職員室は3棟の2階にある。普段ならば常に扉が開放してあり、教職員はもちろんのこと、生徒たちの出入りも活発の場所であった。



 職員室の扉が施錠されるのは、教職員たちが全員帰宅した後、真っ暗になった夜遅くだけである。鍵は最後に帰宅する職員が閉め、警備室のロッカーに保管される。



「でも、スガワラ先生、どうしてこの鍵を会議室なんかで見つけたんでしょう?」


「さあ。今は考えたところで意味がありません」


「それもそうですけど……気になりませんか? だって普段、職員室が施錠されることなんてないじゃありませんか」



 そう言うと同時に、アベは行方不明のホノダの存在が頭をよぎる。外からの施錠、そして離れた地点で落ちていた鍵。もしかすると、彼はすでに……。


 そんな嫌な想像を、急いでアベは打ち消した。





 両名は足早に職員室に向かいながら、それでも慎重に周囲を警戒している。キンとした静寂のなか、二人の話し声は控えめで、足音すらも張り詰めていた。



 一棟の二階から三棟まで行くには、渡り廊下をたどって行かなくてはならない。グラウンドを囲うようにして設けられた各棟は、それぞれ二階の渡り廊下で繋がっていた。


 しかも不便なことに、下駄箱と昇降口、裏口の三か所以外では、校舎の出入りが出来ないようになっている。グラウンドから直接的に他の棟へ入り込むことも、ましてや出ることもできないのだ。


 このような閉鎖的な校内の構図に違和感を持ち、改装の話題になったこともある。だが、近年の資金不足を理由に、その話が現実になったことはないのだった。




 不意に、ヤマヅキが足を止めた。すぐに柱の影に移動し、アベもそれに倣う。すると同時に、黒づくめの服装をした不審者が一人、渡廊下の方へと歩いて行くのが見えた。


 幸いにも、こちらには気づいていないようである。不審者は片手に刃渡りの長い刃物を携帯し、ツカツカと歩いて行った。



「……一体、この学校にはどのくらいの不審者が侵入してきたのでしょうか」


 不審者がいなくなったのを見計らい、アベが小声で言った。


「分かりません。ですが、そこそこ大きな団体なのでしょうね。首謀者が叩ければ、早いんですが」


「まだまだ謎が多いですね」


「じき分かります。行きましょう」



 柱から移動し、両名は渡り廊下を突き進んでいく。


 ふと、アベは何か引っ掛かるものを覚えた。



 (なんで今、わざわざ隠れたんだろう……?)



 アベは直感的にそう思った。疑問にかけるほどのことでもないが、彼女にとってはどことなく気になった。しかしすぐに足を進めてしまうヤマヅキに、直接聞いて煩わせるのも悪いと思い、彼女は考えるのをやめてしまう。




 二棟を通り過ぎ、直角に曲がるようにして三棟へ。渡り廊下を渡りきると、三棟二階の突き当りに、職員室の扉が存在する。ヤマヅキは一度壁の影に隠れ、ひっそりと三棟の突き当りへと目線を向けた。


「見張りがいる……」


「え?」


「不審者が一名。職員室の扉の前に立っています」



 ヤマヅキはそう呟いた。同時に、自らの背後もちらと確認する。



「そ、それじゃホノダ先生は……」


「まだ分かりません。そもそも、ホノダ先生が職員室にいるという確証もないんですよ」


 慌てるアベとは対照的に、ヤマヅキは冷静であった。


「た、確かに……? でも、どうしましょう」



 その言葉に、ヤマヅキは再び職員室の方へ目を向けた。



 不審者はしっかりとした姿勢で扉の前に立っており、どこか警戒したように腕を組んでいた。手には何も持っていないようだが、どことなく何かを隠しているような気配がする。



 廊下は長く、職員室まで直線で走っても、どうしても3秒以上はかかりそうだった。また、身を隠せるような物はなく、見つかったら逃げるのは容易ではないだろう。



「これは……やはりやるしかないか」



 ヤマヅキがそう呟いたが、ふと、アベが何かを思いついたかのように声を上げる。



「あ、あの」


 目を向けると、彼女は片手に短冊を、片手に筆を携えていた。臨戦態勢になるときの、彼女の持ち物であるようだった。



「私、術を組むのは苦手なんですけど、透明だったらまだできるんです」


「……透明」



 よく分からず、ヤマヅキはそう相槌した。



「はい。術で透明になって、あの見張りをどこかに誘い出せれば……その隙に職員室に入れるのではないかと」



 どうですか、とアベが尋ねる。ヤマヅキは一瞬考えたが、ただ、ともかくも今は方法がない。覚悟を決め、彼女は頷いた。


 するとアベは、短冊に筆でさらさらと文字を書いていく。何も着いていないはずの筆からは不思議と文字が浮かんでいき、短冊へと張りついて行った。そこには、「透き」と、読みづらい字で書かれていた。



「失礼します」


 彼女はそう言い、ヤマヅキの額に短冊を着ける。ぴと、と、短冊は自然に肌に馴染んだ。アベは自身にも短冊を着ける。すると、ヤマヅキの目からアベが薄くなり、そして消えてしまった。



「どうです? 上手くできてますかね」


「これ……透明になれた、ってことか」


「だと思います。私からヤマヅキ先生が見えないので」



 ヤマヅキは自らの手を見下ろす。その手は確かに元の通り存在していた。しかしアベからは見えていないようである。それと同時に、先ほどまで目の前にいたアベの姿だって、ヤマヅキから見えていない。



「いつでも行けます。動くときは合図として、短冊を触ってください。それで分かりますので」



 虚空からアベの囁き声が聞こえる。ヤマヅキは未だ慣れないその感覚に違和感を持ちながらも、短冊に指先で触れた。

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