危機的状況?

 スガワラは開けそうな襟元を整える。シャツの第一ボタンはもはや糸でぶら下がった状態になっていた。



「ちょ、ちょっとスガ先、無理しないでよ……?」



 ショートカットの女子生徒が心配そうにスガワラを見上げる。彼の顔は未だ汗で塗れており、無論のことながら、体力が万全とは言えなかった。




 それにも関わらずスガワラは、最短なら大丈夫ですから、と困ったような顔を見せる。


 体力を案ずる生徒の不安そうな顔。落ち着いていながらも危険な行動を難なくとろうとするスガワラ。


 ……ふと、不意にアベが顔を上げた。




「スガワラ先生、やっぱり私が行きます。私の方が体力もありますし、それに……」



 その言葉の先は、どうしても喉に突っかかってしまう。



「み、見つからない自信だってあるんです! スガワラ先生はもう少し休まれてから動いてはどうでしょう」



 言葉を濁して何とか説得を試みる。


 生徒二名にバレてしまうのはもはや覚悟の上として、しかしスガワラも含めた三名にバレてしまうには危険が伴いすぎた。女子生徒に言いふらされたところで、危機的状況で錯乱していたとでも言って収めることもできるだろう。


 しかしスガワラという証言者も出てきてしまうと、言い訳のつけようがなかった。厳格なあの父親のことだ。アベへの折檻と同時に、スガワラという存在ごと話をもみ消しかねない。




 やるならばスガワラに見つからないように。これがアベがすぐに決められる覚悟の限界だった。




「どうやって?」



 しかし、そう言うスガワラの声は冷ややかであった。



「ど、どうやってって……」



「確かにアベ先生の方が腕は立つでしょう。体力もある。しかしそれだけで逃げきれるとは思いません」



 グッと、アベの息が詰まる。



「敵は警棒を折ってしまうほどの力の持ち主ですよ。私が最短経路で走って行きます。途中で遭遇してしまっても、防火用扉や警報機の位置まで把握しているので、一時的に撒くことだって……」



その先を言いかけて、不意にスガワラが黙ったかと思うと、





ガン!





 扉にガツンと何かがぶつかる音が響く。生徒の一人が声高な悲鳴を上げた。


 ぶつかる音は一度にとどまらず、それどころかどんどんと大きくなっていく。ガンガン、と、拳ではない何かで扉を叩く音である。それは一秒経つごとに激しくなり、すぐに扉を打ち破るほどの勢いにまでになった。



「せ、せ、せんせえ……」



 長髪の女子生徒の目から涙がこぼれる。すぐにアベが生徒たちの前に立って庇うが、その背中には冷や汗が伝った。



 扉が揺れ、その前に積み上げられた椅子の一つが落ちる。無駄に大きな音を立てて転げ落ちた椅子は、扉の叩く音をさらに加速させた。



「こわい……」


「大丈夫」



 妙に落ち着いた様子でスガワラは言った。ハッとしてアベがスガワラの方を見ると、彼は想定通りとでも言うかのように、長髪の女子生徒を抱きかかえ、すぐにバリケードの影へと移動する。



「こうなったら仕方ありません。アベ先生、今から私が言う通りにしてくださいませんか」


「は、はい」



 スガワラの恰好を真似し、アベとショートカットの女子生徒もバリケードの影へと隠れる。

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