スマホを持った夜は黄檗色

 道崎市児童養護施設、ひなた園。ハクトはそこで暮らす子どもの最年長。

 とはいえ役割分担は平等で、今週は後片付けの当番。黙々と皆の食器を洗いながら、考えるのは昼間の話。

 唐突に発覚した自分の過去、正体とされるものの存在について。しかも、非現実な自分に相応しい、若干のファンタジーを含んだもの。まるで創作のような……。

(節目で“覚醒”するのは、割とよくある話だが……)

 ――読書は好きだ。その間だけは現実を忘れることが出来るから。

 特に自分の境遇と重なるような不幸を背負った主人公たちが織り成す異世界での物語は、より没頭できるから好きだ。ただ一方で、そのどれもが大抵本人の望み通りの結末に向かうのを見ては、自分との落差にため息をつく。そしてまた違う架空の世界を求めて彷徨い、本の踏破数が増えていくのだ。

 しかし今日の話は自分自身の身に起きている事……まさか、ハクトの番が来たのか? 本当に?

 異世界に転生せずとも、それまでの“自分”を覆してしまうような物語が、綴られようとしている……?


「ハクト兄ちゃん、良い事あったの?」


「っ!」

 突然話しかけられ、あわやお皿を落とすところだった。

 振り向けば、満面の笑みでこちらをじーっと見ているもう一人の当番、小学3年生のジュン。食器を拭きながらこちらの様子を伺っていたようだ。

「……良い事、だと?」

 ただ心当たりがないので思わず聞き返すと、笑顔そのままひとつ大きく頷かれる。

「うん。ハクト兄ちゃん、にっこりしてた」

 指摘されてとうとう目を見開く。笑っていた? 自分が? 嘘を言う子ではないと分かっているのだが、言われたことが信じられない。それこそ心当たりがないというのに!

「見間違いだろ」

「ううん! 笑ってたよ!

 だってハクト兄ちゃんが笑うの珍しいもん!」

 反射的に否定するも即座に否定で返され、追い打ちまでかけられる始末。

「………馬鹿な」

 どうやら認めなければならないようだ……にやけていたらしい、と。

「んで、何があったの?」

「いや……」

 にこにこと純粋な笑顔を向けられては、無下に否定するわけにもいかず。だが、これ以上の詮索も困る。自分だってよく分かっていないというのに。

「……それよりジュン、宿題はやったのか?」

 全部の洗い物が終わったので水道を止め、話題をすり替えるべくお決まりの台詞を投げかける。

「あっ!!」

 そこで、ジュンの表情がパッと焦りに変わった。成功だ。


 様々な事情で保護されているきょうだい、ジュンの場合は親からの虐待が理由だ。左目付近に傷を負ってしまっている為、前髪を伸ばしてそれを目立たなくしている。

 ハクトの白についても、当初は大人が何とかしようとしてくれていたのだ。けれど、夏の太陽の下でいくら遊んでも焼けるどころか赤みすら出なかった。髪も染まらなかった。しっかり薬剤を塗ったのに、色が全く反映されなかった。カラーコンタクトも検討した。しかし視界が白くぼけてしまったので、合わなかった。

 そうして原因不明の事象に阻まれ、色を付けることは諦めざるを得なくなった。

 ハクトとジュン、違うのはその現実に対しての本人の行動。ハクトが排他的な態度で積極的に外側へは一線引いたことに対し、ジュンは愛想のよさを発揮し外側へも積極的に馴染みに行った。

 結果、ジュンは学校での友達も多く、傷なんて全く気にせず日々を過ごしているようだった。……ハクトとは、正反対だ。

「ねえハクト兄ちゃん、宿題、手伝ってくれる?」

 そんなジュンからの上目遣いでの要望は、ともすればハクトから聞かれるのを待っていたかのよう。

「仕方ないな……」

 断れるはずもなくため息を一つ。ただ、きょうだいに頼られることそのものは嫌いではない。そんな「兄」としての時間も、もう僅かなのだ。


 そうしてきょうだいの宿題の手伝いも終わったら、また再び自分の事を考える時間だ。自室のベッドの上、ぼんやりと天井を眺める。

「…………」

 “記憶を失った自分”から始まる13年間は、どこか空虚だった。

 人間離れした外見と相まって、自分が自分ではないような感覚にいつもいつも苛まれていた。語弊を恐れず言うのなら、自分はこの世界に生きていても良いのか? という疑問。この世に生まれる時に持っていたはずの「許可証」を、知らずと無くしてしまったかのような居心地の悪さがいつもある。それでも生きて良いとは言われているが、再発行はされないから事あるごとに不便を強いられ、周囲からは不法滞在を疑われ肩身は狭く、永遠にこの世に馴染めない。

