絶望と希望の色は、紫紺に一筋の黄金

 人工的に整備された石の階段の先に、予想もしなかった光景が広がっていく。

「……!!」

 目を見開き、言葉を失う。それは端的に言えば絶望――神守神社は、廃屋同然だったのだ。

(嘘だろ……?)

 その境内は木々が鬱蒼としており薄暗く、空は灰色の雲に閉ざされてしまっている。

 空気の流れは無く淀み切っており、冷えていながら湿り気のあるそれが肌に纏わりつき不快感を醸し出す。

 手水舎の水は枯れ、参道には石の合間から草が生え放題。

 石畳は泥と苔の色に塗れ、土からは水が腐ったような臭いがする。

 拝殿のしめ縄は垂れ下がり今にも切れそうな一方、植物のツタが新たな縄とばかりに絡みつき、屋根にまで張り巡らされている。 

「……おい、これは一体どういうことだ?」

 心霊スポットにでも案内したかったのか? 些か震える声でそう空間に問いかけてみるも、反応は無し。

(まさか)

 今になって騙されたのかという疑念が浮かぶも、時すでに遅し。

 智秋が一緒に行こうと言ってきた真意を痛感する――今からでも助言を得られないかスマホを取り出すも、一向に画面が明るくならない。

「何、で……!?」

 電源ボタンを何度長押ししても無反応。充電は十分あったはずなのに、何故? その不可解さに背筋が凍る。

 自分の選択と天の采配何もかもが嚙み合っておらず、気づけば袋小路に追い込まれていた。深いため息とともに、しゃがみ込む。

(最悪だな……)

 ……流石に心が折れそうになる。人に助けを求めるつもりでいたと言うのに、ここは人の気配はおろか、町そのものから完全に忘れ去られたかのような有様。神ですらいなくなっていそうなこの場所で、一体“誰”が助けてくれるのか。これではオープニングの最中にゲームオーバーだ。

 ならいっそ気を失ってしまいたいのだが、追いつかれた璞に何をされるかを思うと倒れる訳にも行かなかった。しかし体力は確実に消耗しているので、せめてまずは少しでも良いので休みたい。ハクトは、足を震わせながらも立ち上がる。

(どこか……隠れられる場所は……)

 疲労と緊張で痛いほどに早鐘を打つ心臓の上を押さえながら、身を潜められる場所を探す。ひとまず参道を通って建物に向かうかと、狛犬の像を通り過ぎようとして……

「ん……?」

 妙な違和感を視界の端に捉え、足を止めて見やる。左側の狛犬の像は苔むしておりこの“死んだ”空間によく馴染んでいるのだが、気になったのは右側。その像はやけに白く見え、この雰囲気から明らかに浮いている。さながら、ハクトと他の人との“違い”のような……。

(何だ……?)

 その強烈な不調和に惹かれるように近づくと、その像を纏うかのようにして、仄かな光が雪のようにちらちらと舞い落ちてきているのが見えた。

「光、か……?」

 霞か、埃か、それとも何かの微生物が反射しているのか? 手に落ちてきたそれに形の感覚は無かったが――確かな温かさがあった。

「……!」

 瞠目してこの“生きた”像をまじまじと見上げる。

 台座にはコケや草が迫っているのに、石像の表面には一つのくすみもない。

 寧ろ、廃墟と化していく時間の流れから切り離されたかのような白は、朧月のような光を携えて柔らかく輝いている。

 虫の一匹も見当たらないこの空間の中で、唯一強い生命力を感じられるこの石像に、何かしらの意思が宿っているのは明らかだった。

「…………」

 そしてその双眸は、誰かを待っているかのように遠くを見つめているように見えた。


 ――もし、その待ち人が、“神森風遥”なのだとしたら――……

 手のひらに落ちたほのかな熱、そのひとひらの希望を、握りしめて問う。


「……あんたか? “俺”を呼んだのは……」


 刹那。

 狛犬の像が強烈な光を放ち、視界が真っ白になった。 

「!!」

 腕で目を覆いながら薄目にでも様子を伺おうとしたが、全く分からない。

 今までの暗さから、目が完全に眩んでしまったようだ。 

「…………」

 仕方ないので光が収まっていくのを待つ。その光に、先までの不安が溶かされているのを感じながら。


「――お待ちしておりました、風遥様」


 声に導かれるようにゆっくりと目を開けると、一人の男が石像の前で跪いていた。

(人じゃない)

