四章 春の終わりに考えるおめーの事

機能解禁:擬態

 5月に入った。桜花は瞬く間に散り黄緑色の葉となったが、山々もそれに続き、萌ゆる春は新緑の初夏へとその様相を変えつつある。

 また、田植えに向け各所の水栓が開かれた。だから町内の水路からせせらぎの音が響くようになり、自然の力が強まったように感じられる。

 そうして水が田に巡らされて町のあちこちで水鏡ができあがり、まだ雪の残るアルプスの山々を静かに映し出す。畔を境界とした上下反転の景色は、時にどちらも本物であるかのように鮮明。主とってそれは何か心惹かれるものがあったらしく、買い物帰りの道で少し立ち止まり、風に水面が揺れてもなおその鏡を眺めていたのを記憶している。

 そんな主こと、神森風遥が神守町の新たな神主となってひと月。陽使であるレヴァイセンの生活もかなり固定化されてきた。璞狩りと、神社の一部管理と、風遥の神事に付き添うのが日課。

 そして今は、僅かな自由時間の最中。かつてレヴァイセンは桜の樹木の観察を行って過ごしていたが、開花したところで興味を失った。なので今は鳥居横のベンチの前に立って、目を細めながら遠くを見つめている。

「………」

 神守町の特徴の一つと言っていい光景、聳える山々。これから本格的に雪が溶けていく訳だが、人々にはこのシーズンならではの愛で方があるので、それを理である自分も愛でる事が出来るのか、検証してみたくなったのだ。

「何見てるんだ? レヴァイセン」

 すると風遥が話しかけてきたので、一旦観察は止めて振り向く。風遥は人間の中では非常に珍しく、髪、肌、瞳その全てが雪のような白。しかし雪解けの季節を迎えても、主のその白が変化する様子は無さそうだ。

「はい。雪形を探しています」

「何だ、それは?」

「まだらに溶けた雪とそこに露出する山肌が、場所によっては動物や人の形に見えるとのことで、以前風臣先代に教わった形を探しておりました。あの辺りに、“たねまきじいさん”というお方の雪形があるようで……」

 そう言って該当する場所を指差す。山の一角の頂付近に出現する『たねまきじいさん』というのは、文字通り種を蒔いている老人の雪形らしいが……まだ雪解けが足りないのだろうか、それっぽい姿は見当たらない。

「……さっぱり分からんな」

 レヴァイセンの指先を視線で追っていた風遥も同じこと思ったようで、肩をすくめる。

「ええ。もっと正確な情報として記憶しておくべきでした」

「まあ、見つけたらまた教えてくれ」

「はい」

 頷く。あと5分で14時なので、少し早いが昼の見回りでも始めようか。


「――それでだな、ちょっと頼みがあるんだが」


「はい、何でしょうか」

 ……と思ったのだが、風遥がそう切り出してきたので前倒しは中止。主の話を聞くのが最優先だ。

「今度の日曜、友達が来ることになった」

「そうですか」

 風遥は13年にわたり、近隣の市である道崎市で“霜月ハクト”として過ごしていた。その頃に出来た友達はいわば風遥を支えてくれた恩人にも相当するので、陽使として是非挨拶はしておきたい。

「それで、その間、あんたは璞狩りに行くか、球体化するかして、その友達から見えないようにしててほしいんだ」

 のだが、早々にその目論見が崩れた。どうやら会わせたくない理由があるようだ。

「僭越ながら、理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」

 友人との時間の邪魔をするつもりは微塵も無いが、レヴァイセンの存在そのものを隠すという行為そのものについては、その事情を聞く必要はあると判断した。

「ああ。友達は俺の仕事は神主だと知ってはいるが……一般的なそれと違うという事は、徐々に話していこうと思ってるんだ」

 そう言って、風遥はレヴァイセンの頭部を指差す。そこは犬耳が生えている箇所。

「だからあんたのような異種族がいきなり出てくると、厄介なことになる」

 ……把握。道崎市では理の存在はほぼ認知されていないようで、眷属とヒトが混合したこの姿は人間からするとかなりの混乱を招くらしい。なので理達は、神主の前以外では姿を変えるのが常だと聞いたことがある。

