すれ違い往く十六夜の朝
ソラリスは緩やかながらもどんどん降下していき、低い山の手前、田畑の広がる道の脇で停止した。
「――ここだ」
「……? 何もいないが」
促されて降りて見てみるも、人気はおろか車が通る様子も無い道路に狛犬の姿はない。
「よく見てみるといい。お前がよく知る形で、そこにいる」
人型に戻ったソラリスに指さされたところを見てみると、その周囲を光の粒子が舞っているのが見えた。
「あ……!」
一つの粒子を追えばよく分かる――それが重力に従い落ちていくわけでもなければ、風に舞い上がるわけでもなく、生き物のように自由に飛び回るわけでもない。何かの形を描くように一定の場所に滞留している。つまりここに「いる」のだ、理が。
「理は予期せぬ形で力を使い果たすと、自らの力では再起動出来なくなる。
……他の理が仮の宿場を構築すれば回復していくが、半日ほど要する」
風遥は眉を顰める。今日は祓廻りは無い日とはいえ、レヴァイセンが何も出来ない状態での半日は長い。
「直ぐに起こす方法は無いのか?」
「神主が触れればいい。その力をもらい受け、即座に復活する」
「分かった」
なので方法があったのは助かった。早速手を伸ばそうとしたが、ソラリスがそれを制してきたので一旦止める。
「ただし、その原資はお前の気力に相当する。少なくとも今日一日は、精神的な疲労が強く出る事による悪影響に留意しろ」
「ああ」
リスクを承知の上で頷いて、ひとまず手の高さのそれに触れようとすると、砂鉄のように風遥の手に光が引き寄せられていく。
手の中に集められたそれらは強い輝きを放ち、一瞬で視界を真っ白に染める。
「!」
反射的に手を引き、顔を背けたときにはもう光は消えていて、代わりにその場所にはレヴァイセンが立っていた。
「……! 風遥神主」
そうして”再起動”したレヴァイセンは、まず小さく目を見開いた。
「何故こちらに……」
そう不思議そうに呟くも、風遥とその隣にいるソラリスとを交互に見やる内、自分に何が起こっていたのかを把握したようだ。すぐさまその場に畏まった。
「行動不能に陥っていたようですね。御足労をかけてしまい、申し訳ございません」
「何があった?」
結果として「こう」なったというのは分かるが、ソラリスに本人の言い分を聞くと言った手前は、まずは正確な状況を知る必要があったので伺う。
「はい。あの璞を追いかけてこの先まで来ましたが見失ってしまいました。
なのでこの辺り一帯の璞の浄化に切り替えたのですが、予想以上の消耗に知らずと行動不能になっていたようです」
普段と変わらぬ口調の中、飼い主に怒られた犬のように耳が少し折れている。彼なりの感情表現だと思うのだが、それが機能なのか無自覚なのかは分からない。
「そうなったのはいつだ?」
「正確な時刻は把握しておりませんが、最後に時刻を参照したのは20時12分と記憶しております」
璞の来訪があったのは確か22時過ぎ。その時には既に機能停止していたということで、応答がないのも当然だった。
「……なら納得だな」
「何がでしょうか」
「あの後、璞に乗っ取られた人間が家にやってきて、襲われかけたんだ」
まるで理の真似をしているかのようにさらっと言っていて自分でも驚く。たった今まで理と話していたから、それに寄せられているのかもしれない。
「え、っ……?」
ショックが大きかったのか、先よりも目を大きく見開き呆然と呟くレヴァイセン。
「あんたのことも呼んだんだが、返事が無くて焦ったぞ。何とかなったがな」
「………っ!!」
実際風臣のおかげでどうにかなったので特に責めるつもりはなかったのだが、狛犬の身体がビクッと大きく震え、硬直した。
「神守の神主……満月の夜に、璞が侵入してきたのか?」
それと入れ替わるように、ソラリスが僅かに驚いた様子で風遥の方を見た。
