心の夜明けを感じる時は瑠璃色


「お変わりありませんか? ハクト君」


 その週の日曜、ハクトは施設の応接間にいた。向かいに座りお決まりの言葉を投げかけるのはハクト専属のカウンセラーで、名前は真実智秋まことみともあき。普段はここから少し離れた町の神社で神主をしているらしい。

 保護されてから大体3カ月に一度のペースで会っているのでもう彼との付き合いも10年を超えたはずだが、30代中頃の外見は出会ったときから何一つ変わりなく、黒々とした髪の中に白髪の一本も見当たらないのが不思議で仕方ない。

「体調は問題ありません。ただ……」

 彼は完全に施設外の人間なので、内輪に話しにくい事も気兼ねなく話せるのがありがたかった。ちょうど例の悪夢も続いているので、タイミングも良い。

「最近、変な夢をよく見るんです。それに対し、わらわら“寄ってくる”のがちょっと煩わしいです」

 何しろ彼もまた“見える”人間。実際、アレには「あらたま」という名前がついており、人間の負の感情が好物で、狙われるとどうなるかと言った事を教えてくれたのは智秋だ。

「成程。夢の内容を、詳しくお伺いしても?」

 一つ頷いて、夢の内容を呼び起こす。

「……多分、火事の夢なんです。ただ、何が燃えているのかはよく分からなくて……」

 初めは真っ白な空間から始まり、ぼんやりと映像と音が流れてくる。

 ただその視界は悪く、明るい赤や黄色と濃い灰色が混じった光景としか分からない。それでも聞こえる音が「何かが派手に燃えている音」そのものなので、その映像は炎と黒煙なのではないかと思われる。

「後は……熱い、っていう感覚と、息苦しさ……それだけがやたらリアルで……」

 何しろその直後熱風に煽られ、煙でも吸ったかのような苦しさがしばらく続くからだ。まるで火災の現場そのものにいるかのようなこの嫌な体感が、起きた時の疲労感に繋がっているのは間違いない。

「最後に、何か……誰か、がこっちを見下ろしているんですけど……表情とかは全く分からなくて」

 恐らくは金髪の男性、だと思うのだが、はっきりしない。

「でも、そこで一気に楽になって、真っ暗になって……それで、目が覚めます」

 あんなによく見ている夢のはずなのに、いざ言語化してみると何と内容の薄い事か。真剣な面持ちで聞いている智秋に見合った情報を提供できているとは思えず、今更ながらになんとも言えない居たたまれなさを感じる。

「……変な夢ですよね? なんで、お気になさらず……」

「いえ……そう、ですね……」

 なのでそう言って誤魔化そうと思ったのだが、寧ろ更に考えこむ様子に、心が妙にざわつきだす。

「………

 連日貴方が見ているという夢、それはもしかすると」

 何故だろうか、続きを聞きたくない衝動に駆られる。しかし制止するにはもう遅かった。


「貴方の――昔の記憶、なのではないでしょうか?」

 

「は……?」

 予感の的中は予想外の方向から飛んできた。唐突な「昔の記憶」と言う単語に、無防備な頭を殴られたかのような衝撃を受ける。

「……ハクト君、こちらを」

 予測されていたかのような滑らかな手つきで、すっと差し出されたのはファイリングされた新聞記事。少々くらくらしながらも視線を落とすと、真っ先に目に飛び込んできた文字は、

「火災……?」

 “神守町で大規模火災”……同県なので聞いたことはあるが、行ったことは無い町での出来事。

「今から13年前の10月23日、この、神守町で火災が発生しました」

 記事の内容を先導するように智秋が概要を読み上げる。それを聞きつつ目でも情報を追っていく……奇跡的に住民は避難しており、死者はいなかったそうだ。しかし……

「行方不明者は2名……当時5歳の男児と、その父親」

 その避難の指示を最後まで行っていたと思われる男性と、その息子が行方不明となっているようだった。

「男児の名前は神森風遥かみもりかざはる、神守神社の神主の一人息子です」

「………」

 聞き覚えの無い名前だがもう着地点が見えてしまっており、心臓の鼓動がやかましくなっている。智秋が新聞記事ではなくこちらを真っすぐに見ているのがその証拠だ。何かと何かを紐づけようとしているかのような目の導線にうろたえる。

「同日夜……ここ、道崎市の道崎総合病院に、一人の男児が搬送されてきました。推定年齢は5~6歳。彼が負っていた火傷は治療出来ましたが、その子は記憶を失っており……退院の日まで戻ることはありませんでした」

 そしてご丁寧に智秋が並列した事はその胸中をトレースするような形となり、いよいよ口を引き締めせざるを得ない。なのに意識はふわふわしていて、そのまま魂を上に引き抜かれてしまいそうだ。

「…………」

 何しろ“自分”の記憶は、病院のベッドの上、看護師の質問の意味が理解できず沈黙を貫いたところから始まっているのだ。

「やむを得ずその子は仮の名前を与えられ、道崎市の児童養護施設に預けられることになりました」

(……確定か……)

 ここまで言われて分からないのであれば、それはもう現実逃避をしているか、余程の鈍感かでしかない。なおも足元定まらない感覚が続くが、これ以上意識を持っていかれまい、と結論はこちらから切り出すことにした。


「つまり、霜月ハクトは……元々は、神森風遥だった、と?」


 そう言葉にしたことで、すっと冷静さが戻ってきた。

「はい。その可能性が大いにあります」

「……神森風遥は、生まれつき“こう”だったんですか?」

 手を智秋の前に掲げその白を強調しながら問えば、智秋は首を横に振る。

「いいえ。彼はあの日色を失ってしまったようですが、その原因は分からなかったようです」

「それでも、確証があると?」

「はい。貴方はあの日、神守町の外れで保護され搬送されてきたようです。こうした状況を考えると、逆に貴方が元々それ以外であったことを探す理由の方が難しい」

 客観的に考えると、確かに自分が風遥だと言う事は十分納得のいく材料だった。

 ただ、これが自分自身の身に起きた出来事である、となった時、一つ引っかかるものがあった。

「確かにそうですね。……では、どうしてそのまま保護に?