 だから人の名前を持ちながらも人の営みに馴染めず、遠巻きに眺めるようにして生きてきた存在、それが……

「……霜月ハクト」

 呟く。仮の名前ではあるが、好きか嫌いか言われたら好きな名前ではあった。

「神森、風遥……」

 かたや、ゆっくり呟いてもしっくりとはこない名前。けれどもしも、それが自分の本当の名前なら――そこに、自分である「証」があるのだろうか?

 その名前を名乗ることで記憶が戻り、生きても良いという実感を得られるようになるのだろうか? 手渡されていた新聞記事を掲げ、今一度目を通す。

(神守神社……)

 智秋達が懸念していた神森家の特殊な家系と言うのは、神職であるという事。その神社が今どうなっているのか詳しくは聞かなかったが、恐らく父親は現在も行方不明……寧ろ、もう、この世にはいないだろう。となれば、息子である風遥が神主候補として関わって行くという事は避けられない。


“神森風遥の祖父母と、氏子達は話し合いに話し合いを重ね……

 ……一旦は、貴方に霜月ハクトとしての人生を歩ませることにしました”


 智秋の言葉を振り返る。

 彼はいつだって穏やかな態度でハクトの話を聞いていた。意味のない雑談からどうしようもない愚痴まで全部。それこそ彼もまた、保護者のような温かさで見守ってきてくれていた。

 一方で、もし自分の過去に興味が湧いたのなら、と、いつもこのファイルは用意はしていたのだろう。ただ、自分から言いださなければ、そのままハクトを社会に見送っていたのではないだろうか。

「………」

 神主の仕事についてはよく分からないが、重大な責任が伴う事は想像がつく。だからアルバイト感覚で始めて嫌になったらすぐ辞めます、と言うのは申し訳が立たない。 

 自分にそれが務まるのだろうか? ……先から考えたいことが矢継ぎ早に頭の中に飛んでくる……長年の靄を払おうとするかのように。

 そうだ。失った記憶の中に、色を失った原因もあるかもしれない。目に見える世界では解明できなかったその理由が、神という、目には見えない領域の中にあってもおかしくはない。……まあ、流石にそこまで出来過ぎた話は無いだろうが、僅かでも夢を見てみたいという気分にはなっている。


 ふと、そこまで考えて、そわそわとした気持ちが抑えられないことに気づいた。

 例えるなら、間もなく来る春を待つ小さな花の蕾のような。


(……期待、しているのか……?)

 僅かだがはっきりとした高揚感を自覚した。しかもそれは、知らない間に口角が上がることで表情にまで影響を及ぼしており、先にジュンに指摘されるまで気づかなかった挙動と同じだった。その上今は、ドキドキしているのも分かる。嫌な緊張からではなく、どこか心地よい拍動。

 こんな感覚は久しく無いので、戸惑ってしまう。というか、過去にあったかどうかすら、覚えていない。

(霜月ハクト――いや、“俺”が……)

 仮初の自分の奥にいる、“本当の自分”からの期待――普段はハクトという名前に守られ、何も感じず、何も発することなく沈黙を保つそれが、自我を立ち上げてきているのは非常に珍しい。

 その主張に応えるように、深呼吸を一つ。そのような能動的な感情が湧き上がっているのを、即座に潰そうとしない程には“自分”に諦めは抱いていないから。


“貴方が本当に神森風遥なのか、貴方自身で確かめるのです”


 だから、智秋の言う通り、自分の身でもって確認する必要はありそうだ……神森風遥が何者なのか。

「…………」

 意を決し、ハクトはスマホに手を伸ばす。20時35分、架電はまだ許される時間か。電話はあまり好きでは無いけれど、相手への連絡手段が電話しかないから仕方ない。若干の緊張は、コール音の途切れた先、穏やかな「はい」の声で解れた。

「ハクトです、今大丈夫ですか?」

『ええ、大丈夫です。

 ……お気持ちは、決まりましたか?』

 

「はい。智秋さん、俺……

 ――行ってみます。神守町に」


 まずは一歩を踏み出す。

 それが本当に「物語」の始まりかどうかは、分からないが。

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