寄り添う白と一輪の桜と

 目的の場所に向かうと、深くベンチに座る主の姿を見つけた。

 ただ横に立っても反応が無いので覗き込むと、目を閉じている。

 ……一定の周期での安定的な呼吸を確認、眠っているようだ。レヴァイセンの再起動に神主の気力を要した反動だろうか。

「失礼致します」

 璞が目をつけてなくてよかった。迷いなくその身を抱えあげると、

「!?」

 ひどく驚いた様子で目を見開き、こちらを見上げる主。数回の瞬きの後、訝し気に首を傾げた。

「……レヴァイセン?」

「はい。話をしたいと思い、迎えに参りました」

「今更何を……」

「私は貴方様に、信頼関係を損ねるような事態になった場合、対話が必要と話しました。

 今が、その時であると考えています」

「なら普通に起こしてくれればよかったんだが、この体勢はどういうことだ?」

 露骨に嫌そうな顔をしている。思えば横抱きにしたのは2度目だが、前回もあまり好意的な反応では無かったか。

「体力の消耗が見られますので、神社までお送りいたします。ご移動しながらお話しする方が効率も良いでしょう」

「その必要は無い、降ろせ。自分で歩ける」

 だからそう命令されたが、それを受け入れるメリットよりもリスクの方が大きいので却下だ。

「恐れ入りますが承服致しかねます。

 また、先程好きにしろと仰っていたので、好きにさせて頂きたく申し上げます。よろしいでしょうか?」

「………」

 ふーっと溜息をつき、そっぽを向く主。ただそれ以上何も言ってこないので、了承とみなし思いを伝える事にする。

「……私は、それこそ陽使として初めて神守町に赴いた時から、事あるごとに失態を重ねては師を怒らせておりました」

 主を抱えながら桜並木の下を歩く。桜の枝には膨らんだ蕾が多くあれども、まだこの辺りの木々は開花するに至っていない。

「その経緯からして、やはり私では力不足と判断し、契約の解除という判断となりました。貴方様を失わせてはならなかったから」

 師がいる頃なら、自分の失態は師がフォローしてくれた。けれど今は一人でありそのフォローが出来る人物がいない事も、解除の判断材料としては十分だった。

「ですが……

 私は風遥神主との契約を解除し、領域に戻りたく無いというのが本心でした」

 そこで主が自分を見上げてきたので、こちらも足を止めてその白の双眸をじっと見つめる。

「風遥神主、どうか私に今一度機会を与えて頂けませんでしょうか。

 神守の、陽使として」

 上半身を緩く傾け、目を閉じて今出来うる懇願の姿勢を取る。

「……確認したい事がある」

 主の声は平静。即座に拒否されなかったのでまだ望みがありそうだと目を開ける。

「何でしょうか」

「ソラリスが、あんたの機能は不具合を起こしているとか言っていたが、それはどうするんだ? また同じことが起きるのは困るぞ」

 それは最もな指摘だが、既に回答は出来ている。それは、私に最も足りなかった事だと、今なら分かるから。

「――その件については、恐らく解消できると考えております」

 だからそう切り出した私の声に、迷いは無かった。

「ほう?」

「私に制限をかけていたのは、他ならぬ私自身。ただし私の思考と一体化したものではないと認識したからです」

「……どういうことだ?」

 懸念点が払しょくされることへの期待の視線は一転、主は小さく首を傾げた。

「思考判断する私とは別に私を監視する存在がおり、それが指示する制限に従っていたのです」

「多重人格なのか?」

「いえ。それは別人格という程確立された存在では無く、あくまで私の思考の一部。ただ、レヴァイセンの意思決定への影響力が強いのです」

「そうか」

 やや曖昧な返事のようだが、全く理解できていないというわけでもなさそうだ。

「故に今までは命じられるままそれに従ってきましたが、それは私全体からすると思考停止の状態であると気づき、抵抗する事にしました」

 今まで自分を制限してきたものについて、“私”なりにそう判断した理由があるのだからと何一つ疑ってこなかった。能力の制限も、任に支障が無ければ問題ないと思っていた。

 けれど自分で改めて「本当にそれで良いのか?」と深く自問しなかった結果、こうして主に迷惑をかけることになってしまったのだから、これからはもっと思考を走らせなければならない。かつて師が行っていた役割を、主に担わせるわけにはいかないから。

 ……これが、私なりに行き着いた再発防止案。

「それに……」

 そしてもう一つ、これからは制限を認めてはならない理由がある。それは最も重要な、レヴァイセンという理の存在の前提。もしあの時霜月ハクトが、名も知らぬ理の言われるままに逃げていたのだとしたら――レヴァイセンは、確実に消滅していたという事実。

「私は貴方様の決断によって生かされた身。ならばその全てを貴方様の為に捧げるべきですし、そうしたいのです」

 それが、今この瞬間のレヴァイセンの存在意義だ。この前提を他ならぬ目の前の主によって否定されないことには、初期化されるわけにはいかなかった。

「これが私の意思です、風遥様」

 そして先程の主からの問いかけに、やっと正直な気持ちで回答出来たので……伝えられることはこれで全て。あとは主の判断を待つだけだ。

「……分かった。もう変な制限はするなよ」

 暫くの沈黙の後、主はふっ、と微笑んだ。その反応に、期待する回答が得られるのではないかと気分が高揚する。

「……!

