救出へ

 ヤマヅキの心中は穏やかではなかった。


 どこからか漂う嫌悪感がぬぐい切れない。あの放送がかかる直前まで、その気配に気づくことができなかった。今となってはこんなにハッキリと分かるというのにも関わらず、気づけなかった。


 彼女は苛立っていた。他の何よりも、自分自身に。


 そして彼女の横で困ったような顔を浮かべるアベも、その苛立ちを大きくする火種となっていた。



 ヤマヅキはダラダラと続く教務主任からの指示を横に聞き流しながら、意識を校舎の方へと向ける。



 古い校舎である。高い壁はヒビが壁を覆っており、何度も改修を重ねてきた不自然な壁の色の違いが、グラウンドからもよく見える。


 もとは木造だった神社を、無理矢理学校に建て替えたのだ。遠い昔から存在するというこの学校は、雄々しく立つ山々に囲まれた場所にあり、私立のものとしてはいささか古臭すぎる。


 (どこから……それに、どうして今になって気付いたんだ)


 ヤマヅキはそこで思考を止め、小さく首をふる。


 (いや、考えても無駄だ。いずれわかる……)


 彼女はアベを一瞥し、ポケットの中の物に触れた。ザラザラとした感触のそれは、今のヤマヅキを抑えるのに十分すぎる代物だった。


「……以上です。それでは職員の皆さん、よろしくお願いします」


 教務主任の長い説明が終わったようだ。



 アベはどうにか、3年生の避難誘導という仕事をもらうことができた。


 というのも、当初は体育教務の教師陣に任される仕事であった。



 この緊急事態で、一刻も早く救助をしなければいけないこの状況下、新任で女性である彼女にこのような危険な仕事が任されるはずがない。


 しかし彼女は半ば強引に説得し、仮に待機命令を下されたとしても隠れて行く覚悟だとそう要求すると、意外にも教務主任は早く折れた。



 ただし、ヤマヅキの同行がある、という条件で。



 アベは隣でつまらなそうに立つ彼女を見下ろし、恐る恐る話しかける。


「あー、ええと、すみません、ヤマヅキ先生……この度は」


 しかし言い切る前に、ヤマヅキはアベの方を見ることもなくつぶやいた。


「行かないんですか」


「あっいえ! そうですね、早くしないと……」



 焦ったように言う彼女であったが、実際に薄暗い裏口を見ると、どことなく異様な空気が感じられる。


 どうしても救助に行きたいと申し出た彼女であったが、実際に行動しなければならないとなると、重く淀む空気が邪魔をして足を止めるようだ。



 いつ、どこから襲い掛かられてもおかしくはない状況である。警察の救助にはまだ時間がかかり、到着までに生徒たち全員が安全であるという保障はない。



 今にも聞こえてきそうな悲鳴に、アベは少し身震いする。


 その様子を横で一瞥したヤマヅキは、ため息交じりになにかを呟いて、スタスタと歩き始めてしまった。



「あ、ちょっと、待ってください!」


「待ちません。生徒の救助をしなければならないので」



 抑揚のない淡々とした言葉遣いは、この緊急事態でも健在であるようだ。


 アベはヤマヅキのその毅然とした態度に、わずかながらも頼もしさを覚えた。


 薄暗く、日の光も当たらない裏口から、ヤマヅキはまっすぐに歩いていく。その後ろから、アベは引かれるようについて行った。

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