例の黒い炎

 首から下が不審者の恰好になったヤマヅキの顔が、アベの方を見上げる。アベは目をしばたいてその顔をよく見るも、正真正銘に彼女の顔であった。


 特徴的な罰点の傷から、オレンジに近い茶髪の結び目まで、共に行動していたときと何ら変わっていない。





 と、ヤマヅキの顔が不自然に口角を上げたかと思うと、舌打ちをして教室から飛び出した。





「ちょ、ヤマヅキ先生?!」




 アベが咄嗟に呼び止めようと声を上げるも、風の様に走り去ってしまう。すぐに追いかけるが、教室の扉から見えたのは、低い姿勢で階段を駆け上っていく後ろ姿だけであった。



(どういうこと……?)





 ヤマヅキはアベと同じ陰陽師のはずである。同業と本人も言っていたし、実際、アベの正体も唯一知っていた。あの会長からの念を入れた監視だと疑っていなかった。




 アベは自身の左目に無意識に手をやっていた。




 この不審者の騒動だって、もうとっくの昔に父親に知れているはずだ。アベがこの学校に就任してからずっと、一日たりとも監視の目を感じなかった日はない。些細な事で小言を言われ続けているのだから、こんな大事件を知らないはずがなかった。



 どこから見ているのかは彼女にも分からない。ただ、そろそろ小言の一つでも届いていいはずだ。今日はようやく一人になってしまったのだから。




 そんなことを考えていると、不意に彼女の背中を何かが小突いた。その感覚にアベは苦い表情を浮かべ、渋々ながら振り返る。



 彼女の背中を小突いたのは、一枚の紙飛行機だった。一風変わった折り方をされた紙飛行機はアベの背中を数回つついた後、突然力が抜けたかのように不安定に床へ落下してしまう。





 アベは周囲を見回して、多目的室の扉を閉めてから紙飛行機を拾い上げた。ザラザラとした、和紙とも似つかない独特の感触は、明らかに父の短冊だ。




 手早く折り目を広げると、達筆で長ったらしい文言が事細かに記されていた。


「…………」






 アベが思っていた通り、父は既にこの騒動のことを知っていた。それどころか、この騒動を起こしている不審者の正体は妖怪であること、すでにアベが何名かの不審者と対峙していることも知っていた。



 そこまでは、アベはまずい物をなめるかのように流し読みをして嫌そうな顔をしていた。が、突如手紙の中に現れた見慣れない単語に目が留まる。






「例の黒い炎」






 父親は回りくどい言い方を好まない。いい意味でも悪い意味でも簡潔明瞭であり、任務の詳細を濁すような人柄ではなかった。




「奴らの狙いは例の黒い炎だろう。お前の学校にはそれが隠されている。そのためにお前をわざわざ教職に就かせたのだ。」




 だが、この書き方はアベからすると不自然に感じてならなかった。


 アベがこの学校に教師として潜入するよう命令されたときからそうだ。何の意図も伝えられず、ただ「言えない」とだけ宣言され、正体がバレないように教員として仕事をするだけだったのだ。



 厳格な父親が無駄なことに長い時間を費やさせるわけがない。何か意図があってのことだとは思っていたが、その意図の正体が不明瞭だった。そこにアベは腹の底から違和感を沸き立たせていた。


 その意図の一部が、この手紙だというのは鈍いアベにも何となく理解できる。



「黒い炎……」




 長い手紙の最後は、このような文章で締められていた。




「炎に手を出すな。だが、見届けろ。」




 そこまで読み切ってしまうと、アベの手から手紙がボロボロと崩れ去ってしまった。

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る