視聴覚室
少し歩くと、すぐに階段のところまでたどり着いた。先を行くヤマヅキの背中にビクビクとしながら、アベは妙に緊張して後ろをついて行く。
「どの辺りです」
ヤマヅキが振り返ってアベの方を見上げた。
「え、えっと……多分上、かな?」
「……」
呆れたような視線を感じながら、アベはひそかに冷や汗を流す。聞いてもいない物音のことを問い詰められても、嘘を吐くのが下手な彼女には咄嗟に答えることができない。
「まぁいいです。上ですね」
しかし幸いにも、ヤマヅキがアベのことを疑っている素振りはない。スガワラのことはバレていないようである。
二棟三階は狭く、天井が低い。天井裏のような空間を無理やり教室に作り替えたような場所だった。そのため、他の階とは違って教室も二部屋しかない。
階段を上がってすぐ近くにあるのが、視聴覚室である。窓のない薄暗い三階を利用した空間であり、主に授業で取り扱うDVD、スクリーンやCDプレーヤーを保管しておく場所であった。
ここに生徒が来ることはほとんどない。利用者のほとんどが教職員であり、それでも大抵は目当ての物を取って行ってしまうだけなので、埃がよく固まっていた。
ヤマヅキが扉を開けたときもそうであった。暗い室内に廊下の明かりが差し込み、小さな虫のように埃が舞い散る。ヤマヅキは嫌な顔をしたが、すぐに足を踏み入れた。扉のすぐ近くにある電気をつけると、教室内が露わになる。
複数の長机の上に椅子が乗せてあった。ここの教室を授業で使用することはほとんどないため、椅子もそこに長らく置きっぱなしである。教室の傍らで電子ピアノが埃にまみれていた。もう音もまともに鳴らないのであろう。
「あの、ヤマヅキ先生」
アベはすぐに、教室の一番奥に設置してある長机に気が付いた。
その机だけは妙に綺麗に埃をぬぐい取られている。黒い表面がひかり、そこには椅子ではなく一台のCDプレーヤーが置かれていた。
「あんなもの、ありましたっけ」
「さあ。私はここにあまり来たことがありませんので」
数学という教科の性質上、ヤマヅキがここに足を運ぶことは滅多にない。だが、アベは古典の授業の参考資料として、ここへスクリーンやプレーヤーを借りに来ることが多々あった。
奥にあるあの長机も、今までは他と同じように椅子の台と化していたはずである。それが今では、きちんと机としての機能を果たしていた。
「何でしょう……。あ、何か入ってますよ」
「CDでしょう。明らかに」
アベがのぞき込んだCDプレーヤーには何も書かれていないCDがすでにはめ込まれていた。CDの表面は真っ白である。何かの教材ならば、何かメモ書きがどこかに記入されているはずだった。
「かけてみましょうか」
「何のために?」
「いやぁ……何となく」
くだらない、とでも言いたげにヤマヅキが踵を返そうとする。アベはすかさずCDプレーヤーのスイッチを押した。
カチン、という金属の混じったような音と共に、サーッとCDが回転を始める。
「時間がないんですよ」
「す、すみません……」
ヤマヅキが眉間に皺を寄せて咎める。彼女はこの教室の汚さに辟易としているようだった。早く教室を出たそうに落ち着かない様子を見せているが、鳴らしたCDを止めるつもりはないらしい。
CDは数秒間無音を奏でる。次第に、音質の悪い人の声をザラザラとなぞっていった。
「…………より、定期報告……」
何かに塞がれているかのような籠った音である。
「プランⅤ+を試してから3日経過。未だ反応なし。従業員Dが実験中に火の粉を浴び、すぐさま焼死した。目撃者はなし」
焼死、という言葉にヤマヅキは反応する。目を見開き、CDプレーヤーを穴が開くほど見つめる。
「報告ご苦労。ドクター・エトヲの所在は?」
そう言ったのは機械音声だった。抑揚のない、日本語にしては不自然な発音でそう語られる。
「未だ分かりません。現在もエージェントによって捜索されています」
と、ここまで聞いて、アベはようやくこの人物の声に記憶が追いついた。
普段の話し方とまったく異なる。いつもの彼ならば、このような冷たい言葉の発し方はしないはずだった。低く、どこか緊張したような、それでいてどこか気だるげな声だ。
彼が生徒や教職員に対して、そのような声を聴かせたことはない。
「方程式解明の進捗は」
機械音声が厳しく問いただす。ただの音声なのにも関わらず、そこにはどこか威圧感があった。
「進んでいません。データの復旧を試みましたが、根源ごと処分されているようです。エトヲ博士を捕らえた方が確実です」
「次の報告は3日後の0時。それまでに黒炎の研究と、エトヲの追跡を進めておくように。以上」
その機械音声と共に、CDが終わる。
しばらく静寂が漂った。埃の舞う音すらも聞こえそうなほどに、息が殺された沈黙だった。
「……これって、どういうことでしょうか」
意を決したようにアベが言う。隣に立つヤマヅキの方を見ると、思わず鳥肌が立った。
ヤマヅキは目を見開いて唇を噛み、両の手を握りしめている。プレーヤーの方を見つめて、殺意にも似たような眼光を放っていた。呼吸こそ普段通りであるものの、不思議と心臓が高鳴っているのが分かる。
髪の毛すらも逆立ちそうなほどの息遣い。その拍動が、隣にいるアベにも伝わってくるようだった。
あまりにも恐ろしい気迫に、アベは思わず後ずさる。
CDから流れた音声は、誰かとの通話記録のようだった。機械音声の人物の正体は分からない。
だが、報告とやらをしていたのは、現在行方不明のホノダの声であった。
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