静寂
アベの持つ短冊には、特殊な力が宿っていた。
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彼女の短冊は、陰陽師協会が内々で製造している特注のものである。和紙の製法にひと手間を加え、人肌に馴染み、所持者がそれを意のままに操れるように加工されているのだ。
短冊には、所持者の遺伝子が分かるものが織り込まれていた。髪や、爪、体液などの部類である。それらを織り込むことによって、術者が意のままに短冊を操り、術者に従順な和紙にすることが出来た。
現代の陰陽師は、主にこの短冊を用いて術を扱う。それゆえに、各々の体質、癖に応じて、それぞれの短冊が専門的に製造されている。彼女の短冊は彼女にしか扱えないし、その他でも同様である。
短冊と術者とは密接に結ばれている。何より自らの遺伝子が短冊に含まれているのだから、どうしてもそこに「関係」を持ってしまうのだ。
それゆえ、術者以外の者が短冊に触れると、術者にはすぐに感じ取ることが出来た。
「短冊とはいわゆる、自らの小さく、薄い分身です。体の一部と言っても良いでしょう。ですから、扱いは丁重に。意図的に破損すると、痛いのは自分ですからね」
小さい頃、アベはそう教えられた。
ふと、アベは誰かに触られたような感覚を覚えた。恐らく見えないヤマヅキが、短冊に触れたのだろう。すると、合図だ。
見えないヤマヅキに着いて行くかのように、ひっそりと廊下へ躍り出る。彼女の言った通り、突き当りの職員室の扉には、不審者が一名、腕を組んで立っていた。見るからにしっかりとした姿勢は、どことなく手練れのような雰囲気を感じさせる。
そっと不審者の方へ近づいていく。ヤマヅキが今どこの辺りにいるのか分からない。自分よりもはるか先なのか、それとも後ろにいるのか……。
優秀な術者ならば、短冊を張り付けた者同士のみを可視化させることも出来る。しかしアベは、そこまでの能力が身についていなかった。
音を立てないように姿勢を引くくし、どことない孤独感を抱きながら、アベは慎重に足を進めていた。
すると、彼女の背後の方で、カツーン……という、小さな物音が鳴った。小石が落下したときのような、静寂によく響く音である。
不審者はピクッと反応し、一度周囲をキョロキョロと見回した後、ゆっくりと廊下を渡ってくる。アベと不審者がすれ違う形になってしまっていた。心臓の鼓動を感じながら、ゆっくりとアベは端の方へと身を寄せる。コツ、コツ、と靴音を鳴らして歩く不審者は、そんなアベの様子に一瞥もくれず、物音のする方へと視線を向けていた。
何事もなくすれ違い、不審者は背後の方へと歩いていく。
ほっとしたのもつかの間、再び遠くの方で、カツーン、という物音が鳴った。今度は先ほどのよりも遠くから鳴っている。不審者は小首をかしげながら、少し足を速めて向かった。
と、それから4秒ほど経過したくらいであろうか。目の前の職員室の扉がカチャリ、と音を立てた。ハッとして背後の不審者へと目を向けるも、不審者は渡り廊下の方をじっと観察しており、気づいたような様子はない。
あっという間に職員室の扉が開き、僅かな隙間が空いた。アベは駆け足になりながら、それでも音をたてぬように息を殺し、扉の僅かな隙間に体を滑り込ませる。背後の不審者が振り返れば、もうバレてしまう。アベは半ば自棄になりながらも、出せる全速力で滑り込んだ。
「……っは、はぁ……」
「大丈夫ですか」
虚空から、ヤマヅキの小声が聞こえる。心配になってアベが背後を顧みるも、すでに扉は閉められていた。
「だ、大丈夫です……多分」
「そうですか」
そう言うとヤマヅキは、扉の影に身を隠しながら、額に張り付けられた短冊をはがす。短冊が彼女の額から離れると、片膝をついたヤマヅキの姿が現れた。
「もう透明はいいんですか?」
「ええ。何かと不便なので」
その言葉に苦笑しながら、アベも自身の短冊をはがす。アベの姿が現れると共に、はがれた短冊はボロボロと形を崩していった。
侵入した職員室には人っ子一人としておらず、他と同じような静寂が埋め尽くされているばかりであった。アベはすぐにホノダの姿を探したが、人影も見受けられない。
「いませんね、ホノダ先生……」
「一応、探してみましょう。身を隠しているかもしれません」
「そうですね……」
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