神主を支える人たち:夜
その後は香月と夕飯を食べ、後片付けは香月に任せて風遥は外に出た。
ベンチの方へ歩き、何となく町を見下ろす。今は雨は降っていないが、階段下の水路のせせらぎが大きく聞こえる。
すると空を駆けるようにこっちに向かってくる大きな影が目に入る。それが狛犬姿のレヴァイセンだと直ぐに認識、図らずも彼を出迎える形になった。
レヴァイセンはご丁寧に鳥居をくぐってから曲がって風遥の横に着地、人型の姿へと変化した。
「戻ってきたな」
「おう! しっかり歪みは閉じてきたぜ」
「なら良かった。
……それでだな、これからあんたに会わせたい人がいるんだ」
ついてきてくれと言って歩き出す風遥。
「こんな時間に来るなんて珍しいな、智秋か?」
長時間仕事していたので人間なら休憩したいところだろうが、そこは理。疲労も見せず文句も言わずついてくる。
「いや。智秋さんとはお昼に会った」
玄関から入って左に曲がり、社務所を通過し、拝殿へ。
祭壇の横に灯火で柔らかな明るさが燈るそこは通り過ぎ、廊下の隅に置いてある手持ちの行灯を点けてさらに奥へ。
「神器の間じゃねえか。
ここに入れるのは、神主と陽使だけだろ?」
「そうだ」
一見すると固く閉ざされているように見えるその閂を引き、扉をそっと押し開ける。
中は既に仄かな明るさに満たされ、青白い光が蛍の様に飛び交っている――ああ、既に待っているようだ。
「……!? 風遥、これは……?」
風遥は行灯を部屋の片隅においてからその中心まで歩みを進めるが、レヴァイセンは正体不明の光に気後れしているのか入ってこない。
「早く入って扉を閉めてくれ。そうじゃないと呼べないんだ」
実際のところ扉を閉めなければ呼べないというのはレヴァイセンをこの場に引き入れるための理由付けなのだが、実際開けたままでは声をかける気分になれないのは確かだ。
「あ、ああ……」
風遥に促され、おずおずと入室し扉を閉めるレヴァイセン。怪しんでいる訳でも恐怖している訳でもなさそうだが、何か分からない、というのは、理にとっては居心地の良い感覚ではないのだろう。
そしてレヴァイセンが風遥の隣に来たところで、風遥は空間に向かい呼びかける。
「……連れてきたよ――父さん」
「え?」
聞きなれない単語に風遥の方を向いたレヴァイセンだったが、すぐにその空間の変化に気づいて視線を戻す。
ふわふわと漂っていたそれが1カ所に集まり、やがて風臣がそこに姿を現した。
「待ってたよ、2人とも」
「か、風臣っ!?」
微笑みかける風臣と、驚愕に目を見開くレヴァイセン。
耳と尻尾をピンと立てながらその姿を上から下まで眺めると、実体を確認するかのように風臣の肩を掴む。
「……っ!!」
その手はすり抜けなかったのだから、いよいよレヴァイセンの表情に歓喜が混じる。
「風臣、おめー……生きてたのか……!?」
「いや。この私は神器によって再現されたコピーだ。最終同期は13年前の10月20日、ただし完全ではない。
……本物の私の生死については不明だけど、13年で手掛かりひとつ得られないなら、恐らくこの世にはいないのだろう」
しかし風臣は首を横に振って、どこか悲し気に自らの死を示唆した。
「! ……だ、だよな……」
言葉を詰まらせつつ、レヴァイセンは手を下げる。耳も尻尾も下がった。その分かりやすい感情の落差は、最初に風遥が風臣と会話したときのそれを見ているようだった。
……一瞬、風臣もそれを気にしたようにも見えたが、すぐに微笑みに戻る。
「風遥が継承の儀を終える事が起動の条件となっていてね。
最初は風臣が残したこと以外は何も分からなかったけど、今では神器から色々な情報を引き出せるようになってきたよ」
「そうなんだ」
言われてみると最初は自身の生死については「分からない」と言っていたと思うが、色々な情報を神器から得たことで自分なりの推測が出来るようになったのか。
「風遥にはこの間『今度困ったことがあったらレヴァイセンを連れておいで』と伝えたんだ。
