一章 冬、霜月ハクトの真っ白な未来に色がつく話

目覚めの悪い朝は濃い灰色

 真っ暗になった世界から脱するかのように目を開ければ、いつもの天井が広がっている。

 ……そして一つ、ため息をつく。

(また、あの夢か……)

 夢の内容はもうすっかり見慣れており、今更恐怖を覚えるまでもない。

 だからひどく冷静な目覚めではあったが、気分は最悪だ。その原因は夢の内容そのものだけでは無く――早速視界の端にちらついた黒を見つけ、重い体をゆっくり起こしてまた嘆息。

 

「……まあ、いるよな」


 自分を取り囲むように、黒いスライム状のような存在が何匹もうごめいていた。大きさはまちまち。テニスボール程度の大きさからから、バスケットボール大のサイズまで様々。……これは、見える人にしか見えないという、異形の存在。この物体は「人のネガティブな感情」が好物らしく、負のオーラを漂わせている人間に引っ付いている事が多い。

 もっとも自分にとっては道端の石ころや草花と同じようなものになっているので、普段は視野に入っていようが気にも留めないが、自分に干渉してくる場合は別だ。

 特に悪夢を見た日はこうして群がってくるのだが、生きる気力のようなものを食べられてしまったかのように、寝起き早々気が滅入る原因になるからだ。

 夢の内容が良くない上に、目が覚めたらこれに囲まれている事の何と不快な事。救いは用が済んだらさっさと解散するのか、帰宅時にはいなくなっていること。

 ただ今朝の球体はまだ食べ足りなかったのか、重力を無視してふよふよと顔のあたりに近づいてきた。

 それを邪魔だと振り払った己の手に――今日も人肌の色はついておらず、真っ白だ。


 霜月ハクト。それが、自分に与えられた名前。

 その所以が“あくる年の11月にこの施設に保護された、白い人”であることに気づいたのは、いつだったか。今となっては、記憶をすべて失っている少年に、よくこのような洒落た名前が付けられたものだと感心すらしている。

 そうして保護されてから13年、小中高と普遍的な教育を施され、まもなく社会に出ていけるようにはなった。ただ、卒業を控えた2月だというのに、ハクトはいまだに進路を決められずにいる。今日はあの夢も見たのだからなおの事、学校に向かう足取りは重い。

 ――何故なら「ハクト」という名前の通り、肌は勿論、髪の毛、瞳……と、目に見える部分全ての色が白。

 肩より少し上で外はねしている髪の毛も、目にかかるほどに流している前髪も白。

 常に不機嫌そうな目つきと称されたその瞳の色も白。白目との境界もうっすらとした灰色なので、遠目に見ると黒目が存在していないようにも見えるらしい。

 そこで縁のはっきりしている眼鏡をかけて人間であることを強調しているわけだが、異常極まりないその外見は当然色々な不利益を被っており、それが社会に対する不信と、排他的な態度の原因にもなっているのだ。

 なので電車の中は帽子を深々と被りマスクをして露出を最低限にして、100均のイヤホンで耳を塞ぎ自分の世界に没頭する。そうすれば、人の視線は気にならない。


「おはよう、ハクト。今日も特別感たっぷりだね」


 そんな中、学校と言う閉塞的な場所は、自分の場合は幸いに働いた。

 どうせあらぬことでケチをつけ排除しようとする動きが起こるのは分かっていたので、事前に施設側が根回ししてくれたのと、最大限の自衛手段を得ていた。

 結果、“触らぬ神に祟りなし”とばかりに忌避こそされども、危害を加えられることは無く学校生活を送ることが出来た。

「……その嫌味な挨拶もあと僅かだな」 

「え? 僕は純粋に君が羨ましいんだけどって、いつも言ってるじゃない」

 唯一の例外がこの彼、女子にも見える長い黒髪が特徴の男子生徒。名前は水無月ミカゲ。学年一の秀才にして運動もそれなりに出来る、いわば超優等生。

 そんな誰もが羨みそうな“特別”を手にしているはずの彼に、何故か「君の特別さが羨ましい」と日々付きまとわれて3年。初めはその好奇心に嫌気がさして無視していたが、今は唯一の友達となっている。

 と言うのも、彼は彼で、優等生の裏で複雑な事情を抱えていると知り、奇妙な親近感がわいたからだ。

「いつでも変わってやるぞ。大学でなら自由だろ?」

「まさか。“首席で卒業しろ”って言われてるよ……入学前なのにね?」

 両親からの過剰な期待とそれによる束縛――自分には到底理解不能な要求を、彼は飄々と口にする。誰もが知る有名国立大学に合格したというのに、まだ足りないらしい。

「それは面倒だな」

「でしょう?」

 折角都会で一人暮らしすることになったのに「やっぱり親からは逃げられないね」と呟くその表情は、自嘲にも見えた。それに対しどのトーンで声をかけるべきかと迷った、直後。

 

 がしゃん、と机が派手に倒れる音に、女子の悲鳴が響いて雑談がぶった切られる。


「?」

 教室の中心を見やれば、同級生の一人が手当たり次第に机を蹴飛ばしている。

「また落ちた!」

「どうせ僕は駄目なんだ!」

 と、次々恨み言を叫ぶので、彼の近くにいたクラスメートたちは一目散に隅へと逃げていく。受験シーズンならではの光景にしては過激で、落ちたことに対する同情よりも、その発散のさせ方が低俗すぎる嫌悪が強く眉を顰める。

 が……思えば、確か彼は大人しいタイプで、こんなことをするような人間ではなかったはずだが……。

「……え。あいつ、あんなキャラだったっけ?」

「違うな」

 ミカゲも同じ事を思っていたようで、目を丸めている。

 しかし元々暴れ慣れていないのだろう、程なくして別の同級生に羽交い絞めにされることで騒ぎは落ち着きを見せそうだが、なおも暴れるその肩に……「アレ」が乗っているのが見えた。一切の光の反射の無いベタ塗りの黒い球体が、肩と、背中にもひとつ。

「あぁ……」

 ぽつりと呟く。住処を見つけたとばかりにピッタリとくっついており、今にも溶け込んでいきそうなそれをみて納得した。

(本当に分かり易いな……)

 格好のエサ場を見つけて寄生し始めたアレは、もっとエサをよこせとばかりに負の感情の揺らぎを増幅させ、近づいてはいけない人間に早変わりさせるのだそうだ。

 恐らく元々受験が上手くいっていなかったところの焦りやら失意から引き寄せ、更なる悪循環にハマってしまっているようだ。そうして見えざる厄介な存在に魅入られてしまった者の末路が、“大人しいはずのクラスメートが暴動を起こす”という言動になって表れている。

「あれは暫く近づかない方が良い、憑かれている」

「まあ、疲れてるだろうねぇ。可哀そうに……」

 とは言え、見えていない大勢はその外因の要素に気づかない。

 ……が、見えていたところでどうにかする方法も知らないので、対象を徹底的に避け、自分への二次被害を防ぐことくらいしか出来る事も無い。

   

 こんな風に、霜月ハクトと言うのは、見えないモノが見えてしまう体質の上、異質な姿のヒトである。自分で言うのもなんだが、本当に人間なのかどうかも怪しい。

 こんな存在が果たしてこの人間社会に適合するのか? 全く希望が見えない。


 ただ、それでも。

 人生の転機と言うのは、ちゃんと訪れるようで――

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