職員室
職員室は普段通りの風景を固めたまま、殺風景に散らばっていた。
教職員のデスク周りは書類で溢れかえっており、積み重なった残業が形を成して鎮座しているようだった。教科ごとに種類の違うプリント類がそのままにされ、ところどころにへばりついていた。
時間を顧みることのほとんどない教職員は、デスク周りで自らの性格を隠そうとしない。各々の質がそのままになった机上は、ひどく無遠慮であった。
ふと、ヤマヅキは職員室の扉から対角線上にある鍵の保管庫へと目をつけた。
職員室は一律として、学校内のほとんどの鍵を保管している場所でもある。施錠してあった教室にも、入り込むことが出来るかもしれない。
幸いにも、鍵の保管庫は閉まっていなかった。軽い鉄製の保管庫を慣れたように開けると、いくつかの鍵が、保管庫の壁にひっかけてあった。
見ると、それは音楽室、図書室、そして進路資料室の鍵らしい。それ以外はほとんど取り出されているらしく、その三つを除いて物陰の一つとして見られなかった。
ヤマヅキは三つの鍵を片手で軽々と取り出し、サッと上着のポケットの中へと仕舞う。アベはそれに気づいていないようだ。
一方のアベは、行き慣れた職員室の室内をグルグルと歩き、人が隠れられるスペースがないか探しては、開けて回っていた。人の気配も何も感じられないが、もしや逃げ遅れたホノダが拘束されているのでは、という心配が拭いきれないのだ。
彼女はある程度見て回って、ようやくホノダがどこにもいないことを確信すると、ほっと一息をついた。
(どこにいるんだろう、ホノダ先生……。あの人が行きそうな場所と言っても、だいたい理科室か職員室にいるからなぁ)
彼女がそんなことを考えていると、ふと、ホノダのデスクに視線が止まる。
他の教職員たちは、日ごろのストレスを少しでも和らげるためか、仕事とは関係のない装飾品をデスクの上に置いてあることもある。しかし、ホノダやヤマヅキは例外であり、デスクの上に仕事関係以外の物を置くことがなかった。
彼の机の斜め後ろがアベのデスクであるが、そこにはいつぞやに生徒から貰い受けた小さな人形が飾ってある。その他にもバラバラと色んなものが散乱しているのを見て、彼女は自嘲した。
(でも、そういえば私、ホノダ先生のこと何も知らないかも)
記憶を呼び起こしてみても、彼に関する情報がほとんど出てこない。性格は温厚であり、生徒から少々甘くみられることもあるが、融通の利く、柔軟な人であるという印象だった。
(ホノダ先生なら、意外と上手く逃げられているのかもしれない……でも、まだ断定できないよね)
アベは、多少の抵抗感を覚えながら、ホノダのデスクの方をまじまじと観察した。
机上には仕事関連のプリントしか置いていない。罪悪感を持ちながら多少いじってみても、出てくるのは授業で使うのであろう資料と、生徒から回収したであろうプリント類だけであった。
また、この際だからと引き出しの方も引っ張ってみる。一番下の段は空のファイルが連なっていた。中段は生徒たちの座席表に、出席簿などが押し込められている。
(やっぱり、仕事関連のことしかないよね……)
そうしてアベが彼のデスクを離れようとする。
するといつの間にか、音もなく隣にヤマヅキが立っているのを視界でとらえ、心臓が飛び跳ねた。
「うわっ!」
「静かに」
扉の窓からちらりと見える黒い影を見ながら、アベは両手で口を抑えた。
「びっくりさせないでくださいよ」
「勝手に驚いたんでしょう」
「それは、そうかもしれませんけど……」
「上段は開けないんですか」
いつの間にか、ヤマヅキもアベがホノダのデスクを漁っているのを見ていたらしい。アベの顔が、ぼうッと赤くなる。
「な、内緒ですよ?」
「何がですか」
「机漁ってたこと……」
ヤマヅキは溜息を吐き、自らの手で上段の引き出しを引っ張った。引き出しは何の抵抗もなくガラガラと動き、空になった中身をさらけ出す。
「えっ」
「……まあいいです。行きましょう」
「ちょ、ちょっと待ってください?」
踵を返すヤマヅキの手を、アベが握って引き留める。ヤマヅキは一瞬嫌そうな顔をしたが、すぐにいつもの真顔へと戻した。
「ここ、いつもは鍵かかっているんですよ」
「……鍵」
ヤマヅキがぶっきらぼうに返事をするも、アベは何やら夢中になったように引き出しを凝視する。
「そうです。私以前、ホノダ先生から上段の引き出しにある成績表を取ってほしいって頼まれたんです。でも鍵がかかってて、開けられなくて……そしたら、先生おっしゃったんですよ」
『ああ、そこですか。実は勝手に改造して、鍵つけちゃったんですよね。成績表とか、車のキーとか、財布とか、大切な物は自分で管理しておきたい質なんで。鍵は大抵キーボードの裏に張り付けてありますんで、使ってください』
ヤマヅキもだんだんと、アベの言いたいことが分かってきた。
「つまりホノダ先生は、普段は個人的な大切なものを、この中に鍵をかけて保管していると」
「はい。……でもそれがないってことは……」
「ふむ」
ヤマヅキは、机上に乗っていたキーボードをひっくり返してみる。
そこには、片方が取れかけたセロハンテープがくっついているばかりであり、鍵らしきものはどこにもなかった。
「これって……」
「…………」
ヤマヅキは黙り込み、ただ虚空を睨みつけていた。その視線の裏で、何を想像しているのか、それはいくら鈍感なアベにも、ある程度は察しがつく。
「でも、まだ分からないことだらけですよ」
「……それはそうですが」
「だってまだ、ホノダ先生の行方も分からないし……」
と、その時、アベは思わず息を止めた。
職員室の扉が開いた。
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