 厳密には狛犬の像をそのまま擬人化した姿で、咄嗟にそう胸中で呟いていた。纏う雰囲気も、人と比べて何となく硬く感じる。

 癖の強い柔らかめの金髪の中に犬耳が立っていて、鮮やかな和装の尾てい骨のあたりからはふわふわの尻尾が生え、指先は鋭利な長い爪。

 人間の耳の部分は金髪によって覆われており、跳ねた後ろ髪をつつじ色の宝玉がついた簪で纏めている。

 その姿に璞のような本能的な嫌悪感は無いが、神というには些か神々しさに欠けるあたり、神の使いと言うのが一番近いのだろうか? 

「……あんた、分かるのか?

 “俺”が、神森風遥だって」

 そう問えば、男はゆっくりと空色の瞳を向けて頷く。ガラス球を突っ込んだかのような、どこか虚ろな目。

「はい。最後の記憶からはかなり遠ざかった外見となっておられますが、貴方様の魂そのものに変わりはありません。

 揺るぎなく、貴方様を風遥様だと断言出来ます」

「魂……」

 ぽつりと呟く。人ではない彼らは、彼らなりの識別の方法を持っているのか? 抑揚のない声だが迷いなく風遥だと言い切ったその言葉に、ハクトでありながらも何故か強い安心感が広がった。

「風遥様」

 しかしその余韻は、無感情な呼びかけによって一瞬でかき消された。

「神守神社の神主が不在となり13年……その間、この神社は閉ざされておりました。神社がこの在り様では、町への悪影響も深刻でしょう。

 直ぐに私と陽使の契約を結び、神器を継承して下さい」

「…………」

 淡々とした説明口調の中に聞いたことのない単語がいくつか出てきたが、何となく言っていることは理解できた。神守神社の神主になれ、と言ってきているのだ。

 となれば、答えは決まっている。

「そして一刻も早く……」

「いや、その件なんだが」

「?」

 なのでまだ何か説明してきているのを制止すれば、空色の双眸が数回瞬いた。

「あいにく、今の俺は神森風遥としての記憶を全部失っている。

 何も覚えていないんだ、あんたのことも」

「そうなのですか?」

 誤魔化さずに正直なところを告げると、相手は不思議そうに首を傾げる。

「ああ。だから神主とかそういうのは、多分無理だ」

「そうですか」

 こちらの否定に対し、表情にも声音にも落胆などの様子は特に見受けられない。寧ろどこか客観的にも思えるそれに若干拍子抜けさせられるも、これ幸いとばかりに言葉を続ける。

「本当は今日だって観光みたいな感じで来る予定だったんだ。

 ただ変な奴に絡まれて……っそうだ、アイツは――」

 そこで、自分の危機的状況を思い出して再び焦りが込み上げてきた。

「アイツ、とは?」

 “風遥”の異変を機敏に察したか、狛犬の目が鋭く細められる。

「着物を着た女の姿をした璞だ。変な言葉遣いで……げほっ!」

 もう来ているのではないかと後ろを振り返ってむせた。あの、気持ち悪い甘さが鼻腔内に入ってきたのだ。

「……それは、あの璞ですね?」

 この狛犬も侵入者の存在に気づいたようで、立ち上がって入口を睨みつけている。

「ああ……」

 そうして鳥居の真下にそれは再び現れた。にやりと薄ら笑いを浮かべているのはそのままに。

 一歩下がるハクトとは対照的に、“風遥”を守るとばかりに狛犬は一歩前に出た。

「――では風遥様、どうぞ私にご命令を」

 が、それにしても随分機械的な挙動をする。何をすべきかは分かっているであろうに。

「アレを何とかしてくれ」

 対して咄嗟に出た言葉による、自分の具体性のない命令よ。ちゃんと通じるのか?

「ご命令を復唱致します……“アレを何とかしてくれ”」

 しかしそれは杞憂だった。標的を定めた獣のように、すーっと腰を落として……

「承知致しました」

 直後には、弾丸の勢いで飛び出していった。

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