理の想いを繋ぐ感情は
『戻ってきていない、というのは、見回りからですか?』
「はい。昨夜コクトが神社に来て、そいつを追いかけたっきりで……思念にも返事が無いんです。だから、もしかしたら……」
『風遥君、落ち着いて下さい』
その最悪の展開を思わず口にしそうになったところで、智秋が大きめの声で被せて続きを遮った。
『理の死亡については、いかなる理由であれ必ず周辺地域の陽使に報せが入ります。昨夜はそのような事象は発生していませんので、大丈夫ですよ』
「そうですか……」
普段通りの声音の説明は、乱れた心にもすっと入ってきて呼吸を整えていく。
『ただ、自発的に動けなくなっている可能性が高いので、取り急ぎソラリスを向かわせます。
拝殿の前でお待ちいただけますか? 10分ほどで到着できるかと思います』
「分かりました」
『それと、コクトの件については、改めてお話を聞かせてもらえますか? 後ほど私も伺いますので』
「……お手数をおかけしすみません」
『大丈夫ですよ。では、また後で』
「はい」
電話を切る。ひとまずレヴァイセンは死んではいないと言うことは分かったので安心しており、着替える手つきは動揺もなく平静さを取り戻していた。
「……ソラリス、か……」
しかし口をついて出るのはため息。単身来るであろう隣町の陽使のことを考えるとまた違った意味で気が重くなる。あの威圧的な態度で何を言われるのだろうか、と。
そうしておおよそ10分後、智秋に言われたとおり拝殿の前で待つ。すると、建物の裏手から枯れ葉や枯れ枝がつもる土を踏む音が聞こえてきて、隣町の陽使がやってきた。
「朝から悪いな」
「……レヴァイセンの位置は既に把握している。案ずるな」
相変わらずの圧のある物言いだが、今回に限ってはその断言は風遥をふたつの意味で大いに安心させた。言葉通りの意味でひとつと、出会い頭に正論という名の嫌みを言われなかったという事が、もうひとつ。
「……行くぞ」
そう言うや否やソラリスの姿が光に包まれ、蛇のように細身で長い龍の姿に変化していた。髪の毛の色を反映した透き通った薄青の身体は、湖に住んでいそうな水龍を彷彿とさせる。
「乗って、いいのか?」
ソラリスは答えこそしないが、頭を下げ首(と言っていいのか)の辺りを風遥の真横につけてきたので、ここに乗るように指示されているのだろうと判断してまたがる。
全身堅そうな鱗で覆われている姿だが、その部分だけは適度な柔らかさがあった。
姿勢を安定させたくて捕まる場所を探し、ちょうど長い角が手元に来ていたので、おずおずと握ってみる。
「わ……!」
それが合図となったかのように、ふわりと浮かび上がり朝方の空へと昇っていくソラリス。セーフティーベルトのないアトラクションのようで、落とされまいと手には自然と力が入った。
すーっと、水龍は空を泳ぐように進んでいく。眼下には見慣れた神守町の景色、それも、境内のベンチから見下ろすのとほぼ同じ高さを飛んでいるようだ。
『……言ったとおりだろう、神守の神主。直ちに契約の解除を行うといい』
この姿だと普通の会話は出来ないようで、頭の中に直接声が聞こえてきた。……心底呆れたようなため息も、しっかりと。
「……まずは、レヴァイセンに話を聞く」
ソラリスとしては助言のつもりなのだろうが、何分彼固有の圧が含まれると強要にも感じられてしまう。そこに明確な反対意見を言うには少々はばかれるものがあったので、少し濁した形に留めておく。
『業務に支障がでているという事実は変わらないのにか? お前は情に基づく判断を優先しすぎている』
「だからって、一方的に決められないだろ?」
絶えず吹き付ける朝方の風は爽やかだが、時に頭を冷やせとばかりに冷たく感じられる。
『……お前は神主だ。陽使への過度な感情移入は神主自身の精神が乱され、正常な判断を阻害する原因になる』
「………」
言っていることは分かる。しかし自分は元々感情を優先した結果神主になったというのに、肩書が変わったからといってその思考回路を変えることなど到底無理な話だ。
『何故なら我々理は人間のような豊かな情を持たない故に、神主の感情に共感することが出来ない。それが却って神主の感情を逆撫でする事があると分かっている上で、だ』
「ああ……」
しかしそれはその通りだと思った。ちらつく先日の映像……自らを否定されているにも関わらず何も感じていない様子のレヴァイセンに、何故か風遥がイライラさせられる始末。当然、主のその苛立ちについても意味が分かっていない様子だった。
