望月の影に潜むる璞の

 翌日の夜は満月の夜だった。神社の裏手の山から昇った黄金に満ちた月は、時間の経過とともに小さくなりながらも白く輝き、晴天と相まって街灯いらずの夜を醸し出す。

 この日は璞が特に活性化しやすいとのことで、レヴァイセンは今日は日没とともに見回りに出発した。目立たないようまずは人気の一切ない場所から攻めて行き、住民たちが寝静まる夜半に中心街を狩り場とするそうだ。戻りは朝になるという。

 その間一人にはなるが、神器の力によって、神社という空間そのものが護られるという話だったので特段不安は無かった。実際、神社にいる間は璞を一匹たりとも見かけない。

 だから自宅に引きこもることなく、こうして境内入口に置かれたベンチに座り、夜の神守町を眺めている。

「………」

 神守神社は階段を昇った先に鳥居があるが、そこをくぐってすぐ両手側に、景観を望む為のベンチが複数置いてある。参拝客はほぼ全員がここに座ったり立ち止まったりして景色を眺めるが、それは神主も例外では無かった。

 町の明かりは道崎の時に比べてやはり少ないが全く無いわけでは無く、駅前や商店街はまだまだ人の営みが起きている様子が分かる。

 点滅する踏切の赤を横切っていく電車の窓明かりが僅かながらに見え、走行の音と汽笛の音が心地よく響く。

 山々の陰影は満月によってはっきりと照らされ、まだ残る山頂の雪も朧気ながら白をしかと認識させている。

 昼とは違った光景だが、やはりある程度の高さがある場所からこうして見下ろす景色は好きだなと実感する。


 暫く夜景を堪能したところでふと入口を振り向けば、小さな兎が一匹、鳥居の真ん中にちょこんと座っている。

 満月に照らされている毛色は、艶のある黒。

(黒兎?)

 珍しいなと思って近づこうとして――迸る寒気に足を止める。

 反射的な動きをきっかけに思考は警鐘となる。“野生の兎が大人しく鳥居の下にいる、こんな不自然な状況は、明らかにおかしい”と。

 安全と危険の境界線ぎりぎりにいるその存在、黒、兎、これらから連想される訪問者は……

「誰だ……!」

 否、それが“誰”なのかは分かっている。黒兎と人の形をとる璞がいると聞かされてきており、その璞は自分にとっても因縁のある相手であると!

 直後ゆらりとその丸みが歪んだかと思えば、縦に伸び、人の形を取っていき――


「神主はん、こんばんは」


「!!」

 長い黒髪で左目を隠した着物姿に、強すぎる花のような香り。そして女とも男ともつかない不気味な声!一度会ったら脳にこびりつくその存在、フラッシュバックするかのように駆け巡った恐怖に数歩後ずさった。

「嫌ですわあ、そんな怯えた顔しなさんで下さい」

 声は笑っているが、逆光で影が濃く表情は分からず、それがまた得体の知れなさを煽ってくるのだ。

「っ……!」

 璞は入ってこれないからこの位置に立っているはずなのだが、こいつなら何食わぬ顔で一歩を踏み出してきてもおかしくない。

(今すぐ戻ってこい、例の璞が出たぞ!)

 なのでまずはどこかにいるはずのレヴァイセンに向けて念じる。とりあえずレヴァイセンが来てくれればどうにかしてくれるはずだ。

『! 承知致しました、直ぐに戻ります……!』

 返事も来た、あとは下手に刺激をせずに時間を稼げれば……風遥は半歩だけ前に出て、璞を見据える。

「……何しに来た?」

 しかし時間稼ぎと言っても単身戦えるはずも無いので、今更ながら平静である様子を絞り出した。

「勿論神主はんに会いに来たんですよ? 独り立ちをお祝いしはらないと!

