様々な色が迷い、混ざりきったら榛色

 鬱々とした空間の中、白と黒、光と闇が迸り、ぶつかり合う。

 狛犬が大きく空へ跳躍し、璞がそれに続く。重力を無視した戦いに、ハクトが出来ることは何も無い。

 ひとまず拝殿の方へ退避しつつ様子を伺うも、不安が心を渦巻きだす。

(あいつ、押されてないか……?)

 覚醒したてだからか、思うように戦えていない印象。狛犬が繰り出す攻撃は避けられるか弾かれ、防戦一方になっている。そのさなか何か言い合っているようにも見えるが、こちらまで声は届かない。

 ――途端、相殺に失敗したのかふらついた狛犬に、璞が一気に間を詰めた。

 そして無防備になったその体に、強烈な一撃が叩き込まれる。

 その勢いや凄まじく、屋根を突き抜け、こちらまで低い振動が伝わってきた。

「!!」

 衝撃で瓦は吹っ飛び、扉が外れた。土煙が巻き起こる拝殿の中へ土足のまま上がり、若干の視界不良の中を進む。

「だ、大丈夫か!?」

 程なくして伏した狛犬を見つけたので慌てて駆けより膝を落とすと、狛犬はハクトに気づいてはっとなり、咄嗟に立ち上がろうとした。

「……っ……!」

「おい、無理するな……」

 しかし地面に押し付けられた手は、小さなうめきと共に崩れてしまう。

 落下物の状況からして、屋根を貫通した後、壁に叩きつけられ床に倒れたようだった。見ればその背中の一部が白く塗りつぶされており、そこから粒子状の光が溢れている。

(何だ……?)

 人としての輪郭を失いかけているかのような不安定な光。人型の状態を保てなくなっている、とでも言うのだろうか。おずおずと触れてみるも感覚こそ得られないが、胸のあたりが懸念でつっかえる。

「……申し訳ございません、風遥様」

 狛犬は慎重な動作で顔を上げ、膝をつく。痛がる様子は無さそうだが、深刻なダメージを受けているのは間違いなさそうだ。

「現在私は本来の力を半分も出すことが出来ていません。その為貴方様から受けた命令はおろか、貴方様を護る事ですら困難な状況です」

 が、にもかかわらず淡々と説明された状況は、現実味の無さも相まって状況を飲み込むのに少々難儀する。

「ですので、今は一旦お逃げ下さい。璞は私が引き付けます」

「逃げるって、どこへ……」

「真見町の方へ。正確な位置は把握できないのですが、既に私の同輩がこちらに向かってきているようです。

 風遥様の事は知っていますので、保護して下さるはずです」

 まことみまち? 聞いたことのない地名、しかもスマホのナビも使えない状態となれば、一体どう向かえばいいんだ?

「じゃあ、あんたは? 後から来るのか?」

「いいえ。私の命が続く限り、ここで時間を稼ぎます」

「……!?」

 自分が犠牲になることを前提とした物言いでようやく自覚させられる、口調以上の切迫さ。事態は自分の想像以上に悪かったという現実が、それまでの仄かな希望を濁流のように押し流す。

「ご安心ください、直ぐに多くの同輩がこの地に呼ばれます。この璞の浄化は、その者たちによって為されるはずです」

「何を言って……」

 言われている側の狼狽えようなんて全く意に介さず、狛犬は顔を伏せ細く息をつき、鋭い爪でガジと地面を掴み直す。そして、小さく体を震わせながらゆっくり立ち上がった。

「私は、貴方様を先代様と我が師より託されました」

 先のガラス玉のようなそれと同じとは思えない、強い意志の伴った空色の瞳が、恐れに揺れるハクトの白をはっきりと映す。

「貴方様を失わせはしません。

 ……私の存在全てを懸けても」

「………!」

 迷いのない声に貫かれるように、どくん、と大きく心臓が跳ね、その余波とばかりに全身が大きく震え、限界まで目が見開かれた。波打つように余韻が残るこんな感覚は、全く知らない……!

(何、だ……!?)