『実際、今お前はレヴァイセンを心配しているのだろうが、それもレヴァイセンは理解できないだろう。
……行動不能は単に理の失態、同情は無意味だ』
「そう、なのか……」
淡々と述べるその様子からして、そこまで一大事という認識ではないらしい。
とすれば、昨夜の夜半の出来事を風遥の感情面まで子細まで話したところで、それも思うようにレヴァイセンには伝わらないだろう。
真っ先に想像できるのは、感情のこもっていない謝罪の言葉。理からすればそれが最適な行動なのだが、風遥からするとどこか釈然としない態度に見えて……そうしたズレが、また新たな精神的苦痛になりうると言えばそうだ。
(何でだろうな……)
何故共感してもらえないか? 何故なら相手の感情が希薄だから。もっともな理由だが、ふと疑問にも思った。
「そもそも、何で理には感情が無いんだ?」
『生まれた瞬間に全てが決まっているからだ』
「……どういうことだ?」
言葉そのものは理解できたが、不可解なことだったので小さく首を傾げる。
『与えられた能力や機能、それに基づく階層と役割、そして――寿命。
命尽きるまで定められた事を全うするだけの存在に、余計な感情は不要だ』
その生き方はまるで機械そのものじゃないか、と小さく目を見開く。
「……それで、いいのか……?」
それに、生まれた瞬間に全てが決まっているとして、もしそれに納得がいかなかったとしたら……? 気づけばそうぽつりと呟いていた。
『我々の生を不自由で無意味に思うか、神守の神主』
「……無意味だとは思わないが……不自由については否定できないな」
言葉を選ばない物言いからまた圧を感じ、不快にさせまいとこちらの語調は弱く。
『……我々から見れば、自身に与えられた能力と、使命を知らぬまま生きる方が不自由に思える。知らぬが故に、他者と比較し惑わされたり、過度に自身を抑圧し――その負の感情を璞に付け入られ、個人はおろか社会全体の調和を乱す人間を多く見てきているからだ』
「………!」
だがソラリスの堂々とした態度はそれを杞憂と思わせるには十分だったし、指摘についてはそう言う見方もあるのかと素直に思わせてきたのだ。
『そうして乱された社会に翻弄された個が、何の功績も遺すことも出来ぬまま命を終える方が、無意味に思える』
更になんとも切れ味の鋭い一言が放たれ、ドキリとした。
「そう、か……」
確かに、もしもハクトのままだったらどうなっていただろうか。神主としての能力、風遥としての過去を知らぬまま、埋まらない空白を求めてさまよい続けたのか。
探し求める人生、と言えば人間には響きがよいが、理には無意味に映るのだろう。その結果が伴わなければ、なおのこと。
『我々は“璞を浄化する”という共通の使命を持ち、各々の能力でもってそれを全うする。
……生まれながらにして全てが“整った”存在、それが理だ』
空の覇者とばかりに堂々と言葉を紡ぎ、悠々と泳ぐ龍の陽使。璞たちはその姿にすっかり恐れをなしているのか、先から1匹たりとも視界に入ってこない。
理は、ただの機械とは全く違うと言うことは分かった。寧ろ強い信念は時に人とは間逆の価値観となっていて、どうしても相容れない部分もあるのがひしひしと伝わってくる。
しかし一方で、決して彼らは排他的ではない。現にこうして、人間とは何か、という彼らなりの分析もし、こうやって意見交換にも応じてくれているのだ。
「……なあ」
だから問いかけた。相手は威圧的で愛想はないが、話自体には真摯に応じてくれるから、もう少し深い事を知りたくなったのだ。
『……何だ』
「さっき、神主の感情に共感できないって言ってたよな。
何でそれが分かってるのに、理解してみよう、とか思わないんだ? 神主の事をより理解した方が、あんたたちの使命も果たしやすくならないか?」
聞きにくいことでも面と向かって聞けるのは、相手が理ならではだ。それにソラリス固有の圧にも少し慣れてきたので、今なら多少の事では委縮せずにいられるのも後押しした。
『…………』
「それとも、あんた達は璞さえ浄化できれば良いから、人間のことはどうでもいいと思ってるのか?」
そう畳みかけるも、何となく答えは分かっている。仕事だから命を懸けて護るが、それ以上でも以下でもない。ようは仕事とプライベートとをきっちり分けていると言うことなのだろう。
