謀りの夜半に我は疲弊す
コクトの言葉が引っかかり、眠るに眠れずテレビをつけて早2時間。熱心に見る、というより、半分ぼんやりしながら流していたのだが、ようやく眠気がやってきてくれた。
なのでそろそろ寝ようかと思った直後――とんとん、と玄関の扉を叩く音が聞こえたので、泡が弾けるように意識がクリアになる。
「?」
こんな時間に参拝者が来るはずも無いので、レヴァイセンが戻ってきたのか? わざわざノックするという事は、彼なりに気を使ってくれるようになったのだろうか。そろそろと玄関に向かう。
『風遥、ちょっといいかな』
しかし聞こえてきた声は父の声。ただ、その呼びかけはいつものような優しい声ではなく、何か良くないことを訴えようとしている焦りのようなものを感じる。
「父さん?」
わざわざ住居まで訪ねてくるだなんて珍しいなと鍵に手をかけたが、指が抵抗して動きが止まる。
(……?)
本能的な反応のようだが、一体何に対してなのか? よく分からないが、風臣がいるから大丈夫だろうと指を引き上げれば、
『風遥、駄目だ!』
「え?」
鋭い声での静止が入ったが、既に開錠の音が響いた後だった。
刹那、手にかけていた引き戸がするりと開くが――立っていたのは、風臣でもレヴァイセンでも無かった。
「……!?」
「ぅぁ~……」
夜半の訪問者は中年の女性だが、寝間着の格好、焦点が合っていない目、呆けたような声、と明らかに様子がおかしい。
今思えば父の声は、扉越しじゃなくて頭の中に直接響いていた。つまり、来訪者は風臣ではなく、寧ろ来訪者への応対を止めようとしていたのだ!
それを、本能では察知していたはずなのに、安心感と疲労感が判断を狂わせたのだ――
(まずい……!)
反射的に戸を閉めたのだが、ずっ、と踏み込んできて足がつっかかって戸が完全には閉まらず、その隙間を縫うように両手が入り込み乱暴に扉を握り締めた。
「なっ!?」
ぎゅっ、と心臓を掴まれたかのように鼓動が跳ね、ガタンと大きく扉が軋む。
しかも無理矢理こじ開けようとするその力はまさかの拮抗。こちらも必死になって抑えるも、一般的な女性からは想像もつかないほどの押し具合に完全に動揺している。
「っく……!!」
『風遥、彼女は璞に乗っ取られてしまっている。
人間という隠れ蓑があると、璞も神社に侵入できてしまうんだ』
(何だって……!)
つまりこれがコクトの言っていた“例外”? 確かに継承の儀式の時、人間にくっつく形で璞が入ってきていたが、璞が神主を襲撃するだなんて聞いてない!
『この璞は満月によって攻撃性がかなり増している。
だから、神主を襲うという自殺行為もお構いなしなんだ』
だが完全に理性が飛んでいる割にはご丁寧にノックしてきたのが質が悪い。いっそもっと乱暴に戸を叩いてくれたのなら警戒できていただろうに、不意打ちを狙う知性があるだなんて!
(レヴァイセン! 例外が起きたぞ、戻ってこい!!)
とりあえず胸中で叫ぶも、これはコクトのそれと違って数分と持ちそうにない。
隙間からちらちら見える襲撃者は白目をむき出しにし、口からは相変わらず低く唸るような声が漏れている。璞の影響で化け物のようになってしまっているわけだが、その浄化には大幣を媒介としており今は悠長にそれを振る余裕なんて無い。
(どうしたらいい、父さん!)
堪らなくなって助けを風臣に求めた。
『相手に直接触れて浄化するんだ、部位はどこでも良い。
とにかく、彼女を操っている璞を浄化すると強くイメージするんだ』
すると冷静な声が的確な助言を出してくれた。
(強く、イメージ……!)
それは神主の力の源泉にアクセスする方法にして、その使役に最も必要とされるもの。
一見すると単純な方法だ。問題は、緊張と疲労で震えている手でそれを行わなければならない事。
『急ごう。彼女の肉体的負荷も心配だ』
(分かってる)
こうしている間にも消耗しているのだから風臣の言う通りだ、直ぐにやらなければ。右肩をドアに押し付けて踏ん張って、そこに全身の力をかけ扉を抑え込む。
すると、するりと手が外され足が引っ込んだので、風遥がかけていた力の勢いで扉が閉まった。
「え……!?」
予想外の引きに驚くも、指はしっかりと鍵を閉めていた。抑え込む姿勢はそのままドア越しの気配を探る……静かだ。
(諦めたのか?)
『いや、まだいる。油断しないで』
(だよな……)
このような駆け引きも璞の戦略なのか、それとも憑依元の人間の個性によるものなのか。
『とはいえ……物理的な武器の類は持ってないみたい。疲労で一時的に引いたのかもしれないね』
風臣がドアの向こうの光景を正確に伝えてくれるのは助かった。丸腰となれば迎撃も容易そうに思えた、が。
『さあ、今のうちに浄化の準備を整えるよ』
「………」
その促しには若干の抵抗。鍵を閉めたままレヴァイセンが戻ってくるのを待つ方が確実ではないだろうか?
