邂逅、そして惨事

 スガワラがその光景を目撃するまでに、そう時間はかからなかった。



 彼は1年生の避難誘導をある程度終わらせると、後を他の教員に任せ、ひそかに危惧していた昇降口の方へと向かった。



 二階の教室と三階の教室で授業があったクラスは、構造的にここへと終着してしまう仕組みになっている。そこで鉢合わせしてしまえば、避難に遅れが出るかもしれない。スガワラはそのことにいち早く感づいて、避難誘導の援助に行ったのだ。



 息を切らしながら、裏口から昇降口の方へ緊急用階段を登っていく。



 一階から二階へつながる階段は昇降口の方のものしかない。そこ以外では、緊急用の簡素な階段を天井から引っ張り出して昇らなくてはならないのだ。



 スガワラは体力がある方ではない。それどころか体は弱く、少しの刺激を受けただけで不調をきたしてしまう。それでもなお、彼は死に物狂いで階段を駆け上っていた。



 だが、彼が昇降口に到着したころには、もう遅かった。そこは大勢の生徒と教員が入り混じった混沌と化しており、前からも横からも、混乱した人々の焦りが渦を巻いては、暴力的に押し合っていた。


 スガワラはその空気の重たさに、思わず口元を覆う。人口密度が異様に高まったその空間は、たくさんの人間の吐息が混ざっていた。


 しかし彼は何とか冷静を保つと、すぐに人が詰まってしまっている原因を探し出す。


 昇降口から外には、下に降りるための階段が設備されている。そこを降りると、一階の下駄箱に続いており、そこから外へ出られるようになっているはずだった。


 スガワラは後ろの方に追いやられながら、なんとか声を発している教員に話しかけた。



「どうしてこんなに人が詰まっているんです! 降りられないんですか?!」


 教員は大声で返した。


「どうやら、下の下駄箱が施錠されているみたいで! 降りて行った生徒たちが引き返そうとしているらしいんですが、そこで詰まってしまっているようで……」


 見ると、他の教員たちも荒ぶる生徒たちを鎮めようとしているが、混乱に満ち満ちた彼らは聞く耳を持とうとしていない。


 スガワラも生徒たちに必死に声をかけるも、話を聞くことどころか、誰が誰なのかも分別が付かないかのように、押し合いへし合いを繰り返している。ふと、スガワラの足を誰かが踏んだ。


「いっ……」


 彼が足の痛みに顔を歪ませた、その時である。



 意識が一瞬、生徒たちの集団から逸れた。集団から離れた廊下の奥、そこに、ポツンと棒立ちになった、影のように暗い恰好をした者の姿があった。



 頭から被るタイプの覆面をしており、手には手袋、長袖に長ズボンの上下と、一切の肌を露出していない。上から下まで黒色で覆われた姿である。右手には包丁のような、刃渡りの長い刃物が握られている。男か女かもわからない。ただその姿は、まるで人形のように異質であり、妙に力の抜けた様子であった。


 誰かがその不審者の姿に気づく。


 声を上げる。周りが気づく。



 一瞬にして静まり返ったあと、誰かの悲鳴と共に、その集団は散り散りになって走っていく。



 スガワラの静止も聞かず、各々の思う方向へと、丁度、蜘蛛の子が散っていくように、不規則に逃げていく。



 気づけば、校内には三年生が散り散りになって残ってしまっていた。




 スガワラは今、グラウンドで生徒たちの様子を見ていた。


 ショックで動転している者、避難中にケガをした者たちなどの面倒を見ては、養護教諭の女性職員がケアに当たっているのだった。


 極度の緊張状態と重労働をした彼は、不安定な生徒たちの精神を落ち着けるだけの元気はなく、椅子に腰かけて、喘息の吸引機をひたすらに握りしめている。


 自らもその作業を手伝いたいのはやまやまだったが、脂汗が止まらないスガワラがいけば、逆にケアされる側になってしまうだろう。



 スガワラは校舎の方へと目を向けた。



 (体育の先生のように体力もなければ、ヤマヅキ先生のように腕っぷしも強くない……)



 彼はぼんやりと遠くを見るようにして目を細め、悔しそうに握りこぶしを固めた。


 自分が今のようでなかったなら。そんな別世界線の自分に思いを馳せながら。

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