 わえ、あんさんが神主になるの、ずーっと待ってましたから」

 璞は手を頬に沿えながら首を傾げ、妖艶に微笑む。

「わざわざ来てもらって難だが、俺はあんたの記憶もないんだ」

 もし本当に会ったことがあったのなら、こんな強烈な璞なら何かしら思い出しても良いはずなのだが、やはり何もピンとこないので正直に告げる。

「ああ、そやったね」

 そんな突き放すような物言いでも特に変化はなく、ぽんっ、と手を叩く璞。何ともわざとらしいが、逆にあざとい人間としてのふるまいとしては自然だった。

 

「ほな、改めて――初めまして、神主はん。

 わえのことは、コクト、って呼んで下さいな」

 風遥に向けられた濃紅の瞳は、漆黒の髪と相まって凶星のように怪しく輝いている。

 ゆるやかに一礼する所作そのものは上品にも見えてしまい、璞というより璞にのっとられた人間と話しているようだ。ただ、人間は物理法則を無視した変身は出来ない。

「コクト……?」

「はい。大好きな人にもろた名前なんですわ」

 璞に個体の名前があって、その名づけ元は大好きな人? それだけ聞けば、ヒトとそう変わり無い社会性があるように感じられるが……。

(この璞が、あの球体と同じ種族だって……?)

 にわかに信じられなかったが、黒い球体が人間から餌をもらい続けた結果、ヒトの姿に変化できるようになる進化を遂げるのだろうか。今まで知らなかっただけで、それこそ理同様、ヒトの姿をしてこの社会の中に紛れ込んでいる……?

「あんさんは……前は、ハクト、でしたね?」

「!?」

 目を細めて笑いながら紡がれた名前にゾッとする。が、直ぐに冷静になった。この璞とソラリスは通じている。だから霜月ハクトの存在が筒抜けになっているのは当然だ、と。

「……ソラリスに聞いたのか」

「いいえ。あの龍は、なんでもかんでも教えてくれる子じゃありませんよ?」

 手をゆらゆらさせながら、ゆっくりと首を横に振るコクト。

 その様子が何ともしらじらしい。こっちからすればソラリスと手を組んでハクトを神主にさせたとすら思っていると言うのに。

「せやからわえなりに、あんさんのことを捜してみたんです。

 それで“霜月ハクト”となったあんさんを見つけた時、神守町に連れて行こうと思ったんですよ?」

「……!?」

 赤い目が細められる。まるで獲物を射抜くようなその視線に硬直する。

「でも、あの龍に止められてしまったんですよ。『強硬手段を用いたところで彼の記憶は戻らない。神守町の神主候補が消滅するだけだ』って」

 目を閉じて、ふぅ、とわざとらしい大きな溜息をつくコクト。

 まさか過去に拉致されそうになっていただなんて! ストーカー並みの神森家への執着に震えたが、それを止めてくれたソラリスに今だけは感謝した。

「でも……あんさんは白い人でハクト、わえは黒い兎でコクト……

 なんだか、お揃いのお名前みたいですねえ?」

 うっとりとした声で紡がれる、こちらからすれば嫌な共通点。だが相手は同意を求めるような視線をよこしてくる。

「大好きな人にもらった割に、単純な名前なんだな、あんたも」

 なので反射的に煽ってしまったが、場の空気に変化はなく。

「ふふ、確かに」

 それどころか尚もニコニコとこちらを見ていて、全く襲いかかってくる気配はない。

 ……まさかこの璞は、本当に……

「……あんた、本当に話に来ただけなのか?」

「はいな」

 うなずく璞、コクト。友好的にすら思えるその態度、相変わらず真意は分からないが――……

 

「なら……ひとつ、聞く。

 ――13年前、あんたが神守町の結界を破壊したのか?」


 正直に答えるかどうかは分からなかったが、まずは即座にひらひらと手を振って否定してきた。

「まさかぁ! わえ、この町が大好きなんよ? そんなことするはずないやないですかあ」

 心外とばかりにむっとしているが、口調は変わっていないのでこれも狙って表情を作っているのだろう。

「大体、結界は理はんがいつも遠くから見張ってますから、そないなことしたら理はん達が仰山来て大騒ぎになります」

「……結界は、理によって監視されてるという事か?」

 顔だけ夜景の方を向き、赤の目を細めてほう、と一つため息をつくコクト。

「はい。

 もしそうなったらわえはその理はん達と本気で戦う事になって――この町を壊してしまいます」

 さらりと告げられる一大事は、多分嘘でも誇張でもない。何となく直感していたが、やはりこの璞は相当の力を持っているようだ。少なからず、今の自分では絶対に勝てない。

「……それは、望まない、と?」

「勿論です。寧ろ誰がこの町に手を出したのか、わえが知りたいくらいですよぉ?」

「………」

 生殺与奪を握られているのはいい気はしないが、どうしようもないことに対しては、無駄な抵抗をするより潔く諦めてしまう方が楽であることはよく知っている。だから、レヴァイセンが戻ってくるまでは、相手の要望に応じる事にした。

