そ、それだけ?」

 と、俺は戸惑いながら聞いた。

「ご安心下さい。顧問にご迷惑をおかけはしません。しっかりお給料もお支払いしますので」

 シリゼスは俺を離さないと言わないばかりに迫った。俺は後退りたくなった。お給料はいらなかった。お金に困っている訳ではなかった。部外者の俺が、ウェルヴィス家から金を搾り取るつまりはなかった。なのにシリゼスは困ったような顔を俺にした。

「いえいえ、ぜひとも受け取っていただなければ困ります。貴方の許しを得ずに次期当主に決まってしまった、私からの罪滅ぼしとして」

「許す、許す。分かったから」

 と、俺は急いで言い返した。

 罪滅ぼしなど話が重く、俺は余り強く前に出れなかった。次期当主になるのに、俺の許可などそもそも不要だった。逆に任せてしまうのが申し訳ない気がしていた。俺が素直でないからだったが。シリゼスは俺を見ると深い笑みを浮かべた。俺はそこで掌で踊らされたと気付いた。

「では、顧問としてよろしくお願いしますね」

 シリゼスはギールに負けないような笑みを作った。相手に引っかかった俺は、言い返す気が薄れた。更に壮大な名前の役職を振られそうだった。一旦はここで互いに止まるのが正しいように思えた。俺はシリゼスに手を差し出した。

「これからよろしく、シリゼス」

「はい」

 と、シリゼスは俺の手を握ると、心の底から嬉しそうにした。

 握手を終えるとシリゼスは頬を掻きながら、恥ずかしそうにした。足元を見てから俺を見上げ、口を開いた。俺は何を言われるのかと警戒した。

「もし良ければなのですが……ゼド兄様とお呼びしてもよろしいでしょうか? 兄妹が私以外、女でしたので誰かを兄と呼びたかったのです」

 なるほど、そう言うことかと俺は思った。何とも斬新な俺の知らない考え方だ。俺はすぐに承諾した。

「好きにすれば良い。ただ様付けは不要だ」

 シリゼスは受け入れられると思っていなかったのか、目を大きく開けていた。そして、次の瞬間には頬を上げながら微笑んでいた。男の俺には効かないが、女を殺すのが得意なように見える。俺は平常心を保ち、天使の微笑みの攻撃を防いだ。どのような物もセインには勝らなかった。

「有難う御座います、ゼド兄さん」

 と、言いながら俺の新しい呼び方を何度も試していた。

 口の中で飴玉を転がしているように、新しい音を覚えようとしていた。少しだけ弟がいるとどういうことか分かった気がした。シリゼスは何とも不思議な奴だった。ふと気付いたように顔を上げると、俺に茶色い紙袋を差し出した。

「済みません、渡しそびれていました」

「有難う」

 と、俺は紙袋を受け取った。

 中を開けると俺が好きな好物が入っていた。バター醤油味のポップコーン。食べやすい味で俺が好む物だった。他の高い分からない口に合わない物より、俺のことを良く考えてくれていた。ただ高級服に身を包んだ者が、持って来たのが面白かった。金持ちがワインではなく、子供用のぶどうジュースを手に持っているような物だ。

「わざわざ有難う。買うの大変じゃなかったのか?」

 シリゼスは静かに頭を横に振った。

「いえ、少しだけ悩みましたがすぐに見つけることが出来ました。……部下に助けてもらいましたが」

 と、頭を掻いた。

 俺はシリゼスが黒服の護衛に囲まれて、スーパーの中を探すのを想像した。きっと見つけた時には満面の笑みを浮かべていたのだった。ただ本当はここまで重々しくなく、私服の護衛だろうが。いきなりそのような者達が現れれば、何だと怯えてしまう。わざわざ目立つようなことをするはずがなかった。

「こちらは何も用意していなくて済まない」

 そう俺が言えば、シリゼスは体の前で両手を振った。

「いえいえ、何分急いでお伺いしてしまいましたので。……実を言うとお会いするのをとても緊張していました。何せ英雄黒狼がゼド兄さんですので」

 俺は口角を上げながら、シリゼスを見た。

「こんな奴で済まない。聞いていたのと違っただろう?」

 と、少し意地悪なことを聞くことにした。

 少々子供心の自分が、相手を困らせたいと俺に思わせた。

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