立ち止まりわが身顧みる感情に

 満月の夜の璞狩りは、コクトに荒らされたことでその璞の更なる活性化を促されてしまった。浄化のための手数が増え、その分負荷がかかるようになってしまったのだ。

 最低限の仕事はした。ただ、ここからどうするか。このまま単独で続行するか、応援を呼んで続行するかどうかの判断に迷った。

「……浄化に適した璞の存在は、半径1km以内にはいない」

 周辺の璞に狩り時の璞は見当たらないし、空間としてもそこまで璞優位でもなさそうなので応援を呼ぶ必要は無い。かつ自分の消耗具合から考えると、今夜はこの辺りで一旦引き上げた方が良いのではないかと判断する。

『足りない。それでは神主の不安を取り除くことは出来ない』

 しかし直後に私の声がそれを否定する。この声が何を元に判断したのか分からないが、確かに主の不安を取り除くためには一体でも多く浄化すべきだろうと納得し、単独での活動時間を延長することを決めた。

 ……それからおおよそ10分後、そこで活動の記録が途切れている。

 そうして最終判断を間違えた結果レヴァイセンは行動不能となり、結果として主の手を煩わせることになってしまった。

 これ以上主に迷惑はかけられない――そう思って、レヴァイセンは陽使の契約の解除を申し出た。


 そうして今、レヴァイセンはひとり神守神社の裏手にいる。

 目の前には小さな社。ここは理の領域に通じる空間で、既にその扉は開いており白い光をたたえている。

 この光に触れれば、あるいはもう一歩踏み込めば、たちまち世界を越え自身の世界へ帰還となる、が……

「…………」

 領域に戻れば、契約を解除したいきさつを説明することになる。その理由に陽使は不適と判断されれば、ソラリスの言う通り資格ははく奪となり、狭間に赴くことは二度と無くなるどころか、関連する情報を全て消去されるかもしれない。

 すなわち、13年前より更に以前の活動も含む陽使としての神守町での記憶、その全てが無かったことになる。当然、主の事も、全て。

(風遥様……)

 最初、彼は全てを忘れてしまっており、神主になるつもりはないと言っていた。なのに私を助けるためにと神器を手に取ったのだという。あの時の主は、私の名前すら知らなかったと言うのに。

 つまり私は、主に生かされたも同然。契約を結んだのならなおのこと、主の為にこの身を捧げるべきなのに、それと真逆の事ばかりしているではないか。

(私は……)

 命を懸けて風遥神主を護ると誓ったはずなのに、その責を果たせぬままの帰還、そして初期化……これで、本当に良いのだろうか。

『これで良い。レヴァイセンはこのまま初期化されるのが望ましい。 

 ……その失態の重さを、再度認識する必要がある』

 己の声が反芻する。目覚めてから暫くして、この声が事あるごとにこうして拒否や批判を示してはレヴァイセンの行動を律して来た。まるで師の残滓のように。

『契約を解除する判断は間違っていない。他の陽使に任せ、初期化されることを強く推奨する』

 分かっている。けれど、どうしてか足が動かない。風遥との契約が解除された今、自分がここに留まる理由など無いはずなのに、強い抵抗で微塵たりとも動くことができない。

 何かを忘れているから? そうだ、せめてちゃんとした挨拶と、責務を果たせなかったことへの謝罪をしなければ。

『その必要は無い。その行為は、不必要な感情を呼び起こさせる為』

 冷徹な声に息が詰まる。不祥事を起こした理は、主への別れの挨拶も許されないのか。

『お前の勝手な行動は――神森風臣と、アルフィードの死も無駄にしかねないもの』

「…………」

 先代と師の死。あの日の記憶は断片的だが、2人の死亡あるいは消滅してしまった原因を思い出すことが出来れば、それは風遥にとって有益な情報となり得るだろう。

 これが領域に戻れば全て消されてしまうのであれば、最後にせめて、それを風遥に託すことは出来ないだろうか。

 まずは風臣の記憶を思い出そうとするも、やはり先日風遥に説明したまでの記憶で途切れてしまう。拒否されるわけでは無く、本当に存在していないようなのだ。

(駄目か……)