「……そもそも、あんたはどうやってここに来るんだ? いつもこの辺りにいるのか?」

 ようは、雑談だ。実際風遥は璞の事をよく知らないから、神主として少しでもその生態を知っておきたいというのもあるのだ。

「いいえ。わえらの世界と狭間を行き来していますよ。わえが一つの場所に留まると、璞がわらわら寄ってきてしまいますからね」

「結界があるのに行き来できるのか?」

「ありますけど、緩むところは緩んでいますし、そもそもわえはあの結界を通らなくても、狭間に来る道を作れます」

 コクトはしれっと裏口の存在を知らしてきた。結界は元々球体のような力を持たない璞はすり抜けられるという弱点があるわけだが、更に裏口も作られてしまうという弱点も知った。

「ただ、わえが作る道は狭間のどこに繋がるかは分からないのです。

 ですから、今夜この町に来れたのは……本当に、嬉しかったんですよ?」

 片手を口元に当て、コクトはころころと笑い声を上げる。まるで神守町に恋している乙女のよう。

「……どうしてこの町が好きなんだ?」

「ふふっ、内緒です」

 思わずそう踏み込んだことを聞いてみるも、あしらわれた。これから付きまとわれるのは風遥だと言うのに、その理由が分からないのは何だか理不尽な気もした。

「…………。

 ……13年前のあの日は、何をしてたんだ?」

 話題を変える。コクトが犯人ではないことは分かったが、念のため聞いておきたかったのだ。

「満月の日でしたから遊びに行きたいなあ思って、辿り着くことは出来ました。

 せやけどいや~な感じがありましたから、お友達のお迎えをして直ぐに帰りましたよ」

「お友達……?」

「その内来はりますよ、その子もこの町がだーい好きですからねえ?

 ……今、わえのように”道”を一生懸命作っているところですよ」

「…………」

 顔に出さないようにしているが、内心はげんなりだ。友達、と言うことは、その璞も強力、かつ奇人と言うことで……同じような璞がもう一人いるのは正直、心労でしかないのだが……。


「風遥神主!!」


 と、ちょうど良いタイミングでようやくレヴァイセンが戻ってきた。突風のように勢いよく風遥とコクトの間に割り入って、風遥を護るように手を添えつつコクトを睨みつけている。

「お帰りなさい、狛犬さん。見回りご苦労様です」

 しかし睨まれている側は、何を考えているのか分からない笑顔でレヴァイセンを見つめている。

「……ほな、今日はこれにてお暇します。神主はんとお話しできて、楽しかったですわあ」

 そう言ってくるりと背を向け、ふわりと宙に浮くコクト。

「そうそう、神主はん」

 かと思えばまたこちらに向き直り、風遥に向けて優雅な手つきで指をさす。

 長い黒髪がふわりと広がり、隠されていた黄金色の右目が顕になった。

「確かにわえら璞は鳥居から先には入れません、ですが――何にでも”例外”ってもんはあります。

 ……今夜は、充分に気を付けなはれ」

 そう言い残すや否や、夜空に溶け込むように消えていく姿。

「待て!!」

 レヴァイセンもそれを追うようにして宙を蹴って、夜の神守町へと再び飛び込んでいった。

「あ……」

 本当はレヴァイセンを引き止めたかったのだが、迷いのない動きにこちらの意を伝える隙間がなく、咄嗟に出した手だけが空しく浮いている。

 仕方がないのでその手は下ろし、最後にコクトに言われたことを思い起こす。

(……例外……)

 やけに引っかかるその二文字。気のせいか、なんだか空間が先よりも”緩んで”いる。あの璞が来るまでは、確かに張りつめた静寂であったはずなのだが。

 自分は神主としては未熟である故に、神社の守りも万全と言うわけではないのかもしれない。

「……戻ろう」

 風遥は急に不安になってきたので居所に入り、侵入される恐れのある場所の鍵の状態を確認する。が、終わってから、物理法則を無視する璞相手に施錠は意味がないと気づいた。

 

 その後しばらくして、レヴァイセンから連絡が来た。

 黒兎の璞に逃げられた。付近の璞が活性化しているので、それらを浄化してから戻る。

 ――万が一“例外”が起きた時は、直ちに連絡してほしい、と。

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