……実は、コクトがこうして私達に直接害を与えてくることは、私が新人の頃にもあったから、それを懸念しての事だ」
「やっぱり……」
その懸念は正しかったし、一種の予言のようにもなっていた。もっとその辺りを先に深く話してくれても良かったように思えるが、聞かなかったのはこっちもそうだからお互い様か。
「出来ればそうならないで欲しかったんだけど……辛かったよね、2人とも」
何よりも風臣から沈痛さが伝わってくるので、文句は言えなかった。
「うん。正直、神主を辞めたいって思った」
「風遥を守れなくて……すっげー、辛かった……」
風臣を見つめ正直に頷く風遥と、俯いてポツリと呟くレヴァイセン。
「……あの時ばかりは、風遥の傍にいられないことが、もどかしくて仕方なかったよ。
私が代わりに戦えればと、何度思った事か。
……すまないね、2人とも」
「父さん……」
前は『代わりに戦うことは出来ない』とぴしゃりと言ってきたというのに、まさかそのように思っていたとは思わず、胸がキュッとした。様々な情報を引き出すうちに、本来の風臣の性格に近くなっていっているのだろうか。
……だとすると、もう別れの時が近いというのがより切なさを帯びてくるわけだが、今は考えないでおく。
「私達の場合、コクトの精神攻撃の最中何を見せられていたのか、その具体的な記憶は残されていないんだけど……私は3日間くらいはまともに起き上がれなかったし、アルも半日以上動けなくて……智秋さんとソラリスに、町の事はお願いせざるを得なかった」
香月の証言と一致する。3日間も動けない状態というのはもはや精神だけで受けきれず全身症状として出ている、いわば病気のようなものではないだろうか。
「俺達の時より、ひでぇ……」
レヴァイセンも痛ましげ呟く。通常、最大半日であるはずの理の修復がそれで終わらなかったというのが、それを裏付ける。
「しかも、また満月の日に来るって言われて……今度は本当に殺されるんじゃないかって、物凄く気が滅入ったよ」
苦笑しながら目を閉じる風臣。そう語る口調こそ過去の事としての軽さがあるが、当時は相当重たかったに違いないし、さぞ逃げたかったのではないかと思う。
「そこまで、俺達と一緒だったんだな……」
レヴァイセンは眉をひそめながら腕を組む。
「それで、父さん達はどうしたんだ?」
風遥の問いかけに、風臣は少しハッとなった様子で目を開ける。何かに耽っていたのかもしれない。
「……復調した時点で満月まで1週間だったから、祓廻り以外の所用は全部キャンセルさせてもらって、対策を考える時間に充てることにしたんだ。
“コクトに一切触れる事もせず、かつ触れさせず追い払う”と決めて、その具体的な方法を確立したよ」
「どうやって?」
「私の半径3m、そのあらゆる方向に糸を張り巡らさせたんだ」
「……糸……?」
「うん」
曰く、その糸は「璞を感知する」と「神主の力を通す」の2つの機能を兼ね備えたもの。璞を研究したい神主と理が協力し合い、璞を捕らえる技法として記録されていたらしい。
そして風臣たちは、それを応用すれば「感知した璞を、弾いて追い払う」ことが出来ると考え、自分たちの戦略に取り入れたそうだ。
「そんな難しい事を、1週間で……?」
神器に聞けば何でもわかるとは言っていたが、そんな技術まで神器に記録されているのは驚きだったし、それをすんなり取り入れ応用まで考えた2人の能力の高さをただ尊敬する。
「やってることは単純だよ。
糸はアルが全部張り巡らせたんだ。さながら蜘蛛の巣みたいにね」
「…………」
さらりと答える風臣だが、レヴァイセンの方を見ても小難しそうな顔をしているので、多分単純ではない。
寧ろ、本当に同じ新人がやった事なのか? 元々の立ち位置が全然違う気がする。
「後はひたすら練習。最も効率の良い方法を求めて何度も微調整したよ」
一体化した状態でアルフィードが璞を感知し、その情報をもとに風臣が璞を弾くと役割を分担し、それぞれが最小限の負担で済むような加減を探っていたらしい。