「ああ、コクトの差し金だ。あいつが多分、璞をとりつかせるとかしたんだ」
「黒兎の璞か……」
犯人が分かるや否や、腕を組んだまま目を閉じるソラリス。少し間をおいてから、はっきりとした非難の目でレヴァイセンを睨んだ。
「……レヴァイセン」
「………はい」
意を決したかのように、レヴァイセンがゆっくりと立ち上がった。
「満月の日の璞狩りの続行は、慎重に行わねばならない。
仮に自身一人での処置が困難、かつ放置が危険とされる状況ならば、支援を要請する。
……それが決まりのはずだが」
言い含めるようにゆっくりと告げるソラリスから、静かな怒りが感じられる。
「心得ております」
対してレヴァイセンはしっぽが完全に下がりきって、服に張り付いている。
「原因不明の力の制限の件含め、もはやお前を未熟の一言で片づけるには由々しき事態になっている旨、自覚はあるな?」
「はい。……全て私の不徳の致すところです」
深く頷くレヴァイセンを、ソラリスは険しい目つきで見下ろす。
「不徳だと? ……なら人間の言い訳が出来るうちに領域に戻れ。
俺はお前に命令できる権限は無いが、今のお前に陽使は務まらない事は誰の目に見ても明らかだ」
「…………」
俯くレヴァイセン。今回に限っては、双方とも普段通り淡々と、というわけには行かないようだった。重々しい空気の再来は、よりいっそうの殺伐さを伴っている。
「神守の神主には後継者がいない。お前の不完全さを原因に神主ひいては神守町の護りが失われるのは、お前も本望ではないだろう」
「それは、そうですが……」
尻込みする様子のレヴァイセンに半ば被せるように、ソラリスは続ける。
「まして、黒兎の璞という、他の町では見られない璞の行動も考えなければならない。もしお前が再起動するまでの半日の間に、黒兎の璞が神主を襲撃したら――誰が護る?」
「………それは……」
ソラリスの怒りは単に規則を破ったことに対してではなく、それによる神主や町への悪影響を懸念してのもの。人間は難解だとごちつつも、なんだかんだで理も神主に対してはそれなりに気を使っているのだなと言うことを理解した。
「ちょっと待て。次から気を付ければいいだけの話だろ?」
だが風遥はその気遣いを踏まえた上で遮った。この流れをそのままにすると、奔流となって逆らえなくなるからだ――レヴァイセンが。
「あんただって言ってたじゃないか、単なる失敗だって」
「!」
神主からフォローされるとは思っていなかったのか、レヴァイセンが顔を上げる。
「…………」
ソラリスは低く唸るような溜息をついてから、口を開く。
「……”気を付ける”というのは機能が正常である事が前提の改善策だ。本来出来るはずの事が何らかの不具合を起こし出来なくなっているのならば、いくら気を付けたところで同じことを繰り返す。
今のレヴァイセンはその類だ。特別に再精査をする必要があるだろう」
確かに先日も戦闘の面で問題があると指摘されていたばっかりで、その懸念があった上での今回の失態は、ソラリスからすると看過できないのだろう。
それはレヴァイセン本人も痛感しているようで、視線が風遥から外された。
「今の状態じゃ、どうにもならないって事か……」
「そうだ。その結果によっては、陽使の資格も剥奪されるだろう」
「そんな……」
風遥が思っている以上にレヴァイセンの容態は深刻だったようで、いよいよレヴァイセンとの契約を解除すべきだという方向で終着が見えつつある。
もはや神主の意見だけではこの流れを止めることは困難だと悟った。
「……神守の神主よ。情に流されるな」
追い打ちをかけるようにソラリスからそう言われるのは二度目だ。しかしシチュエーションは、契約か解約かの全くの正反対。
「神主の素質を持つ人間は、陽使の役割と持つ理よりも遥かに少ない。我々にはいくらでも代わりがいるが、神主であるお前に代わりはいないのだ」
