2日目夕方 祖母と夕飯を食べる

 午前中に大役を終えた風遥は、私服に着替えて自室に横になっていた。大役の反動で疲れ、布団を敷くこともせず昼寝していたのだ。

 時計を見れば17時少し前。儀式の前は室内にまで届く程だった人々の声は一転、今は時折カラスの鳴き声が僅かに聞こえるだけで静か。

 智秋は昼食の後に帰っており不在、レヴァイセンは……どうだろうか。結界のメンテナンスを行うと言っていたので、まだ戻ってきていないかもしれない。

 すると、誰かが境内を歩いている音が耳に入ってきた。レヴァイセンか、それとも参拝者か? 直後、ピンポーンと呼び鈴が鳴ったので不意打ちに飛び起きた。

「!?」

 ひなた園と違いモニターの類は無いので慌てて玄関のドアまで向かい……一体誰だ? と首を傾げる。素直に応じて良いのか悩み、暫く立ち止まったままになる。

「風遥、少し良いかしら」

 すると、トントン、と控えめなノックと共に来訪者が呼びかけてきた。その声は香月だったので、安心した風遥は鍵を開ける。

「はい……どうか、しました、か……?」

 ただ智秋やレヴァイセンといった仲介役が誰もいない状態で香月と話すのは初めてなので、些かの緊張からその動作をおずおずとさせてしまう。

「今日、お夕飯はどうするのかしら」

 午前中とは違い洋装で訪ねてきた香月。買い物帰りかその手には大きめのマイバッグを持っており、袋の端から長葱が覗いている。

「あ、えっと……」

 その自然な微笑みに問われ考える、冷蔵庫の中に智秋が何か残してくれたものがあったような気がするが、そう言えば神守町に来てから自分ではまだ買い物に行っていない。

「……今から、その……買い物、に……行こうかと……?」

 なのでそう言いつつも、かなり疲れているので外出はしたくないというのが本音。いっそ寝直して明日まで何も食べないというのも、正直選択肢にはある。

「風臣が継承の儀式をした日は夜までずっと寝てたの。風遥、貴方もかなり疲れてるんじゃないかしら?」

 全くその通りだったので無言で頷くと、香月は袋を少し掲げた。

「だから良かったらおばあちゃんが作ろうと思うんだけれど、どうかしら?」

「あ、はい、お願いします……」

 まるでそんな状況を先読みしていたかのような提案。申し訳なさもあったが、それよりも先にその好意を受け取る言葉が発せられていた。

「ありがとう、風遥」

 そのまま入ってもらうよう手で促すと、香月はマイバックとは別に手にしていたバッグから携帯用スリッパを出して履き、慣れた様子で台所へと向かう。

 その足取りは、逆に風遥が香月を追うくらいだった。

 

「智秋さんに好き嫌いを聞いたんだけれど、嫌いな物は無いのよね?」

 割烹着を着て手際よく台所に食材を広げていく香月。カット等されていないそのままの野菜類と大パックのひき肉、と、見た感じだけなら2人分以上の分量だ。

「はい」

「じゃあ、昔風遥が好きだったお料理を作るわね」

「……お願いします」

 頼んだはいいが、その間何をすればいいだろうか。外に出てもやることは無いし、かといってテレビをつけるのも違う気がするし、と、風遥は結局ダイニングテーブルに着座して、じっと香月の調理姿を眺めることになる。

 けれど段々無音であることに耐えかねてきて、ふと、昨夜は聞けなかったことを聞いてみようと思い立った。

「香月さん、は……」

「おばあちゃんで良いわよ?」

 さらりとそう言われたので、一旦軽く深呼吸してから言い直す。

「……おばあちゃん、は」

「ええ」

「……13年前、の事……」

 そこまで言って、軽い気持ちでそれを口にしたことはまずかったのではないかと察した。野菜を切っていた手が、ぴたりと止まったからだ。

「…………」

 けれど程なくして、香月はまたその手を動かしだした。

「おばあちゃん達はね――その日、町にいなかったのよ」

「え?」

「ちょうど、おじいちゃんと旅行に行ってたの。

 火事が起きた次の日にそれを聞いて、急いで帰ってきて……初めてその惨状を目の当たりにしたの」

「……!」

 香月は変わらず軽快に野菜を切ってはいるが、その視線はどこか遠くを見つめているように見える。

「商店街の中心が焼けていたわ。あそこは稼働しているお店も多かったんだけど……駄目になっちゃって、そのまま廃業した人もいたわね」

 口調は穏やかだが、内容は重い。

「風臣と風遥、2人の事も探したけれど、見つからなかった」

「あ……」

 祖母からすれば、同時に息子と孫が行方不明になってしまったのだ。それも、その場にいればまだ何かできたこともあっただろうに、それすら許されなかったという状況で。

「だから、風遥が生きているって聞いて、本当に嬉しかったのよ。記憶が無くても、生きていてくれてる……それだけで十分だったの」

 一旦手を止め、風遥に向かい微笑む香月。……自分は親の立場では無いが、大切な人を2人も一度に失うとなれば絶対に辛いだろうし、まして肉親となればその喪失感は人生を大きく狂わせる程だろう、という想像はつく。