 それでは、陽使の契約の解除については、取りやめと言う事でよろしいでしょうか……?」

「ああ。というか、俺の方から解除はしてないぞ」

「っ……!!」

 言われてみればこちらが一方的に言っていただけ。やはり主はレヴァイセンの本心を見抜いていたのだ。その高度な気づかいに感銘を受け身震いする。

「ありがとうございます、風遥神主……!」

 そう告げた感謝には二つの意味がある。一つは契約の続行、そしてもう一つは――信じてくれていた事。流されるままだった私の態度はさぞ不快だったろうに、それを表に出すのは最低限にとどめ、私が己で気づけるようにと導いてくれていたのだ。

 何て聡明な方なのだろう、この方にお仕えできることが嬉しくて仕方ない。

 その感情の赴くまま空を見上げると、桜が一輪だけ咲いていたのが目に飛び込んできた。

「あ……!」

 春の始まりを明確に告げる、薄桜色の小さな花。

「……どうした?」

「風遥神主、桜が咲いています。ほら、こちらの上……」

 そう指を差そうとして抱えている状態であることに気づき、必死になって目で訴えることになるが、そこまで高い位置にあるわけでも無いのが幸いだった。

「ああ、そうみたいだな」

 程なくして気づいてくれたようで、主も一つ頷き、同じ花を見つめた。

 …………

 何故か今はとにかく喜びが強く、落ち着かせるためにもと溜息を一つ。ずっと観察していた甲斐もあり、主に桜の開花を知らせる事が出来たからだろうが、どうもそれだけではないらしい。

この高鳴りを伴った胸の内を言葉で表現するには何が適切なのだろうか。人間なら「可憐」や「美しい」といった言葉を使うのだろうが、理はそれを感じ取ることは出来ない。

 けれど何故だろうか、今はこの小さな花が特別なものに感じられ、もっとその意味を知りたくて、感じたくて、結果としてまじまじと見つめ続けている。

「……花が一つ咲いているだけなのに、妙に惹かれてしまいます」

「理も自然を愛でる感覚があるんだな」

 ぽつりと呟いた言葉を主は流すことはせず、寧ろ適した表現を添えてくれたようだ。

「愛でる……」

 言葉の意味を確認。対象(主に動植物。人の場合は立場が限られる)を慈しみながら鑑賞する振る舞いを指す。

 主も同じように桜の花を見上げているから……私は今、この桜を主と同じような感覚で見ているという事なのだろうか……?

「レヴァイセン」

「!」

 しまった、早く神社に戻らなければならないのに夢中になっていた。急がなければと抱え直して、主はそれを止めるように静かに首を横に振る。

「……確信したことがあるんだ」

「何をでしょうか?」

 話したい事があるようだ。それも、何か重要そうなこと。となれば、下手に動かず聞くのに専念した方が良さそうだ。


「俺は、13年前のあの日も――あんたにこうして抱えられてた」


「……!!」

 目を見開く。レヴァイセンの中にその記憶は確認できないが、主がそう言うならそれは事実に違いない。

「多分、父さんを探して商店街のあたりまで戻ってきてたんだ。それで、火事とかに巻き込まれた。それを見つけたのが、あんただったんだろう。

 ……当時の俺はそれが誰なのかは認識できてなかった。ただ、映像としてはちゃんと残っていたんだ。金髪で、水色の目で……頭には犬耳もあった」

 ふっ、と柔らかく微笑む主。

「……だから、俺もあんたと同じだ。だって、あの日俺を助けてくれたのは」

「違う」

 その優しい声に被せるように否定するも、直後には強い戸惑いに変わる。何故なら――

(え……?)

 ――今の否定は、私が意図した発言では無かったから。まるで、監視していた“私”が私を一時的に押しのけて割り込んできたかのような――

「…………」

「……レヴァイセン?」

 きょとんとした表情で問われ我に返る。主からすれば、今の一連は、強い口調で唐突に否定されたかと思えばぼんやりしているという妙な挙動に見えている。

「あっ、いえ、その……

 申し訳ございません。私の方にそのような記憶が無いものですから、つい……」

「そうか。あんたの方の記憶も、戻ると良いんだがな」

「ええ、それは、本当に……」

 頷く。とりあえずこの場は主を不快にさせずに凌げたが、一体何故そのような反応が起きたのか……?

(今、否定の言葉を発したのは“貴方”ですか? レヴァイセン)

 念のためそう問うてみるも、返事は無く。

 ひゅうと風が吹いて、桜の枝と花が小さく揺れるだけだった。

 

 

 その日、レヴァイセンの心に小さな花が咲いた。

 ……そう、今日がはじまりの日になるのだ。

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