「成程、意図は理解致しました。では……」

 その機能はレヴァイセンにも備わっているが、再起動してからは一度も使用していない。

 動作確認兼ねて起動を試みようとするも、何かによって要求がはねられる。

『擬態機能は不要。主の命に従うべきだ』

 ――直後、例によってまた否定の声が聞こえてきたので、胸中でレヴァイセンは溜息をつく。

(またか……)

 それは、自分自身への監視機能。13年ぶりに再起動した直後にはこのような現象は起きていなかったので、一度領域に戻って再精査してもらったときにこの機能は起動したらしい。

 そしてもうひとりの自分とばかりに事あるごとにこうしてレヴァイセンの行動や思考を否定、あるいは批判しては、レヴァイセンを制限しようとしてきた。

 一時はそれに従うあまり風遥との関係性が途絶えかねなかったのだが、逆にそこまで陥って初めて、その機能の異常性に気づいたのだ。

(いいえ。私も、風遥神主のご友人に挨拶する権利はあります)

 だから今はこうして、適時反論するようにしている。勿論、相手も納得できる理由を添えて、だ。

『主の友人を知って何になる?』

(明確な解は出せません。ただ、風遥神主の過去への興味があり、ご友人からもその情報は何らかの形で得られることでしょう。

 また、風遥神主の過去を知る事で、相互に協力して行う任務が行いやすくなる可能性がありますが、知る事による危険性はありません。

 以上が見解となりますが、異論はありますか? レヴァイセン)

『……神主への必要以上の介入は非推奨だ。その点は弁えているな?』

(無論です)

 そう言い切ったところで、声が聞こえなくなったので、了承が得られたという事だろう。

 ……この間、10秒程。何か言いかけて沈黙してしまったレヴァイセンを、風遥が怪訝な目で見ているので、慌てて擬態機能を起動する。

 レヴァイセンの体は光に包まれ、人間の姿へと変化していく。

 獣を象徴する耳や尻尾は消え、手の指も人の丸みを帯び、和服も一部変化させ足袋を装着――これでどこからどう見ても、金髪碧眼の人間男だ。

「あんた、その姿……!」

 風遥が驚きに目を見開いているので、にこりと微笑む。人間は表情が豊かなので、その辺りも再現する必要があるのだ。

「はい。人間の姿に変化してみました。

 これならご友人に怪しまれることも無いかと思いますが、いかがでしょうか?」

 風遥は手を口元に当てじーっとレヴァイセンを観察した後、首を横に振った。

「いや、まだだな。敬語と風遥神主って呼び方をやめろ。

 俺とあんたが主従関係だって察される。同僚みたいな感じの方が怪しまれないだろ」

「成程」

 一つ頷いて、イメージする。風遥と同僚で敬語を使わない仲。それこそ、神守町で新しくできた友人というスタンスでも良いのかもしれない。

 風遥に求められているレヴァイセンのキャラクターは……つまり、13年前の振る舞いと同様で良いという事か。

 なら簡単だ。かねてよりの記憶を組み合わせて、再構築すれば――


「じゃあ、こんな感じで良いか? 風遥!」


 声に弾みをつけ若々しさを出し、ニッと歯を見せて快活な笑顔を添える事だってできる。

 さて、風遥の反応はどうだろうか……口がぽかんと開いているが、これはどう解釈すればいいんだ?

「……風遥?」

 なので首をかしげて問えば、はっとなった風遥が二度ほど頷いた。

「あ、いや、悪くない。

 ……寧ろあんた、俳優でもやったらどうだ?」

 そう言って主は口角を上げたが、提案されている意味はよく分からない。

「ん? 俺はおめーの陽使だぞ?」

 なので首をややかしげてそう返す。

「冗談だ。……やっぱあんたはレヴァイセンなんだな」

 すると、なおのことよく分からないことを笑いながら言われたので、こちらは更に首を傾げる事になった。

ただ、これで風遥の友人に挨拶する権利は得られたようだ。

――柄にもなく“楽しみ”だと思ったのは、キャラクターがそうさせているのか、はたまたレヴァイセンそのものの本心なのか。

 否、どちらでもいい。どの道、その感情自体を否定することはしないのだから。

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