「………そう、だったんですね」

 相変わらず祖母の事、ひいては13年前以前の風遥の事はまだ他人事だ。ただ、生きているだけで十分だ、と言ってくれたことで、それを思い出せない事への罪悪感が、少し薄れた気がした。

「さて、お野菜はこれで切り終わったから……」

 そうして風遥が感慨にふけっている間に、香月は戸棚からフードプロセッサーを取り出した。そろそろ何の料理を作っているのか、そのヒントが明確になる頃だろうか。

 切った野菜をフードプロセッサーで攪拌し、そこにひき肉を入れ、更に混ぜていく。すると今度は大きなシートに麺棒を取り出し、何かの生地をこれまた手際よく棒状に伸ばしていく……この料理は、もしかして……?

「餃子、ですか?」

 棒状の生地を等分に切っていく様子から気が付いた。これは餃子の皮を作っているんだ、と。

「そう、よく分かったわね」

 頷く香月。とするとこの後の工程は風遥でも分かる。伸ばした皮にタネを包む、だ。

「おばあちゃんは皮から手作りするんだけど、風遥は『皮がもちもちしてて美味しい!』『美味しすぎて100個食べれる!』って、よく褒めてくれたわ」

 それらは記憶にこそ無いが、過去の自分の振る舞いと言われるとちょっと恥ずかしい。反面、正直な子供の味覚をとりこにしたその餃子がどんなものか、興味は沸いた。……実際、市販の餃子の皮よりも一回り大きく、しかも伸ばされた皮が縮み戻ろうとしている様子からして、皮がひと味違うというのは見ただけで分かる。

「……手伝います」

「あら、ありがとう」

 餃子を包むことは何度かやったことがあるのでその大変さはよく分かるので、手伝いを申し出る。柔らかく伸びやすい生地は思いのほか包みにくく、最初は難航した。

 それでも多少は役に立てたとは思うのだが、香月の方が圧倒的に早く綺麗な出来だったのは言うまでも無かった。

 それらが厚手のフライパンに並べられる頃にはお腹が空いてきた。正直、楽しみだ。

「助かったわ、ありがとう。

 あとは焼くだけだから、レヴァイセンを呼んできてくれるかしら」

 メインの仕込みを終え、お湯を沸かしながら味噌汁を作り出した香月にそう促されるも、首を傾げる。

「? レヴァイセンも食べるんですか?」

 神守町に来てから何度か飲食しているが、その席にレヴァイセンがいた時は何も食べていなかったからだ。

「ええ、よく皆で食べてたわよ」

「……分かりました、呼んできますね」

 なので香月の言うことがすんなり信じられないのだが、嘘を言っているはずでは無いので、ひとまず言われたまま外に出る。

「レヴァイセン、いるか?」

「はい、こちらに」

 まだ日は沈んではいないが薄暗くなってきた空間に呼びかければ、程なくして正面にレヴァイセンが跪いた状態で現れる。

「香月さんが夕飯を一緒に食べようって言ってるんだが」

 そう言うと、少々困った様子で風遥を見上げるレヴァイセン。

「風遥神主。恐れ入りますが、我々理は飲食を必要としません」

「俺もそう思ってたんだが……香月さんは『よく皆で食べてた』って言ってたぞ?」

 なので言われたままを伝えれば、狛犬はいよいよ眉をひそめる。

「そのような記憶は存在しておりません。何かの間違いかと思われます。

 同席の必要は特段ないかと思いますので、他に何かございましたらまたお声がけください」

 そう言うや否や、風遥の返事を待たずさっさと光球に戻ってしまうレヴァイセン。

「………?」

 その頑なに否定する態度が逆に奇妙で、どこか釈然としないまま室内に戻る。

 香月が間違った事を言うことは無いと思うのだが(もとよりそのような嘘をつく理由もない)、レヴァイセンはそれを間違いだと一方的に決めつけたからだ。

 ……この差は一体、何だろうか。そんなことを考えていると、ふわりと餃子の焼ける良い匂いに包まれた。

「いたかしら?」

 フライパンの蓋の端から漏れる蒸気と、ジュージューと焼ける良い音が期待値をさらに高めていく。だからこそ、これから伝える内容で、香月をがっかりさせてしまうのが申し訳ない。