後押しするには十分すぎる理由を突きつけられて、風遥の表情は曇る。代わりがいないと尊重されること、それ自体に悪い気はしないはずなのに。
「さあ、レヴァイセンとの契約の解除を告げろ。正当な理由があれば、理はそれを拒否しない」
裁きを与えるかのようにレヴァイセンを指し示すソラリス。それでも、風遥は素直に頷くことが出来なかった。
まだ、聞いていない――彼の言い分を。
「……あんたは、どう思うんだ? レヴァイセン」
ソラリスに圧されていたか、どこか縮こまっていた様子のレヴァイセンの耳がピク、と震えて、少し戸惑った様子で風遥を伺い見る。
風遥はレヴァイセンをじっと見つめた。それは、もしレヴァイセンがそれを受け入れるのならば、従うという意思表示でもあった。
「私、は……」
そう言ったきり、レヴァイセンはその場に膝をつき、目を閉じる。
強く引き締められた唇が、何かに抵抗しているように見えた。
「……レヴァイセン」
その抵抗をも押し流してしまうかのような、威圧の声が低く響く。
「待て。こんな場所で話す内容じゃない、せめて神社に戻らせろ」
咄嗟に風遥はそう告げた。理由は何だってよかった、ただ場を切り替えさせたかったのだ。
再びソラリスの背に乗り、神社へと戻っていく。
……先と同じように泳ぐような軽やかさで進んでいるはずなのに、空気が重く、酸素が薄いかのように苦しい。
「「…………」」
風遥のすぐ横にはレヴァイセンが並走している。ただ、走るという動きは一切しておらず、進行方向に少し体を傾けているだけだが。
誰が何を話すことも無く、開店前の商店街の上を通っていく。すると……
「……風遥神主」
「何だ」
意を決したように呼ばれたそれは細々としていて、それだけで続く言葉を察せた。
「申し訳ございません。神社に戻りましたら、私との契約を――解除して頂けますか?」
予想通りのそれに、強い失望。脱力しそうになりながら一つため息をつくと、頭も心もすーっと冷えていく。
うすうす感づいていた温度差は、その結論に導かれることで決定的となった。
「……それが、あんたの意思なんだな?」
「………はい」
一応の念押しにも、暫くの沈黙の後深く頷かれたので、もうこちらも吹っ切れた。
「なら契約の解除はこの場で良い。好きにしろ」
空色の双眸を見据え、冷たく言い放つ。失望がそっくりそのまま嫌悪に変わるのに時間はかからなかった。
「風遥神主……」
その呼びかけには落ち込みが感じられる気がするが、もしそうなら逆に苛立つ。もはやレヴァイセンと目を合わせるのも嫌になったのでソラリスから身を少し乗り出しながら見下ろすと、ちょうど良い退避場所を見つけた。
神社のある通りの桜並木の一端にあるベンチ。ここなら休みながら景色も楽しめるし、帰りも楽だ。
「ソラリス、ここで下ろしてくれ。少し一人になりたいんだ」
『分かった』
ソラリスは言われるままに降下する。レヴァイセンはそこまではついて来なかった。
だが風遥も見上げる事はしない。未練があるように思われたくなかったのだ。
どの道数年もすれば別れるのは決まっているので、本来あるべき神主と陽使の関係性のままドライに終わった方が余計な感情を抱かずに済む。
ベンチにどっかりと腰掛け、ふーっと息をつく。
無論これは望んではいない結末だ。けれど、自分に出来る事はやった。
ソラリスが半ば強制的に意図せぬ流れに整えようとするのを止めては、レヴァイセンの”意思”を引き出せるように誘導した。
その上で、最後にどうするかを決めるのはレヴァイセンだ。だから自分は、その選択を尊重すべきはずなのに――
「クソっ……」
それでも、そう唾棄せずにはいられなかった。
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