『理では浄化作用が強すぎて、彼女の精神に後遺症が残る恐れがある。
……君がやるんだ、風遥』
そんな風遥の思考を読んでいるかのような先回りに対しての理解は出来たが、躊躇いは抜けない。
(でも……)
触れば良いだけというのは分かってる。だがどうしても万が一がつきまとい、自分が殺される未来が脳裏にちらついてしまう。
『それに、玄関だけが侵入口じゃないし、逃げられたら大ごとになる。今が最大の好機だよ』
(分かってる、分かってるんだ……けど……)
額ににじんだ汗が一筋流れ落ちる。この危機的な状況は、コクトに追いかけられた時を彷彿とさせる。あの時もこうやって追い詰められて――……
(……いや、違う……!)
鮮明に思い出したはずの恐怖は、今この瞬間には勇気になった。何故なら、今の自分には神主の力があるから。もう、ただ逃げる事しか出来ない絶望は無いのだ。
『大丈夫。その璞より、風遥の方が強い』
風臣の言葉も奮い立った気持ちを更にかきたててくれ、すーっと恐怖心がクリアになった。一つ頷き、扉から離れる。
(やってみるよ、父さん)
『よし。じゃあ、力を手のひらに集めていくんだ』
そう風臣に誘導されるまま、両手のひらを見つめて意識を向ける。
『そして、璞を消す、燃やす、飛ばす、押し流す……好きなようにイメージするんだ』
触れた手から突風のように浄化の力が対象の全身隅々まで行き渡り、璞がどこに巣くっていようが吹き飛ばすようにして全部浄化する、と言うイメージをした。
『それで大丈夫。後は触れるだけだ』
――直後、またトントン、と控えめなノックの音。まるで先の繰り返しのようにも思えるが、もうこちらは不意を突かれることは無い。寧ろ逆、今度はこちらが奇襲を仕掛ける番だ。
(やれる)
最後にそう強く言い聞かせてから、鍵を開ける。
バアン、と扉が叩きつけられるように開き、ゾンビのような様相の璞が再び侵入してきた。
「ぅぁぁ~!」
その呻きと共にまっすぐに伸ばされてきた手をがっちり両手で掴み、強く握りしめる。
「消えろ!!」
先にイメージした力を叩き込むようにして叫ぶ。一瞬、虫か何かが背中に侵入してきたかのようにぞわぞわと背筋に悪寒が走ったが、その不快感は直ぐに消える。
対象がすとんとその場に座り込むと、遅れてその腹部から黒い不定形……璞が逃げ出すように飛び出してきて、直ぐに霧散。そこを、光の粒子が煙のように一筋昇っていったので、璞は浄化されたようだ。
『浄化完了。バッチリだよ、風遥』
「……うん」
ただ当人の状態がなおも呆然と虚空を見つめているので注視していると、ゆっくりと左右に動き出した目がはっきりと風遥を見た。
「……風遥、君……?」
「大丈夫ですか?」
そう聞くも、様子からして完全に正気に戻ったようだったので安心した。よく見れば彼女は氏子代表の一人、フジヨシだった。
「ええ、大丈夫だけど……」
フジヨシはそう言いながらきょろきょろして、状況がわかってきたらしくはっきりとした困惑の表情になる。
「あらやだ、どうして……!?」
「ここに来るまでのことは、覚えてますか?」
努めて穏やかに問うと、フジヨシは考えるように視線を落とした。
「ええっと……寝ようとしたら庭から物音がして、外に出たんだけれど……
いくら自我を失っていたとはいえ、たった今まで殺意を向けられていた相手に何事もなかったかのように対応が出来ている。そんな自分の切り替えの早さには、我ながら褒めてもいいだろう。
「いたのは、赤い目の黒兎だったのよ!」
「……!!」
が、発された『黒兎』と言う単語に目を見開く。
「それでいけない! って思って、直ぐに戻ろうとしたんだけど……思い出せないわね……」
コクトだ。レヴァイセンを捲いたのち、住民の家を訪ねたという事なのか?