「そして当日――ちょうど月が昇る頃、コクトが現れた。
私達は逃げるようにしてコクトを所定の場所に誘導したあと、接触してこようとするのを弾き続けた。一度でも失敗したら同じ目に遭うと思うと、一瞬たりとも気を抜くことは出来なかったよ」
「…………」
細かな理屈は抜きにしてもどんな感じだったのかの想像はつく。どこから現れるか分からない上に間隔も不規則のはず。さぞ緊迫していただろうなと、自分事の様に固唾をのむ風遥。
「いわば持久戦だ。夜通し戦っていたよ」
「「!!」」
が、よもやそれが夜の間ずっと続いていたとは思わず舌を巻く。少なからず風遥には無理だ、そんな耐久力は無い。
「それで先に、コクトの方が根を上げた」
行っていることはあくまで弾くだけだったが、神主の力によるものなので徐々に消耗していったようだ。あのコクトが最後は人型の姿を保つのも怪しくなり、自ら空間を歪ませ逃げ道を作り、まさに脱兎のごとく逃げて行ったそうだ。
「ちょうど夜明けだったんだけど、あの時の朝日は本当に美しかったよ」
「凄い……」
穏やかに笑っている風臣に向かい、風遥は半ば呆然と呟く。
「……俺達にも、そんなことが出来るのか……?」
声にも表情にも明らかな不安をにじませているレヴァイセンの肩を、今度は風臣が触れた。
「出来るさ。
特にレヴァイセン、君はもう少し自分に自信をもっても良いと思うんだ」
「! で、でもよ……」
「君は、神器の力をまだ知らない。
……折角アクセスできる権限を手に入れたのに、活用したこと無いでしょう?」
風臣の指摘にうっ、と言葉を詰まらせ、俯くレヴァイセン。
「……無い。せんせーには、近づくなってずっと言われてたから……」
どこか悔しそうに言うレヴァイセンの肩を、ぽんぽんと叩く風臣。
「今は君が神守町の正式な陽使だ。止める人は誰もいないよ」
「……っ!」
その優しい眼差しと励ましの言葉に何か琴線に触れるものがあったか、口を引き締めたレヴァイセン。ふるふると首を横に振ってから、縋るように風遥を見た。
「……良いのか? 風遥」
「良いに決まってるだろ」
ここまで言われて何故俺が拒否するとでも? 愚問でしか無いので無表情に一蹴する。
「ぅ……」
しゅん、と耳が垂れ下がった。縮こまった様子が飼い主に怒られた犬そのもののようだったので、風遥は背中を叩く。
「もっと堂々としろ。そんなんで俺を守れるのか?」
「……! だな!」
一瞬目を見開いたレヴァイセンだったが、風遥の一言でしゃんと背筋が伸びた。スイッチのオンオフで済むようなこの気持ちの切り替えの早さは流石理だなと感心する。
「決意は固まったようだね」
「ああ」
その確認に風遥はひとつ大きく頷く。父親たちの奮戦に圧倒されていたが、今度は自分たちの番なのだと覚悟を決める。
「おう!」
レヴァイセンは気合十分な笑みを浮かべている。大丈夫そうだ。
「君たちのやり方で、コクトに対抗する術を考えるんだ。
――神器は、その意思に応じた答えを授けてくれるからね」
それは、新人神主への試練にして、風臣からの最後のチュートリアル。
思えば風遥も風遥で、神器の活用についてはまだまだ不足していたのを実感する。なので、神器の真価を学習する良い機会と言えばそうなのだろう。
「この件については私も全面的にサポートする、勿論当日もね。
本来の私の役割からすれば見守る事が正解なんだろうけど、もう見てるだけは嫌なんだ」
「……!」
その一言の、なんと心強い事か! 朧気だった希望がいよいよ輪郭を帯びてきた。
「きっと本当の風臣もそうしたはず。だから“私”にも手伝わせてね、風遥」
そう言って風臣は白斑眼鏡を押し上げる。そこに添えらえた茶目っ気な笑顔はまさに、風臣そのものの表情なのではないかと風遥は思った。
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