絶望

 アベの目の前で、落ち着かない様子で息を切らす女子生徒が怪訝そうな顔をしている。女子生徒はすぐに多目的室の影に隠れ、音を立てないようにして机を扉の前へと移動させた。



 多目的室の机は不規則に列をなしている。机や椅子のいくつかは扉の前に積まれ、簡易的なバリケードを作られていた。だがそれはかなり不安定であり、力のあるものが崩そうと思えば、ものの数秒で突破されるだろう。



 それらをぼうっと眺めながら、アベはようやく意識がハッキリとしてきた。




「先生、大丈夫? なんでぼーっとしてあんなとこ歩いてたの?」



 机を移動し終わった女子生徒が、額の汗をぬぐいながら小声で話しかける。ショートカットの似合う筋肉質な体系は、恐らく運動部なのであろう。アベはすぐに、その生徒が三年生の文系クラスにいたことを思い出した。



「ちょ、ちょっと、君、逃げ遅れちゃったの? 先生見かけなかった?」


「え? 何言ってんの、先生……。落ち着いてよ」



 焦ったようにまくし立てるアベを、女子生徒がなだめる。まだ混乱している頭で、アベはようやく今自分が何をしていたのか思い出した。



(幻惑だ……)



 妖怪には人の方向感覚を失わせ、混乱させる術を使う輩もいる。アベはそういった輩に耐性を持つことが出来ず、迷子になることが昔からあった。



 だが、あの場にはアベだけではなかった。ヤマヅキだっていたはずだ。



 周囲を見回しても、ヤマヅキの姿はない。どこではぐれてしまったのか? そう思い返すも、どうやってここまでたどり着いたのか思い出せない。



 この多目的室は二棟の二階にある。職員室は三棟の二階であるから、普通に考えるなら渡り廊下をたどってきたのだろう。だが、何度か階段を下った記憶もある。









「先生……」



 アベが虚空を見つめながら考えこんでいると、ふと、部屋の隅から弱弱しい声がする。


 振り返ると、部屋の隅で震えて縮こまり、腫れた目をハンカチで抑えた女子生徒がいた。



 バリケードを拵えていた女子生徒とは違い、かなり衰弱しているようだった。長い髪が乱れ、制服がところどころ汚れているところを見るに、相当ショックなことがあったのだろう。



「君……大丈夫?」



「先生、助けて! 私たち、避難する最中に、もみくちゃになっちゃって、うまく逃げられなくて……。ここに、ずっと、隠れてたんだけど、外は不審者がうろついてて、怖くて、逃げられなくて、」




 すでに腫れてしまった目から、大粒の涙があふれる。膝を抱えながら泣く女子生徒に、アベは上手く声がかけられない。



「……他の、先生は見なかったの?」


「え?」


「私の他に、体育の先生も、ヤマヅキ先生も救出に入ってるんだよ。見なかった……かな」



 対して、ショートカットの女子生徒が首を振った。



「探してたんだよ。でも、見かけなかった。ようやく見つけたのがアベ先生だったの」


「そ、そう……」



 背中に熱い汗を感じながら、アベは俯く。すると、膝を抱えて泣いている女子生徒の足が、青くなっていることに気が付いた。




「足、どうしたの?」


「踏まれたんです。逃げてる途中に転んじゃって、誰かに踏まれて、まともに歩けないんです!」




 女子生徒の号哭が、さらに声高になっていく。制服にくぐもったうめき声が、アベの耳をつんざいた。



 ショートカットの女子生徒が膝をつき、泣いている生徒の頭をなでる。その強かそうに見えた横顔も、よく見ると鼻の頭が赤くなっていた。

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