命の危機を察知した瞬間は紅緋色
3月最初の休日、ハクトは下り電車に揺られていた。
通学にも利用している路線だが、今日降りる駅は学校の最寄駅ではなく終点。“神守真中”という、今にしてみれば神守町そのままの駅名。
2両編成のワンマン車両が、地方都市から田舎へとハクトを連れて行く。
見知らぬ地に行く事に、冬という季節は強い味方になってくれる。マスクに加え手袋やマフラーもして最低限に抑え、帽子の中に髪の毛を入れ込むことで白を目立たないようにできるからだ。その上乗客が多くないのもあって、今のところ特に不快な思いはしていない。
「………」
車窓からはところどころ雪の残る田畑が広がり、その奥に二つの山並みが折り重なって見えている。手前は里山、奥は北アルプスと称される山脈だ。里山は冬の山らしく黒に近い茶色だが、奥に聳える山並みはどれもが雪で真っ白。
雲一つない快晴の青空に連なる白が映え、眩しい程に輝いていて少し目を細める。
それを純粋に綺麗だと思ったハクトは、暫くは流れゆく景色を楽しむ。
『ご乗車ありがとうございました。まもなく終点、神守真中……かみもりまなか……』
やがて段々と中心街に近づいてきたようで、山並みはそのまま建物が増えてきた。
だが到着した駅は道崎駅に比べてかなり狭く、有人駅なのにエスカレーターはおろかエレベーターすら無く、当然改札口も一つ。駅前の建物も道崎に比べて低く、10階建てには満たないビジネスホテルが一番高い建物のようだ。
しかし人工物よりも目立つのは自然の光景、特に奥に聳える白い山々の迫力たるや。距離としては遠いはずだが何よりも高い位置からこの町を見下ろしているし、一方で振り返っても黒い里山と、山に挟まれている。
(……ここが、神守町……)
近景も、思っていたほど僻地というわけでも無い。人通りこそまばらだがタクシーも複数台止まっているし、大型のバスも見える。しかしまだ昼過ぎなのにシャッターが下りているテナントもあり、少々寂れている印象は拭えない。
……何か思い出せるかと思ったが、今のところ初めて見た景色という感覚でしかなく、懐かしいなどの感慨は一切涌いてこない。道の端に寄せられた残雪はところどころ黒ずんでいるあたり冬の終わりは近そうだが、ハクトに吹く風は冷たい。
すると、ポケットの振動に気づいたので手を伸ばす……智秋との約束の時間まであと10分ほどだが、その智秋から着信。
「どうしましたか?」
『ハクト君、すみません。道路が倒木で通行止めになってしまっていて』
「そうなんですか」
その言葉の通り、電話の向こうからは重機が稼働しているような低い音が響いている。中々大掛かりなようだ。
『ここは迂回できない道でして、30分程遅れてしまいそうです』
「そうですか。先に神守神社に向かった方が良いですか?」
『いえ、神社にはご一緒します。少し道が分かりにくいんですよ』
「そうなんですか」
『はい。ですので、そうですね……駅前に“ロマン”という喫茶店があります。
パフェがちょっとした名物のお店なのですが、そちらでお待ちいただけますか? 先にお話ししたい事もありますし』
「ロマンですね。分かりました」
『よろしくお願いします』
電話を切ってからロータリーの向こうに連なる店をざっと見渡すと、その一角の窓ガラスに『ロマン』と書かれた看板が見えた。
(あそこだな)
折角だしパフェを頼むのもいいかもしれない、と歩こうとした、直後。
――ふ、と。嫌な視線を感じた。“アレ”が群がってきた時のと同じような……。
「……!」
振り向いた先、駐車場の中心にある柱時計の前。植え込みの中に立っている時計なので待ち合わせの場所としては不自然なそこに、人が一人立っている。
くすんだ色の着物を纏った、長い黒髪の女性……違う……あれは……
(
直感で、それはヒトでも幽霊でもないと判断した。
璞は稀に球体以外の姿で現れる事がある、と、智秋に教えてもらった事がある。ただそれはかなり厄介な存在になっているので、見たとしても決して関わってはいけない、とも強く言われていた。
……実際に見たのは初めてだが、視界に入るだけで寒気がする。言われずともこれは即逃げだ……距離はあるはずなのに息をひそめ、本能的に自身の存在を消す行動を取る。
そのまま、絶対に、気づかれないようにと願うような気持でいたのだが――あろうことかソレはこちらを向くや否や、にっこりと微笑んできた。
「!!」
ゾッとして数歩後ずさり、そのまま背を向けて全力疾走。スマートに立ち去るのが無理だった以上、今はとにかく離れなければ!
(くそっ)
なりふり構っていられないので、反射的にマスクを下げる。目の前の信号が青だったのは幸いだった。そのままアーケード下を走っていき、いくつか交差点を突っ切りながらひたすら直進。
次の信号が見えてきたところで一度振り返って……例の女は追ってきていない事を確認。ちょうど赤信号だったので立ち止まり、膝に手を置いて呼吸を整える。
(……もう、いない、よな……?)