 ……色々“喪失”しているのが、皆さんにとっては不都合だったからですか?」

 記憶がないとはいえ風遥だと確定しているのにも関わらず、何故迎えは無かったのか? ……やはりもう一つの喪失によって、化け物じみていて引き取りたくなかったのか――机に置いた白い手を、無意識のうちに握る。

 自然と浮かぶ自嘲の笑みもそのまま素直にぶつけてみると、智秋はその真意を察したようで一瞬だけ目が小さく見開かれる。

「身体の色の喪失については無関係です。問題は記憶の方ですね」

「………」

 しかし直ぐにハクトの言葉選びをくみ取った上で切り返してくる様子は、流石は長い付き合いと言ったところか。大人の対応という名のカウンターをされた気がして、勢い任せの発言を後悔するハメになる。

「彼の母親は彼が生まれた時に亡くなっており、父親も件の火災で行方不明です。幸い祖父母は健在ですから、当初は祖父母が引き取る予定でいました。ですが……」

 そこまで言って一度息をつき、智秋は間を置いた。

「神森家は少々特殊な家系です。いかなる形であれ神森を名乗れば、その宿命からは逃れられないでしょう。

 ……何も覚えていない少年に、その役割を求め、無理矢理思い出させようとするのは酷な事」

 いつもは穏やかに微笑んでいる彼から笑顔が消えている。その真剣さが、決して冗談では無いという事を物語っている。

「……特殊な、家系……?」

「ええ。ですから神森風遥の祖父母と、氏子達は話し合いに話し合いを重ね……

 ……一旦は、貴方に霜月ハクトとしての人生を歩ませることにしました」

 まるで当時の空気をそのまま持ち込んでいるかのような緊張感。

「その判断を、貴方は”見捨てられた”と感じているかもしれませんが、そのような事は一度たりとも無かったと断言します」

 濃藍の双眸がじっとこちらを見据えている。それは“自分”としっかりと向き合ってくれていたことの表れでもあり……「神森家」の重さでもあるのだろう。

「そう、でしたか……」

 目を伏せる。捨てられたわけでは無い事からへの安堵と、子どもっぽい挙動に対しての恥ずかしさが照れたような表情として出たか、それを見た智秋もふっと微笑み、場の緊張が緩む。

「ですから貴方との繋がりを残すため、僕がこちらに派遣されることになりました。

 一つに、記憶がない事や、璞が“見えてしまう”事による心労を一つでも減らすためのカウンセラーとして。

もう一つに……いつか貴方が、過去の記憶を取り戻したとき、あるいは、知りたいと思ったときの為の導として」

 ブラックボックスとなっている過去、その外側に光が当てられ輪郭が明るみになっていくような感覚。

「何しろ貴方の祖父はカウンセラーには不向きの性格ですし、祖母は孫相手に他人を装い続ける自信が無いとのことで」

 何故、市外の人間が自分だけの為にわざわざ来ていたのか。その理由もするりと流れ込んできた。

「それでも施設への定期的な寄付をすることで経済的な支援はひっそりと行っています。特に、貴方に配られたランドセルや一部の寄贈品は、祖父母が贈ったものなのですよ」

「……!」

 施設名義で買っていたとばかりに思っていたランドセル――確かに、ハクトのそれは、他の子のそれと比べ高級感があった。当時はその年の入学が施設内ではハクトだけだったから新品の固有の輝きかと思って気にしなかったのだが、元々質が良いものを買ってくれていたのかもしれない。

(そうだったのか……)

 少しだが、胸がすく思いがした。親族の類はいないとばかり思っていたのだが、そんなことはなく、ずっと見守られていた事を実感したからだ。

「そして……高校卒業を控え社会に旅立とうとするまさにそのタイミングで、貴方はハクト君としての進路を決める事が出来ず、その上何故か、何度も同じ火事の夢を見ている」

「…………」

 今この瞬間、ファンタジー小説の導入部分にふさわしい一文が、ハクトに向かい悪戯っ気な笑顔で紡がれている。

「……まるで、過去の記憶が“貴方”を呼んでいるかのように思えませんか?」

 目の前のカウンセラーの役者めいた物言いも合わさって、やっと落ち着いたはずの心が、今度は静かな高揚にそわそわし始める。

「俺は、神森風遥だ、と……」

「ええ。ですから一度、一緒に神守町に行ってみませんか?」

 智秋からの誘いは、人生の大きな岐路にして、冒険へのいざないでもあった。


「――貴方が本当に神森風遥なのか、貴方自身で確かめるのです」


(俺自身で、確かめる……)

 とくん、とくんと鼓動が高鳴っている。それまで存在も知らなかった新たな未来へ続く扉が、目の前に――……

「……少し、考えさせてください」

 しかし悲しいかな、そこへ迷いなく手を伸ばせるだけの勇気は無かった。境遇だけなら創作の主役になれる自信があるが、あいにく心持ちとしてはまだ一般人なのだ。

「ちょっと、話が急すぎて……」

「勿論、ゆっくり考えてみてください」

 なのでしどろもどろに告げると、その反応は予想通りとばかりにいつもの微笑みで返された。


 そんな、まさに青天の霹靂で混乱する心境を慮ってもらったか、その後はなんてことの無い雑談で過ごした。

 しかし一方で、その「名前」は常に頭の片隅で主張を続けていた。


 俺は、本当に……神森風遥なのか? と。

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