不信

「な、何が……あったんです?」


 アベは震えを抑えた声で言った。目の前の光景はその状況を表すのに適しておらず、ただその閑散とした空気を醸し出すだけであった。


 アベの問いに、ヤマヅキは答えようという素振りすらも見せなかった。彼女は自身のマスクの位置を整えて、振り返らずに言う。


「早く行きましょう。急がないと手遅れになる」


 それだけを呟き、一階の奥の方へと歩いて行ってしまう。


「ちょ、待って! 待ってください!」



 アベはヤマヅキの早い足に引きずられるように、渋い顔をして背中を追った。



「今のは一体何なんですか? ヤマヅキ先生、何をしたんですか?」


 ヤマヅキは答えない。無言で歩き続ける彼女に、アベの容赦のない問の声が鳴り続ける。それでもヤマヅキは何も言わず、ただときどきにあからさまな溜息を吐くばかりだった。


「や、ヤマヅキ先生? あの……」


「静かにしてください」


 アベが困惑に似たような声を上げると、ようやくヤマヅキは立ち止まってそう言った。だが、その声には隠す気のない嫌悪感が含まれている。


「そういうの、いらないので」


 ヤマヅキはちらとアベの方を一瞥したかと思うと、またすぐに歩きだしてしまう。それに対してアベは何も言うことが出来ず、一瞬だけ立ち尽くした。どんどんと離れていくヤマヅキの背中は、心なしか威圧感が出ているような気がした。


 (そういうの、って何? なんでヤマヅキ先生はあんなに怒っているの? 私が何か気に入らないことしちゃったのかな……)


 俯きそうになる頭に気づき、彼女はハッとして顔を上げる。いけない、と自らを一喝し、もう突き当りの方まで行ってしまったヤマヅキを、恐る恐る追いかけた。




 その後、1組から5組までを調べていったが、特に異変は見られなかった。荒れたまま静かになった教室が広がっているだけであり、不審者の影も形も見られない。廊下に転がったままの不審者の衣服だけが残り、現実離れした不気味な印象だけが漂っていた。




 ヤマヅキがようやく足を止めたのは、音楽室の前だった。


 蛍光灯の明かりが届ききっていない、薄暗い場所である。普段ならば何気なく思うその場所だが、この非常事態になると、途端に気味の悪い場所へと変貌する。


 ようやく追いついてきたアベを振り返りもせず、彼女は音楽室の扉に手をかける。


「音楽室も調べるんですか?」


 そう言うアベの声は少し緊張しているようだった。


「はい。生徒たちが隠れているかもしれませんので」


 やはりヤマヅキは、アベの方を見向きもしない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る