仲間?
しかしアベが叫ぶ間もなく、蜘蛛は動きを止めた。蜘蛛の足はヤマヅキの首に到達するか否かというところまで来ている。
「辟。遉シ蜊?ク」
その声は、言葉とも呻きとも判断がつかなかった。
ピクリ、と蜘蛛の足が反応する。突如としてヤマヅキの喉から発された奇妙な言語(?)は、不思議なほどに耳にこびりついた。
女は喉の奥でヒュッという変な呼吸をしたかと思うと、顔をみるみるうちに引き攣らせ、真っ白な額から脂汗をにじませた。女の瞳に映るヤマヅキには、何か不動なる威圧感があった。
「閼郁ц譁ュ蜃ヲ」
その言葉が響いたかと思うと、突如として女の口から、眩しいほどに赤くなっている液体がこぼれた。女はその液体に気づくと、人間か化け物か分からない悲鳴を上げ、ジタバタと廊下を転げまわる。ヤマヅキを縛っていた糸は、音もなくたゆんで切れていた。
カッカと光る、少しドロッとした液体を口から永遠に吐き続けながら、ジュっと焼けている自身の身と、焼けただれていく舌と口元の痛みに苦しんでいる。それをヤマヅキは、体に巻き付いた糸を払いながら、冷ややかな目で傍観していた。
「あれって……溶けた、銅?」
アベは唖然としながら、女の口元からあふれてくる液体を見つめてそう言った。液体は廊下に冷やされ、赤銅色になっていた。
「もういいでしょう、行きますよ」
ふと、アベはヤマヅキから声を掛けられる。先ほどの妙に耳に付く声ではなく、普段通りの冷静な声色だった。
「えっ? で、でも」
「何か?」
そう言いながら、ヤマヅキは何度か咳をした。口元に手を当て、胸の辺りを抑えながら、ガラガラとした咳をしている。その横顔は苦痛にゆがめられており、マスクはかすかに震えていた。
「急ぎます……。生徒たちが危ないので」
咳き込みながらも、呼吸を少しずつ整えながら、ヤマヅキは渡り廊下の方へと足を進めていく。その足元には、口元に大けがを負った、無惨な女の化け物が転がっていた。
「ちょ、待ってください!」
アベはその化け物におびえながら、足早に先を進むヤマヅキの方へ駆けていく。
「あんなの、ほうっておいちゃまずいんじゃ……」
「平気です。どうせもうじき迎えが来るとおもいますから」
「む……迎え?」
そう尋ねたアベは、ヤマヅキがいつの間にかマスクを脱いでいることに気が付いた。露わになった口元は冷静な表情をしており、左頬には、噂通りの大きな罰点の傷があった。
「ええ。分かるでしょう」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。何ですか? 私のことを、何だと思っているんです? こんな非常事態、経験したことないし、それに、何が起こっているのか……」
「でも貴方、陰陽師じゃないですか」
あまりに自然にヤマヅキが言うので、アベは一瞬、何を言われたのか分からなかった。
それ故に、咄嗟にとぼけることも、否定することも、反論することもできなくなった。
「え……?」
「知っています。貴方が日本陰陽師協会の次期会長だということも」
「……」
アベは思わず、自身の異色の左目に手を当てた。
「貴方の名前は安倍 清命(キヨミ)。いや、清命(セイメイ)」
淡々と言うヤマヅキだが、その隣でアベは真っ青な顔をしていた。背中には冷たい汗が流れ、脳裏には任務失敗の四文字と共に、現会長の怒号が幻聴として聞こえてきている。
「な、なんで……そんなこと」
「そりゃ、同業者なので」
再び平然として言うヤマヅキに、アベは目を向ける。同業者。
「え? もしかして、ヤマヅキ先生……」
「行きましょう。とりあえず今は、教師としての職務を全うしなければ」
そう言ってヤマヅキは前を歩く。しかしその口元は、歯ぎしりが聞こえそうなほどに歪んでいる。
彼女の手からひっそりと転げ落ちたマスクには、赤黒いような液体がこびりついていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます