誰
「なっ、なんて……同業者?」
アベは真っ白になった頭をどうにか動かして、目の前の状況を整理しようと努めた。心中は冷や汗と安堵が混ざり合った混沌であり、動揺として表情に現れている。
「それが何か」
「だ、だって、そんなの知らされてないし……」
「まさか、本当に何も知らなかったんですか」
ヤマヅキは少しの驚愕と呆れを含んだ表情を浮かべる。見慣れたその表情も、今となってはもう懐かしい。
「……だからあんな、わざとらしい反応をしていたんですね」
「えっ?」
「いや。私はてっきり、貴方が何もかも知っている状態でわざとらしい反応をしてふざけているのかと……」
「えっ?! いやいやそんな、だってこんな状況、」
「まあいいです。とにかく今は事態の解決に勤しまなければ」
と、ヤマヅキは苦笑して先へと足を進める。
アベはまだ不安に取り付かれながら、それでも先ほどよりもしっかりとした足取りを掴む。目の前を歩く人物が、どういった形かは不明であるものの、身内の誰かが寄越した協会の人間であることが分かり、多少の安心感があった。
「次は、ええと……二棟の方が近いですかね」
「でしょうね。渡り廊下からすぐですし」
先ほどと同様、ヤマヅキは必要最低限のこと以外の会話を控えているようだった。普段の教師としての姿と寸分変わっていない様子だが、よく考えてみれば、それはひどく合理的な態度だった。
(やっぱり頭いいんだなぁ、ヤマヅキ先生)
そんなことを考えていると、不意に正面の方から不規則な足音が響き渡ってくる。シンと静まっていた空気が一変し、そんな地味な音が緊張を孕ませた。
二人は同時に足を止める。ヤマヅキは既に戦闘態勢に入っていたが、アベは一瞬遅れて短冊と筆を取り出した。
足音は階段を上ってきているようだった。目の前は渡り廊下であり、その先は一階と三階をつなぐ階段がある。足音は随分と弱弱しく、リズムが乱れていた。
ヤマヅキが先手を打つ。目にもとまらぬ速さで渡り廊下を渡り切り、階段の下から上がってくるであろう不審者に大きく足を振りかぶる。
「うわっ?!」
「な……」
急にヤマヅキが足を止める。勢いをそのままに軌道を反らし、階段の手すりの方にぶつけた。ミシッという音が鳴り、手すりの先端部分が宙を舞う。ヤマヅキは廊下に手をついて何とか体制を立て直したが、急な体の動かし方をしたためか、顔をゆがませた。
「だ、大丈夫ですか?!」
アベが駆け足で渡り廊下を渡りきると、そこでは、階段の途中で床に手をついてへたりこんでいるスガワラが息を切らしていた。
階段の踊り場には、先ほど飛んで行った手すりの先端が転がっている。
「スガワラ先生?! な、どうしてここにいるんですか?!」
「いや、ちょっと……いてもたっても、いられなくなってしまって」
スガワラは苦笑するが、明らかに顔色が悪い。額に滲む汗も、普通のものではないのだろうと容易に想像がついた。
「だからと言って、勝手に行動するのはやめてください。思わず蹴とばすところでした」
ヤマヅキがため息交じりに言うと、スガワラは踊り場に転がっている手すりの先端を見て、「すみません」と言いながら胸をなでおろす。
「主任には許可取っているんです?」
「いや、何も……」
「駄目じゃないですか!」
珍しくアベが厳しい声を出し、スガワラは眼鏡の奥の目を困ったように反らした。やれやれ、とでも言いたげな様子で、ヤマヅキは軽く首を振る。
「……とにかく、来てしまったものは仕方がありません。が、普通に帰ってください。邪魔です」
手に付いた埃を軽く払いながら、ヤマヅキはスガワラを見下ろしていた。
「じゃ、邪魔って……」
「保護対象を増やしたくありませんので」
「や、ヤマヅキ先生、そんな言い方はあんまり……」
アベがフォローに回ろうとするも、その途中でスガワラが声を遮った。
「私だって、考えなしに突っ込んできたわけじゃありませんよ」
「……」
そう言うと、スガワラは内ポケットに手を伸ばし、立ち上がりながら、それを取り出した。
「それって、カギ? ですか?」
アベが首を傾げると、スガワラは強く頷いた。
「職員室の鍵です。いつの間にか施錠されていたみたいなので、探しておきました」
「どこでそれを?」
ヤマヅキがきつく問う。
「会議室のところです。三等の一階、廊下に落ちてました」
「よく見つけましたね!」
アベが感嘆の声を上げるも、スガワラは口元に人差し指を立て、「静かに」と呟いた。
「職員室には、緊急事態用の武器が保管されていたはずです。……もしかしたら行方不明のホノダ先生も、そこにいるかも……」
スガワラはヤマヅキに鍵を半ば強引に握らせると、踵を返して、階段を下りてしまう。
「ちょ、どこに行くんです?!」
「私も生徒たちを探してきます。お二人も気を付けて」
「危険ですよ!」
アベが止めるも、スガワラは足を止めようとしない。階段を降りきり、ようやく振り返って、内ポケットから重い棒状のものを取り出して見せる。
「大丈夫です、警棒を警備室から拝借したので」
「ええ……?」
「お二人にも渡したかったんですが、あいにく使えるのが一本しかなくて。すみません」
それだけ言って、スガワラは走って行ってしまった。最後までアベは止めようと声をかけたが、結局それは無視され、徒労に消えた。
「もう……危ないのに」
「放っておきましょう。とりあえず、私たちは職員室に向かいます」
ヤマヅキはしきりに手の平を拭いながら、嫌悪感に満ちた顔をしている。先ほど握らされた職員室の鍵を強引にアベに押し付け、再び手の平を拭った。
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