 心の底から湧いてきた、熱を帯びたようなこの感情は、一体……!? その謎の寒気は狛犬の深々とした一礼で途切れた。

「ご命令に沿えず、誠に申し訳ございません――風遥様」

「あ、待て……!!」

 また駆け出していく狛犬。気のせいか、ダメージの範囲が先程よりも広がっているようにも見える。

「……クソっ……」

 折角助かったと思ったのに、実際は追い込まれているだけだっただなんて。

 しかし“主”を守ろうと冷静沈着な中でも必死さが見え透いていて、こちらが絶望に沈むわけにはまだ行かなかった。

(どうすれば……)

 何か手立てはないかと、砂埃が収まった周囲を見渡す。その広い空間の中心には祭壇があり、鏡などの神具が置かれている。ただ、外で起きていることなど知りもせずとばかりに鎮座するそれには、無性に腹が立ってきた。

「あんたの使いが劣勢だぞ、どうするんだ」

 毒づきながら、その使いである狛犬を憂う。

 13年間待たされ、やっと呼べた主は記憶をなくし自分の事をも忘れ去られ、神主になることも拒否。にも関わらず何一つ主を疑わず、本調子も出せない状態でも文句一つも言わず、まさに命を懸けて戦っている、あの彼を……

(……待て……?)

 ふと気づく。よくよく思い起こせば、彼はここに誘導してきた“声”とは全然声質が違う。

 何より――あの声は、自分の事を“霜月ハクト”と呼んでいなかったか……!?

「おい! どこだ!!」

 バッ、と天井を仰ぎ叫ぶ。絶対いるはずだ、もう一人、別の“使い”が!

「いるんだろう、返事をしろ!! どうすればいいんだ!?」

 ………………

 ただ己の声が響くだけ。しかし“いる”という確信があるので、そこに虚しさは感じない。

「答えろ!! あんたはこれが望みなのか!?」

 なおも続く沈黙に、祭壇を睨みつけながら怒号を上げる。無理矢理にでもその存在を引っ張り出すため、いざとなったらこの鏡を叩き割ってやろうかという気概すらある。そうすれば流石に怒って出てくるはずだ。

 すると――祭壇に置かれた鏡が一瞬強く輝き、その手前に青白い光球が浮かんだ。


『霜月ハクトよ、方法は二つある』


 そして、聞き覚えのある声で呼びかけてきた。間違いない、先ほどの誘導の声だ。

『一つ目は神器の継承。それが行われれば、あの狛犬は本来の力を取り戻す。

 璞を浄化するまでには至らずとも、追い払うには十分だろう』

 狛犬のような実体がないあたり、これが神、なのだろうか? いや恐らく違う。本当に神なら、こんな回りくどい助言をせずともこの場を収めてくれる、はずだ。

「神器の、継承……?」

 そう言えば狛犬も似たような事を言っていたが、その方法については全く分からない。

「言っておくが俺は何も覚えていないぞ。それでも出来るのか?」

『可能だ。継承には定められた記憶や、手順を必要としない』

「なら……」

 いよいよあの狛犬を助ける方向に傾いた衝動を引き止めるかのように、輝きが増したので目を細める。

『だが、一時の感情に惑わされてはいけない』

「……!」

 的確な指摘はハクトの胸中を見透かした上で牽制するかのようで、冷や水を浴びせられたように硬直する。

『神器の継承は、神森風遥としての生き方をも継承することと同義。

 霜月ハクトとしての人生に戻ることはできない。 

 ……故にお前が霜月ハクトならば、狛犬の言うように逃げるべきだろう。それが二つ目だ』

(逃げる……) 

 今一度冷静になって考える。以前智秋が言っていた“神森家の特殊さおよびその宿命”というものの片鱗をひしひしと感じている今、確かに逃げられるのなら今すぐに逃げて、今日の事を全てなかったことにしたい、が……

「俺が逃げたら、あいつはどうなる……?」

『消滅の可能性が極めて高い』

「つまり、死ぬってことだよな?」

『そうだ』

 念のためと確認すれば、無感情な肯定で返される。

「……あいつは、本当にそれでいいのか……?」

 一つの命の死に対し何の感慨も無いとばかりに言い放つのは理解できず、首を横に振る。

 

“貴方様を失わせはしません。

 ……私の存在全てを懸けても”


 しかし脳裏に響いてきたのは、覚悟の現れ。その言葉に偽りは感じられない。

『本望だろう』

「っ……」

 そして“同輩”からの追い打ちに俯く。“風遥”が逃げ切れることさえ出来れば、命と引き換えになったとしても満足なのだという事は十分に裏付けられている。ならやはり、逃げる事に対する罪悪感は持たなくていいのかもしれない。まして己が人生を懸けてまで、助けなくても……。


 だが――あの時、“俺”は何を思った?

 強い意志に心が揺さぶられた、あの瞬間――……


 考える間もなく倒木のような音がして入口を振り向くも、ひゅう、と埃っぽい風が吹き込んできただけで狛犬の様子は伺えない。

 ただ、余韻でカタカタ揺れる祭具が、まるで時間が無いとばかりに急かしてくるかのよう。

(どうすれば……)

 それはあまりにも重い二者択一。冷えた空間なのに、こめかみから汗が流れ落ちた。

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