行方 2
少し時は遡り、そこは職員室。
「あっ!」
「何か?」
「人影が見えて……」
アベが見ている方は、職員室の壁だった。扉の近くの壁には窓が備え付けられており、その一面は木々の葉によって緑一色であった。
ヤマヅキには何も見えなかったが、このアベという陰陽師は妙に感が鋭いところがある。
「どっちに行きました?」
「えっと、扉の方に」
「なるほど」
アベの指差す扉の方へ、ヤマヅキは一つ頷いて歩き出す。
足早に、周囲を警戒しながらその扉を一つ跨いだ瞬間だった。
突如として視界が曇る。カチカチと景色が変化し、自身の平衡感覚が失われていくのを感じていた。
数歩しか動いていないのに、全く違う場所に立っているかのようだ。今まで壁だったところに扉が出来たかと思えば、床が階段になる。窓がなくなり、突き当りの壁に通路ができ、後ろを振り返れば底の見えない階段だった。天井が変わり、床面が変わる。
まるで夢を見ているかのようにあやふやとした、しかし妙に自然な部屋の変化だった。疑う隙すらも与えない完全なる混乱……。
ヤマヅキはすぐに目を閉じた。
視界の情報が遮断されれば、幻惑は意味を成さない。全身の感覚に集中させ、足の裏で地面を感じることが出来れば、あとは時間の問題だった。
一つ深呼吸をする。すると、背中を悪寒が駆け上がった。
ヤマヅキは目を閉じたまま、勢いよくしゃがみこむ。風切り音が鳴ったかと思うと、髪の毛が数本持っていかれた感覚を覚えた。
恐る恐る目を開く。そこは職員室の下の階、3棟の1階だった。その廊下に彼女は立っている。その目の前には、こわばった表情で立ち尽くすスガワラの姿があった。
「スガワラ……?」
どこかに幻惑を扱う妖怪でも潜んでいるのだろう。ヤマヅキが目を開いた瞬間に方向感覚がおかしくなる。彼女は再び目を閉じた。
「生徒の救出ですか。あいにくですがここらでは見当たりませんでしたよ」
彼女がそう言うも、スガワラは黙り込んだままである。何か困ったように返事をしてくるだろうと読んでいたヤマヅキは、すぐに違和感に気づいた。
目の前の気配が人間のそれじゃない。妖怪でもなかった。それよりももっとヤマヅキにとって近しく、慣れたものだった。
「……炎虎」
そう呟くスガワラの声は、毒々しく低い。その名を口にした瞬間、ヤマヅキの脳裏に忌々しい記憶が駆け巡った。
ハッと息を呑み、そしてすぐに怒りが沸く。左頬の罰点の傷に指先で触れ、ギリ、と歯ぎしりをした。
「どうしてお前が怒る。そんな資格はないはずだ」
彼の恨み言と共に、何かが飛んでくる音が鳴った。彼女はすぐに身を翻して躱す。先ほどの風切り音と同じものだ。投げたのではないのだろう、躱したはずのそれはヤマヅキを追うように空中で旋回して、彼女の背中にぶつかった。
「……ッ」
ゴツン、と鈍い音が背中から鳴った。肉にモロに受けたらしい。ジワン、ジワン、と筋肉が波打ってその痛みを神経に浸透させていた。片手で触れてみると、痛い。恐らく痣になっている。
鉄が棒状になったものだ。すぐに感覚で、スガワラが手にしていた警棒だろうと察す。
「ようやくだ……。どうして、どうして私がお前を殺さずにいられる……。」
うわ言にも似た呟きを繰り返しながら、スガワラは警棒を操るのをやめない。無情な鈍器と化したその警棒は荒々しく空中を舞う。その狙いは、一心にヤマヅキのみだった。
(ポルターガイスト。間違いない、奴は怨霊だ。………………あの時の!)
意図的に抑えていた記憶が蘇る。手に力が入り、脳全体が熱くなるようだった。全身の血液が沸騰し、早く奴を始末しろと心臓が警鐘を鳴らした。
ヤマヅキはその衝動的な怒りのまま、どこかから飛んできた警棒を蹴り飛ばす。ゴォン、という響きの後、警棒が床を滑っていった。
怨霊の気配は地獄にいたときに慣れ親しんでいる。目を閉じてもスガワラがどこにいるかなど、手に取るように分かった。
スガワラの気配の方へ駆けだし、少しも勢いを殺さずに足を突き出す。丁度、胸部に直撃したらしく、スガワラは肺を鷲掴みにされたように咳き込んだ。
数歩後ずさって息を詰まらせたところを見計らい、彼女は飛び上がる。両足でスガワラの両腕を捕らえ、両手で彼の首元に手をかけた。そのまま重力に従って体を落とす。
「グゥッ……」
ようやくヤマヅキは目を開けた。眼前には、両腕を足に踏まれ、歪んだ顔をしたスガワラのその姿があった。
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