風霜ヴェシカパイシス

なかのと里瀬

序章 僕と君と思い出の場所 ~炎上~

 ――燃えている。全てが燃えている。


 あの人が愛した町並みが、火に包まれ真っ赤に染まっていく。

 黒い風に煽られ高々と聳えている炎の壁が、あの人が守ってきた人たちの居場所を奪っていく。なのに、自分にはただそれを眺める事しか出来ない……その腕に、真っ白なヒトの幼子を抱きながら。

 龍にも見えるその長い赤壁の行く先には、今まさに収穫を迎えた田畑が広がっている。けれどその黄金の恵みは、誰の糧となる事も無く焼き尽くされてしまうのだろうか。消えてしまったあの人も、腕の中のこの子も、誰もが待ち望んでいたと言うのに。


 この炎は、災禍は――全部、僕のせい。

 きゅっ、と腕に力が入る。

 

 抱きかかえている幼子は、あの人から託された大切なタカラモノ。何に変えても守らなければならなかったのに。見つけた時にはもう、コワレテしまっていた。

 あの人譲りの茶色のくせっけも、夏の日焼けが少し落ち着いていたはずの肌の色も、真っ白になってしまっていた。閉ざされた目のまつ毛も、血色を失った唇も、透き通ってしまいそうな程の、白。

 ヒトとして不自然な色に炎の色が映り込み、輝いているその様は……芸術品としてなら、綺麗だと評されるのだろう。僕が、不意にそう思ってしまったように。


 直後ひときわ大きな音がガラガラと響き、大きな揺れによろけそうになるのを踏ん張った。振り向けば、商店街入り口のアーケードが崩落しているではないか。

「……あ……」

 掠れた声に重なるのは、「もう少しシャッターを減らせたらいいんだけどね」と寂しげに笑っていたあの人の声……。

 確かに人通りは多い方ではなさそうだったが、そこには人々の生活が息づいていたのが分かる。

 あの人と一緒に散歩した日々の出来事だから、五感全てが覚えている。

 切れかけの電灯の音がチカチカと聞こえる静けさの中でも、

 満月の光が差し込む明るい夜でも、

 雨上がりのアスファルトの匂いが漂う夜でも、

 いつだってそこには、町には、人の気配が感じられていたし、あのゲートがそれを見守るように佇んでいるのも、変わらない光景だった。

 そんな中、僕が僕でいられるわずかな時間を、あの人と二人で過ごすのが……唯一の、幸せだった。

 ――今、ここには誰もいないはずなのに、爆ぜて崩れる音がまるで人々の悲鳴のように聞こえる――よくも奪ってくれたな、と。

「ぁ、あ……!」

 無情物の連なりに温かみがあることや、本来僕には不要な黄金の恵みを美味しいと感じられるようになったことも、全部あの人が教えてくれたことだった。

 生物として無価値なそれらの情報は、この町が平和だから知る事が出来たこと。自分という存在を豊かにし、僕の日々を鮮やかに彩った。けれどもう二度とその平穏が訪れることは無いと思い知らされるには十分で、今更ながらに体が震え出す。

 自分はあの人を守るために生まれた筈なのに、どうしてその人に守られている?

 あの一瞬、庇われるだけで何も出来ず、挙句何故その命を奪わせてしまったんだ?


 何よりどうしてあの人は――僕を、護ってしまったんだ?

「……っ……」

 救いを求めるように視線を落とすも、腕の中はしんしんと降る雪の日のように静謐。

 ヒトは何をもって「死」と定義すればいいのか、ヒトではない自分には分からない。けれど微動だにしないこの子からは呼吸も鼓動も感じられないし、何よりあの人と同じようになってしまったから、きっと死んでしまったのだろう。

 ゆっくりと天を仰ぐ。朝方晴れ渡っていたはずの空は、黒く閉ざされてしまっている。焼け焦げた臭いや、耳を劈く爆風からは、ひと欠片の希望ですら見いだせない。

「……ごめん……」

 やりきれない思いを言葉に乗せたところで、爆ぜる音にかき消されるだけ。

 家屋の崩壊の音に連なるように、自分の存在意義もまた崩れていく。

 ……守れなかった。何一つ……


「………?」

 不意に、目から水滴が零れ落ちた。あの人は確か「涙」と言っていたか。主に感情の高ぶりで起こるらしいその現象だが、今起きている理由がよく分からない。どうせ同じ水なら濁流のように起きてこの炎を消してくれればいいのに、数滴落ちたところで何になるんだ。

 こんな無意味な雫など止めてしまいたいのに止まらず、少年の白い手の甲の上にぽたぽたと落ちる。目を強く瞑れば無理矢理堰き止められるだろうか。

「……!」

 けれど、大きく目を見開くことになる――涙が伝ったその指先が、僅かに動いたからだ。身体がピクリと震えたのを、この両腕が感じ取った。

「けほっ……」

 小さな咳の音はこの両耳が捉え、苦しそうに歪んだ表情はこの双眸がしかと見た。それらの情報は確かに器官が捉えたことだから、決して都合の良い錯覚ではない。

「かざ、はる……!!」

 間違いない、このヒトは生きている。この子は、まだ、生きている……! 崩落しかけていた存在意義が再び立ち上がり、行動を再開するに十分な気力となって注がれる。

(まずはここを抜けて、他の人間に託そう)

 適切な解だがあては無い。だからとにかく一刻も早くここから脱さなければならない、この場所が完全に炎に閉ざされてしまう前に。

 腕の中の希望を抱え直し、迫りくる赤を睨む。


「……絶対に、助けるんだ。僕が……!」


 全てを燃やし尽くそうとする炎よ、僕を焼きたければ灰にしてしまえばいい。

 けれどこの子だけは燃やさせない、絶対に――

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