「ごめんなさいね……私、風遥君に何しちゃったのかしら……?」
「……寝ぼけた様子でいらっしゃっただけです。大丈夫ですよ」
「そう……?」
記憶が無い様子なのは助かった。ホラー映画のゾンビのように襲い掛かっていた、だなんて知った日には様々な意味でショックを受けてしまうだろうから。
「ごめんなさいね」としきりに謝るのを宥め、フジヨシには念のため迎えを呼んだ上で帰宅してもらった。
一段落ついたところで今度こそしかと施錠し、神器の間へと駆けこむようにして入る。
「父さん、今のは……」
そこに険しい表情で腕組みをしていた風臣は、ゆっくりと頷いた。
「コクトの仕業だろうね。多分、攻撃性が高まった璞を彼女に宛がわせたんだ」
普段笑みを浮かべていることが多い風臣の、明確な怒りの表情を見たのは初めてだった。
「やっぱりか……!!」
意味深なことを言ってきたのはそのためだったのか、とばかりの茶番。もしかすると璞越しに操っていたのかもしれない。
「赤い目の黒兎は不吉の象徴、決して近づいてはならない――これは神守町の住人の共通認識。
……相変わらずみたいで、嫌になるね」
「本当に……」
溜息をつく風臣に重ねるようにこちらも細く息をつく。
「でも、風遥も彼女も、無事でよかった」
そう言って風臣は微笑むが、風遥の表情は晴れず目を伏せる。
「…………」
住民を巻き添えにすることに背筋が震えた。目的のためなら手段を選ばないことへの憤りや、町や神主のことが好きだと良いながら躊躇い無く襲わせるという行為への恐ろしさで。
いや、あるいは、好きな子をからかうノリで差し向けたことなのかもしれない。力を持て余しているが故の遊びとばかりに。
総じて不可解で厄介なその存在は神社の中という絶対的な安全の場を崩し、次の璞の襲撃への警戒と恐怖を生む。
「また、襲ってくるかな……」
ぽつりと呟くと、ぽん、と風臣が風遥の肩を優しく叩く。
「レヴァイセンが戻ってくれば大丈夫。流石に天敵がいるところに向かう璞はいない。
それに、私にも見張りは出来る。もう不意打ちはさせないよ」
「分かった、ありがとう」
つまり、さっきのように声をかけてくれるという事だろう。
……本音を言えば一緒に戦ってほしいのだが、レヴァイセンにバレる可能性もある以上、流石にそれは望み過ぎか。
「私は風遥を一人前にするためにいるからね。代わりに戦うことは出来ないよ」
「……そんな所まで読まなくていいのに」
その、下心とも言うべき咄嗟の思考までしっかり拾って諭されてしまったのには、少しむくれてしまう。
「それに、私はここから出られないんだ。すまないね」
「そっか……」
ただ、物理的に不可能なのであれば仕方ない。けれど、番犬のように危険を知らせてくれるだけでも十分だ。
そうして自室に戻り、布団に入る風遥。レヴァイセンが戻ってくるまで起きていようとスマホを手に待っていたのだが――気づけば、午前6時の鐘の音。
(……寝落ちしてたか)
まだ眠気の残る頭を無理矢理起こすためにもと、眼鏡をかけ上着を羽織っただけの身支度で外に出て、朝一番の爽やかな空気を吸って叫ぶ。
「レヴァイセン!」
……ところがしばし待っても何も起きず、鳥の鳴き声と風の音が響き渡るだけ。境内を歩き回って探してみるも、その姿は見つからない。
「寝てる、のか?」
狛犬の像の前に立つ。寝てるという表現が合っているのか分からないが、とにかく理の寝床ともいえる場所なら、その存在を感知することができるだろうか。
もしいるなら、太陽の光を反射した粉雪のような光の粒子が見えるはずなのだ。……ちょうど、13年の間眠り続けていたレヴァイセンを見つけたときのように。
しかし今の狛犬の像に目を凝らしてみても光はなく、念のため触れてみても、やはり反応は無い。境内にはいないようなので、拝殿や神器の間と屋内も探してみるが、静まり返っており風遥以外の人の気配は感じられないので、神社内にはいないようだ。
(レヴァイセン、どこにいるんだ?)
なら、まだ見回り中なのか? 思念で問いかけてみるも、返事は……無い。
……そう言えば、昨夜襲撃を受けた時の呼びかけに、レヴァイセンは応じていたか……?
(返事、無かったよな……)
不穏な胸中を代弁するかのように、ざわざわと木々が大きく揺れる。
昨夜、風遥が璞に乗っ取られた人間の襲撃を受けていた時、レヴァイセンが応じられなかった理由は何だろうか?
もしもそれが、コクト本人が再びレヴァイセンの前に現れていて、戦っていたからだとしたら?
そして、明け方には戻ると言っていたはずなのに、戻ってきていないという事は……?
その推測は、嫌でも最悪の展開を想起させて――
「っ……!!」
小さく身体が震えだしたのは寒さからだけではない。急いで自室に戻ってスマホを手に取り、履歴から智秋の番号に発信する。
焦る風遥の胸中を察するかのように、コール音は直ぐに途切れた。
『おはようございます、どうしましたか?』
気のせいか少し驚いている様子の智秋だが、出てくれたのは本当にありがたかった。
「朝早くにすみません。その……レヴァイセンが、戻ってきていないんです」
こちらは動揺か声が少し掠れている、伝えたいことははっきりしているというのに。
――もしかすると、コクトに――……
そう言おうとしたのだが、口内に飛び込んできた冷たい風に遮断された。
否それは、続きを口にしたくないという気持ちの表れだったのかもしれない。
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