「ええ。ただ、そんな記憶は無い、って言ってさっさといなくなっちゃいました」

 香月へのフォローのためにも、と、レヴァイセンの一方的なところを少し嘆く様に呟くと、香月は目を伏せる。

「そう……やっぱり、色々忘れちゃったのかもしれないわね」

 どこか寂し気に言ったそれは、風遥の心を一瞬だけざわつかせた。

「忘れる……?」

「ええ。昔は、ちょっとやんちゃな男の子、って感じで……あんな硬い感じは無かったわ。それこそお兄ちゃんみたいに、毎日風遥と遊んでいたのよ」

「……そうなんですね」

 今のあの様子からは想像もつかない。ただ、香月の言う通り、13年もの間眠っていた事で忘れてしまった事もあるのかもしれない。

 そこで餃子が盛られたお皿が出されたので、湿っぽい話題はいったん打ち切り。今日の夕飯は、香月手製の餃子! 白米と味噌汁、漬物つき。メインのそれは市販の餃子よりも大きく、一口で食べられない。

「さあ、召し上がって」

「いただきます」

 早速熱々のそれを頬張れば、確かに皮がもっちりで食べ応えがあり、肉汁が溢れあわや火傷しかけた。餡も肉と野菜のバランスが好みで、ちょうど良い塩気と相まってご飯が進む。

「……どうかしら?」

「凄く、美味しいです」

 小首をかしげて聞いてきたので、わざとらしくない程度の笑顔で答える。あまり笑顔を意識することは無いのだが、不愛想な表情で意図しない伝わり方をさせたくなかったからだ。

「流石に100個は食べられないですが、そう言いたくなる気持ちは分かります」

「良かったわ」

 それこそ用意された分を全部平らげろと言われたら出来る気がした。ただ、ご飯のおかずとしても美味しいので、白米なしに食べるのは勿体ない。

 ともすれば市販の餃子に戻れなくなる美味しさ。この手料理を過去の風遥達は毎日のように食べていたのか、と思ったところで、この状況の不自然さにようやく気が付いた。

(あれ……?)

 祖母と二人っきりというのはおかしくないか――祖父は、どこにいるんだ? ひなた園に保護された風遥のこれからについての話し合いの席に、祖父もいたと聞いたはずだ。なのに思えば昨日含め、自分は祖父に一度も会っていないではないか。

 途端気になってしまったので、そっと切り出すことにした。

「……おばあちゃん」

「何かしら?」

「そう言えば、おじいちゃん、は……?」

 既に亡くなっているという最悪の事態を想定していることもあり躊躇い気味に問うと、香月は直ぐに微笑んだ。

「あの人はね、風臣の事を探しに行ったわ。

 同じような事例が無いか、そこから手がかりを得られないか、自分の足で確かめる、ってね」

「……!」

「でもあの人、機械がとても苦手なの。だから携帯電話も持たないで行っちゃうから、いつ帰って来るかは分からないのよ。半年近く音信不通になってたと思ったら、突然公衆電話から、今無一文でどこどこにいるから迎えに来て欲しい、って言われたこともあったわ」

「は、はあ……」

 どこか茶目っ気のある声でそう言われ、懸念は消えたが、一方で何とも言えない感覚……破天荒、とでも言うのだろうか。祖父から良くも悪くも自由そうな雰囲気を感じ取った。

「だから前に帰ってきた時、『今年はもしかしたら風遥が神守町に戻ってきてくれるかもしれないから、3月から暫くの間町にいたら?』って話したんだけれど、『風遥がもし神主をやるとしても、神社に拒否された自分に出番はない。仕事は智秋が教えられるし、自分は自分にしか出来ないことを続ける』って聞かなかったのよね」

「そうなんですね……」

「あの人、ちょっと頑固なところがあるのよ。信念が強いと言えば、聞こえはいいんだけれど」

 そう言いつつも満更でも無い表情だったので、そうみたいですね、と同調するのはやめておき、

「いつか会えると良いのですが」

 代わりにそう告げた。そこには、父の行方の吉報を手土産に、祖父の話も聞いてみたいという願いも込められている。


 それからは暫くは雑談も控え、味わう事に集中。20個近く包んでいたはず餃子も、気が付けば最後のひとつ。忌憚ない感想としては、昨日の懐石料理より美味しかった。

「……おばあちゃんは、今は一人暮らしなんですか?」

「そうね。でも、お友達もいるし寂しくはないわ。

 ……孫も、帰ってきてくれたしね」

「はい」

 胃が満たされた事で心も満たされているのか、不思議とすんなりその言葉に頷くことが出来た。

「また、作りに来てもいいかしら?」

 迷惑じゃなければ、と少し控えめに問われるも、当然断る理由なんてなく。

「…………」

 寧ろ思わず「うん」と、砕けた口調になりそうだったので、こくん、と無言で大きく頷く動作でそれを相殺。

 その照れ隠しの意図に香月は気づいたかはさておき、嬉しそうに微笑んでいた。

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