だからどうでもいいというより、興味がないという事であらかた納得はでき、立派な責任感だなと言うことで話が終わる。
『全く関心が無いわけでは無い。だが人間を理解することは極めて難しく、非効率だ』
ところが予想は外れた。てっきり「そうだ」とでも返してくると思っていたばっかりに、完全に不意をつかれた。
「そうなのか?」
確かに人同士の間でも相互理解はしにくい時はあるが、強い口調で非効率と断じる程の事だろうか。
『人間はその時の感情によって同じ話や問いでも態度や回答を変える事が多々ある。だからそのパターンを分析、記憶しなければならない』
「あ……」
それは風遥にも心当たりのある話。寧ろ人間からすれば当たり前の認識だが、感情を持たない理はその変化に対応できないようだ。
『ところがそうしてパターンを覚えたところで、他の人間にはそれを適用することが出来ず、そのデータの大半は無駄になる。
……しかし、相互理解が無くとも、仕事に支障は出ない』
「どうせ異動になるって決まってるし、無駄になるぐらいなら始めからしない、というわけだな」
『そうだ』
全て定められているからこそ、定められていない事への柔軟な思考や対応を苦手としているのだろう。
「だが、智秋さんとはもう20年近くも付き合いがあるんだろ? そんな長いなら無駄にはならないと思うが」
そこでふと風臣の言葉を思い出し、それとなく伝えてみる。例外を良しとしなさそうな雰囲気の割に、任期が長いというのは何の事情があっての事か、と。
『……異動は俺の意思で決められるものではない。様々な兼ね合いの結果だ』
「そうか」
そこは人間の社会と同じなんだなと思いつつ、風遥は町を見下ろす。
商店街の中心。だがこの辺り一帯は13年前に焼き尽くされており、舗装された歩道に以前はあったというアーケードは無く、店も真新しい店が少し建ってはいるが、それよりも多くの更地が広がっている。
「……ソラリス」
『何だ』
「13年前の神守大火災の日について、聞いても良いか」
『……俺は璞の浄化と……火災の消火を行った』
「消火?」
『璞に蹂躙された町そのものを神守の神主が浄化したことで、神守町は強烈な陰から強烈な陽の気に満たされた。
一時的とはいえ陽に振り切れた空間は理の空間となり、人は本能的にそれを忌避するが、理は本来の力を発揮しやすくなる。そして俺は水の力を扱う理だ』
「そうか……」
様々な視点から補完されていく当日の状況。しかしなおも黒幕の正体と、その目的については見当がつかない。
「……神守町の結界を破壊したのは、誰だと思う?
あんたなりの考えを聞かせて欲しい」
『………。
……推測は無意味だ。だが一つお前に事実を共有しよう』
しばらくの沈黙が続いたので答えてもらえないかと思ったが、考え込んでいただけのようだった。
『結界は何者かによって故意に破壊された場合、緊急事態としてその旨が周辺の陽使達に知らされることになっている。
だがあの日――その通知は機能していなかった。だから、初動が遅れたのだ』
「……!!」
『何故通知が機能しなかったのか、その原因は“不明”とされている』
「…………」
とすれば、レヴァイセンが言っていたように、璞が結界を破壊した事への矛盾は無くなる。特に結界の“裏口”を知っているコクトなら、通知を機能させないような破壊も出来てしまうかもしれない……。
……完全に、振出しに戻った。ついで、誰かが嘘をついていることも確定した。大本命はコクトな訳だが、仮に昨夜の延長で町を混沌に陥れたのだとするなら、もはや風遥とレヴァイセンだけで対処できる問題ではなく……考えるだけで、頭が痛くなりそうだ。
『……さて、そろそろだ』
「レヴァイセンのいる場所に着いたのか?」
なのでその朗報はタイミングがぴったりだった。今はレヴァイセンの救助が先だと気持ちも切り替わる。
『降下する、しっかり捕まれ』
「分かった」
途端ジェットコースターに乗っているときのような浮遊感に包まれたので、風遥は言われるまま角を掴み直した。
ソラリスに半ば謀られた事については未だにわだかまりがある。
ただ、理という種族への理解が進むと、ただ自らの意志を貫いているだけというのが見えてきて、一周回って清々しささえ感じつつある。
だからだろうか、本人そのものへのネガティブな印象は、風遥の中で少しずつ薄れつつあった。
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