ある程度落ち着いてきたところでもう一度周囲をよく見渡し、人型の璞がいない事を再確認。ようやく安心できたので、一つ深く息をつく。
(酷い目に遭ったな……)
来て早々のアクシデントは幸先も印象も悪すぎるのだが、とりあえず振り切ることができたので良しとする。それにしてもなんとも嫌な存在感、球体の璞の大人しさがかわいく見えてくるほどだ。
当然もう駅前には戻りたくないのだが、智秋との待ち合わせまでまだ時間がある。しかし軽く周囲を見渡すも、ぱっと見時間を潰せそうな場所は無さそうだ。
「……行くか……」
ならいっそのこと先に神守神社に向かってしまうかと、気を取り直して神守神社へ向かうための道を調べる。ちょうどこの信号を右に曲がって暫く真っすぐ行くルートが表示されたので、案内はスマホに任せることにした。
あとは、智秋へ先に神社に向かう旨をメッセージで送った。妙な璞が駅前にいて不気味だからとは書いたが、余計な心配はさせたくなかったので、絡まれかけたという事は書かなかった。
ナビに先導されるまま進むと、踏切が見えてきた。その向こうに見える坂道を登った先に神守神社はあるらしい。智秋には道が分かりにくいと言われたが、今のところそんなこともなさそうだ。また、通行人は殆ど見られないので下げていたマスクは外し、ポケットにしまった。
そうしてハクトは何の気も無しに歩く――踏切横の線路の上に、人影が見えるまでは――
(え?)
今、線路の真ん中に人がいなかったか……? 一度は通り過ぎたのだが、思わず振り向けば……そこには、あの「女」が。
「……!!」
着物姿の璞が、微笑みを浮かべてこちらを見ている……! 目を見開き、声にならない悲鳴を上げ、鼻を衝くのは噎せ返るような甘ったるい香り――
「おかえりなさい。
ずーっと、あんさんのこと……待ってたんよ?」
そして女性にしては低い、耳に纏わりつくねっとりとした声に震えあがった。
「あん、た、は……!?」
そのまま呼吸を絡めとられてしまいそうになるのを、無理矢理息を吸い込んで声を絞り出す。
「嫌やわあ、忘れてしもたん?」
クスクスと笑うそれは、かなり昔から取り残されている亡霊のような出で立ち。
「俺、はっ……」
しかしその口ぶりからして、まさか“風遥”の知り合いなのか? もしそうなら“あんたのことなど知らない”と断言してしまっても良いものなのか……?
「っ!?」
直後、身体が大きくぐらつき座り込んでしまう。踵が踏切の溝にでも引っかかったか、ショックで腰が抜けてしまい、立てない。
(まずい……!)
足には力が入らず、頭はどうすればいいんだ、どうすれば逃げられる、どうすればと思考がループするばかりで使い物にならない。
そうこうしている間に、それは薄ら笑いを浮かべながらまた一歩、また一歩と距離を詰め……。
「ほな、わえが、思い出させてあげましょか……?」
「………!」
すーっと視界を覆い隠す様に伸びてきた手、それを振り払っていいものなのかも判断しきれぬまま――
“こちらだ、霜月ハクト”
(!?)
唐突に背後から呼ばれた事で我を取り戻し、その手を避けた。
その勢いで声の方へ身体を反転させたが人影はなく、人以外の存在も見えない。ただ、気のせいか少し眩しいような……
“走れ”
「……くっ!」
その声に命じられる筋合いは無いが、他にこの場を脱する方法も無いので地を蹴って走り出す。
車の通りが無いので赤信号は無視して突っ切ったが、次いで待っているのは坂道だ。一瞬直進することを逡巡したが、背中から感じるあの嫌な気配に圧されるように坂道へと踏み込んだ。正直、神社にさえ着ければどうにかなるはずだ、という期待もあった。ただ、坂道は傾斜がどんどんきつくなっていき、反発が増す足元では思うようなスピードも出せなくなる。
(ああ、クソが……!)
程なくして呼吸が苦しくなってきて、追われている事と、体力の無さの二つの意味で唾棄。さっきだって全速力だったのに、と悪態をつく。期待を抱き電話してしまったあの日の自分をぶん殴りたいが、その苛立ちすら今は前に進むための気力に変えないと足が止まってしまう。
「はっ……はあっ……」
息が上がり、喉が痛くなってきた辺りで中腹に差し掛かると、案内板が目に入る。そこにハクトは“←神守神社”の文字を見つけた。
「……!」
示すまま左に曲がって右奥……ここよりもう少し高い位置の木々の合間に、古びた鳥居があるのが目に入った。
(あそこか……)
人通りの全くない道を、冷たい風が通り抜ける。
右側は山の斜面と水路。透明な水が勢いよく流れており、飲めないと分かってはいるが乾ききった喉に流し込みたくなる。
左側は切り拓かれていて、田舎らしい景色が広がっている。だがその視界の片隅に入る不自然な黒――今通ってきた道のふもとにあの璞がいるのがはっきりと見えたが、まだ距離的には余裕があるのは助かった。
(後、少し……)
走る体力はもう無く、少しふらつきながら歩く。程なくして水路を架ける橋が現れ、そこから石の階段が木の鳥居へと続いている。
そこで一旦足を止め、見上げる。恐らく先ほどの声の主はここで待っていると思うのだが、それはほぼ確実に人ではないだろうし、それに仕えているであろう神職の見当もつかない。……あるいは、そもそも人がいるかどうか? ……分からない。
果たして1時間前の自分にこれを想像できただろうか? 縁もゆかりもない地に着いて早々、人ならざる者に翻弄される事態を。しかも本来いたはずの頼れる味方もいないとなれば、肉体的にはもちろん、社会的にも命の危機に等しい。神に対し失礼な振る舞いをしてしまえば、この話自体が無かったことになりかねないからだ。
一方で――空想の中だけの世界がいよいよ現実に飛び出してきたという事実は、妙な興奮もあって――
「……行くか」
終点、神守神社。抗いようのない絶望と、根拠のない希望。それらを深呼吸で落ち着かせてから、ハクトは階段を上りだした。
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