 ならば師との最後の記憶は? こちらは該当する映像が見えてきた。始めはノイズ混じりだったが段々と鮮明になってくる……良かった、この記録は修復できる範囲だった。

 レヴァイセンは目を閉じて、その情報を分析する。


 ――破壊された結界を修復し終えた師は、私に風臣先代の元へ向かえと言った。

 頷いた私は、踵を返して向かおうとした。

「レヴァイセン」

 けれどすぐさま師は私を引き留めて、

「お前は、好きに生きろよ」

 そう、言っていた。

 普段は私に眉を顰め、時に怒号を上げる師だと言うのに、穏やかに微笑んでいたのだ。

 それが初めて見た師の表情にして――最期の姿となった。


 ……それは、風遥にとって有益な情報ではないのかもしれない。ただ、今のレヴァイセンの思考に影響を大いに与えるものだった。

「……好きに、生きる」

 ゆっくり目を開けてぽつりと呟く。好きに生きるとは、どういうことだろうか。

 思えば先の風遥神主も『好きにしろ』と言っていたが、師と表情は真逆だった。

『そうだ。お前の失態が、彼を失望させたのだ』

 私の失態によって? ……そうだっただろうか? 主が失望した時の状況を再度思い起こす。

 確かに、ソラリスの背に乗っている主こそ口を引き締めてはいたが、それまでは至って普通の範囲内、寧ろ自分の失態をフォローしてくれる様子まであった。

 ならその表情を一転させた瞬間はいつだったか? 私が、契約の解除を持ちかけた瞬間だったではないか……!

「違う……」

 彼は何度も私に、『あんたはどうしたいんだ』と聞いてきていた。思えば、私は、それにちゃんと答えていただろうか。

 いや、確かに私は私の声に言われるがままに頷いたし、持ち掛けた。分析の結果導き出される結論が頭の中を声として流れているのだから、それに間違いはないのだ。

 それが私、レヴァイセンの意思。そう思っていたのだが、ならその意思を良しとしていないこの違和感は何なのだ?

 ……契約を解除してもなお、主と呼んでいる、この矛盾は何なのだ?

「私は、本当は……」

 そうだ。私は、本当は契約を解除したくなかったのだ。だからこうして、ここに残る理由を探している。

 それがレヴァイセンの本心だったのに、伝える事が出来なかった。主にあのような顔をさせてしまったのは、それを隠していることを見抜かれていたから。

 ――私は、信頼を寄せてくれていた主を裏切ってしまったのだ。

「風遥様、申し訳ございません……」

 声が震えている。特定の情報に対する過剰反応が起きたことで、発声機能に影響が出ているようだ。これも新たな不具合となってしまうのか。

 それに、先から内容不明の要求が何度も何度も立ち上がっては無理矢理に消されている処理が行われている。恐らくこの要求は思考の私が出しているもので、処理を行っているのは「声」の私だ。

 だから、私はこの要求を解析する必要がある。この内側からあふれ出ている衝動的な事象を解消するまでは、領域には帰れない。

 その要求は受け入れられずとも押し付けたいもので、理にかなっていなかったとしても通そうとしたいもので、ただただ自分を納得させるためでしかないものだとしても構わないもので――例え身勝手だったとしても、「そうしたい」という強い意思となって、叶えたくてやまないもの。

(そうか、これが……)

 “好きに”という意味。自分がそうしたいと思うままに行動すること。

 ならば、私は……

「私は、貴方様とときちんと話がしたい……」

 目を伏せて俯く。契約の解除は本意ではなかった、もう一度機会を与えてはくれないかと請うのだ。それで断られる分には構わないが、伝えられないまま初期化されるのは……嫌だ。

『その必要は無い。今すぐに領域に戻れ、レヴァイセン』

「…………」

 この自分の声は、どうしてもレヴァイセンを初期化させたいらしい。

 こうして思考する私と、声となって響いてくる私の意思が一致していないのは何故だろうか。……恐らくおかしいのは“私”の方。自分が今抱いている願望は、理の生き方にそぐわないからだ。

「……拒否します、レヴァイセン。私にはその判断の元となる正当な理由があります」

 けれどそれを分かった上で、真っ向から「理」に対峙する。師の遺言と主の意図、そのふたつに背きたくない。例え命ずるのが自分の声だとしても認められるものではないのだ。

 もとより、それを否定出来る理由も無い。初期化が回避されることが確定しているわけでは無いからだ。だから、

『それで、本当に良いんだな?』

 どこか諦めたかのような様子で、そう一言だけ戻ってきた。

(はい。

 ……風遥様、今一度お傍に行くこと、どうかお許しください)

 顔を上げて、理の領域への扉を一旦封じ光を消す。主はこのまま待っていればいずれ戻ってくるとは思うが、今はとにかく動いていたいので迎えに行くことにする。

 まだ先に降り立ったところにいるはずだ――それは、陽使を解除していてもなお、機能ではなく予感として、レヴァイセンを迷いなく走らせたのだ。

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