脱出

 その間も絶えず扉の音は鳴り続け、木の軋む音と、はめ込まれたガラスが悲鳴を上げる声がだんだんと重なっていた。



 どうやら何か武器のようなものがあるらしい。乱暴に振りかぶる風切り音がかすかに鳴っている。



 叩く音は早くなってはいるものの、ある程度規則的だった。武器を振りかぶるための一瞬のラグが発生しているのだろう。扉が大分へこんできている。ガラスも変形に耐えかねそうであった。







 と、叩く音の止む一瞬の隙に、勢いよく扉が開いた。



 ガンッと乱暴に開けられた扉は、全開になると共にガラスを砕け散らす。扉を叩いていた不審者は咄嗟の出来事に驚きながらも、振りかぶった手をとどめようとしない。




 開いた扉の前に立っていたのはアベであった。不審者は手に持つ金槌のようなものを振りかぶったまま、向きを変えず、アベの方へ真っすぐに振り下ろした。



 が、それを予想していたアベはすぐに後ろへ下がる。意外にも目の前で見てみると、不審者の金槌を振る姿はまるっきり素人のようだった。




 金槌をよけられた不審者は、すぐにアベの方へ向かってくる。身長はアベよりも少し低いほどだった。ちょうどヤマヅキの身長とほとんど同じではないだろうか。



 不審者がゆっくりとした動作で教室の中へと入ってくる。それと同時に、アベは視線を素早く動かし、合図を出した。







 教室の後ろ側の扉に、スガワラと生徒2名が隠れている。バリケードが良い壁となっているため、この一瞬は不審者から隠れることができた。



 合図を受理したスガワラは軽く頷き、素早く教室から出る。不審者は入り口付近で真っすぐにアベの方を見ており、スガワラたちに気づいた様子はない。




 アベはどんどんと後ろに下がり、不審者を教室の中へと誘導する。不審者がアベを追って教室の中ほどまで進んだくらいで、スガワラが不審者の背後の廊下を通り抜けていったのが見えた。




(やった! あとはスガワラ先生の体力が尽きる前に脱出できるよう祈るだけだ……)




 アベはスガワラたちが逃げていったのを確認してから、袂に隠しておいた短冊を手に構える。




 不審者が金槌を振りかぶるタイミングで狙いを定めた。手にしていた短冊を器用に飛ばし、空いた懐に短冊を上手く張り付ける。



 ちょうど胸の辺りにぴとっと着いた短冊には、「撃」と走り書きで書かれていた。



 幸いにも、不審者はそれに気づかずに金槌でアベを狙っていた。何発か雑に振り回すが、アベはそれらを見切って避ける。不審者の攻撃はなかなかとどまることを知らず、考えなしに無茶苦茶に振り回しては、避けられるということを繰り返している。



 さては知能の低い妖怪か、と思われるが、その勢いの良さは侮れない。






 アベは動き回りながら距離を取ると、右手の人差し指と中指を立て、不審者の胸についている短冊を指す。



 ようやく短冊の存在に気づいた不審者は急いではがそうとするも、強固に癒着した短冊ははがれようとしない。あわてる不審者をジッと見据えて、短冊によく狙いを定めた。




「……ハ!」




 アベのその声と共に、不審者が見えない何かの衝撃を受けたかのように吹き飛んだ。途端に教室内に強風が巻き起こり、アベの長い髪を揺らす。





 不審者は黒板に体をぶつけ、打ちどころが悪かったのか、床に突っ伏してそのまま動かなくなってしまった。



 シン、と教室内が静まる。先ほどまで生徒が隠れていたとは考えられないほど緊張感がほどけ、ただの閑散とした空き教室の香りが放たれる。





「……はぁ、怖かった……」




 アベも自らの囮という役目を達成した安堵感から、そっと胸をなでおろして床にへたり込んだ。風によって露わになった左目は、変わらず澄んだ青色であったが、ぼんやりと輝いているようにも見えた。




 と、途端に不審者が呻きながら起き上がる。




「う、わ!」




 アベが咄嗟に袂から短冊を出して身構えるが、その光景に思わず目を見開いた。



 不審者の覆面がポロリとはがれ、軽い音を立てて床に落ちる。アベを見上げたその顔には、右頬に大きな罰点の傷がついていた。






「え……」



 その顔はまぎれもなく、ヤマヅキの顔だった。

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