救世主
意外なことに、スガワラの様子が落ち着くまでにさほど時間はかからなかった。
彼は自身の懐から取り出したハンカチを口元にあてがい、ゆっくりと意識的に呼吸を行っていた。それから数分経過するころには、ハッキリとした会話ができるまでになっていたのである。
「私がお二人に鍵を託した後、校内を見て回っていたんです。あれは、三棟二階でのことだったでしょうか。背後から不審者に襲われてしまいまして」
「す、スガ先が?」
ショートカットの女子生徒が、困惑混じりに言う。スガワラの体の弱さは、生徒たちの間でも有名であった。
「すぐさま警棒で応戦したんですが、とてつもない力で折られてしまったんです。慌てて逃げ出してきたのですが、まさかアベ先生もいらっしゃるとは思いませんでした」
スガワラは横になったまま、傍らで正座するアベの方を見やる。その目は明らかに安堵を含んでいた。その落ち着いた視線から、アベはひっそりと目を反らす。
それに気づかなかったようにスガワラは天井の方に顔を向け、長く息を吐く。そして左手で襟元を直しながら、冷静な表情でゆっくりと起き上がった。
「さて、ここにいても見つかるのは時間の問題でしょう。そろそろ本格的に避難に移らなくてはなりませんね」
スガワラは二名の女子生徒を見つめて言った。今までずっと黙っていた長髪の生徒も、「避難」という言葉に顔を上げる。
「アベ先生、どうしますか?」
「えっ」
「どうやって避難しましょう? 私が彼女らを誘導しましょうか」
アベは先ほどまで自分が助けを呼んで来ようとしていたことに、何も言うことができなかった。できたのは、少し赤面して、困った顔をして俯いただけである。
一方のスガワラは、自身の体調もすぐれないはずなのに、生徒たちを助けることになんの躊躇もしていない様子だった。
その彼の態度に、勝手に羨望してしまう。
彼女自身の劣等感に押されて口をついたのは、「一人は足を負傷してしまっていて……」という、ただ引き留めるためだけの情報であった。
「そうでしたか。スガネさん、立ち上がることは出来ますか?」
スガネ、と呼ばれた長髪の女子生徒は、涙にぬれた声を絞りながら、どうだろう……と呟いて、ゆっくりと立ち上がろうとして見せる。
背後のロッカーに手を付きながら、負傷していない片方の足の方に体重をかけて、ぎこちなく立ち上がる。膝が曲がっており、数秒もまともにバランスが取れないような姿勢だった。
と、思っているうちにも女子生徒はすぐにバランスを崩した。ショートカットの女子生徒が「あっ」と言う前に、倒れそうになる彼女をスガワラが支える。
「これは深刻ですね」
「ご、ごめんなさい。なんか踏まれたときに、同時に捻っちゃったみたいで、痛いんです」
「もしかしたら折れているかもしれません。固定しておきましょう」
スガワラは自身のネクタイをほどき、女子生徒の足首に器用に巻いていく。多少きつく巻いたようで、手際よく巻いているうちに、何度か女子生徒は苦痛の表情を見せた。しかしスガワラは気にも留めず、固く結びきってしまう。
そのおかげで、彼女の足はほとんど完全に固定されていた。
「でも先生、これじゃ歩けません」
縛られた足に手を当て、苦痛に顔をゆがめながら、女子生徒は言った。
「スガネさんは私が背負って行きます。ホメイさんは私に付いてきてください」
「えっ!」
そう声を上げたのが、丁度生徒二名とアベとが同時であった。
「そんな、スガ先がそんなことできんの?」
ホメイ、と呼ばれたショートカットの女子生徒が焦りながら言う。同意を求めるように長髪の生徒に目を向けるが、彼女も同様、心配そうに首を傾げた。
「スガワラ先生、いくら何でも……」
アベがそう言うのを、彼はすぐに遮る。
「やるしかありません。アベ先生はまだ残っている方々の救出に行かなければなりませんし、他の助けを待っていては、先に不審者に見つかってしまうかもしれません」
眼鏡を手で直しながら、ほとんど覚悟が決まったようにスガワラは言う。
「あんなバリケードじゃ、時間稼ぎにもなりません。先に動かないと、後手に回ってはこちらの勝ち目がないですよ」
「でも……」
「心配なのはわかります。ですが、やるしかありません。避難ルートはちゃんと頭に入っていますから、私なら最短でたどり着けます」
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