揺らぐ心は朧のごとし
そうして今日も智秋達が帰る時間になった。これで風遥の研修は終わり、一応独り立ちとなる。
「風遥君。研修、お疲れ様でした」
「ありがとうございました、智秋さん」
ただ一方で、昨日までのように明日もまた朝の9時頃に来ると言う事はもう無いのが一抹の寂しさを感じさせる。
「こちらから暫く定期的にフォローはしますが、何かあったらいつでも連絡してくださいね。
……それでは、失礼します」
「はい。お気を付けて」
そう言って階段を下りていく智秋を見送る風遥だが、ソラリスが後に続かずこの場に留まっているのが気になった。まだレヴァイセンに言及したい事でもあるのかと思ったが、違う。彼は、明らかに風遥を見ているのだ。
「……神守の神主」
「何だ……?」
先のレヴァイセン相手の時のような明らかな威圧は無いが、元々彼は主と違って柔和さは皆無。その上先日と似たような展開となれば、やはり身構えてしまう。
「智秋はああ言っていたが、レヴァイセンの不完全さはリスクが高い。
神主の業務に支障が出ぬうちに契約を解除し、別の陽使を遣わせると良い」
言われた事の内容と、平然とした物言いへの衝撃が合わさって心臓が大きく跳ねる。
「な……!?」
仮にも本人がいる前でそのような事を言うのは流石に動揺した。成り行きではあったがレヴァイセンは自分が選んだ陽使でもあるので、それを否定されるのも良い気はしない。
「……お前はまだ神主としては未熟、本来はもっと手慣れた陽使が任に当たるべきだ。
しかし一度契約をした以上、こちらの意向だけでそれを解除することは出来ない」
「………っ!」
忌憚なき物言いにムッとしたが、未熟であることは事実であるのでぐっと堪える。
それに、理と言う合理的な考え方を優先する種族と言う所からすれば、彼なりに風遥の身を案じているのだろう。……そうでなければ、反感を買うと分かっているような事、例え正論だったとしても面と向かって言えない、はずだ。
「今のところ、それは考えていないが……もしそうする場合、誰に言えばいいんだ?」
なので、遠回しに反抗も行いつつも、相手の気遣いを無下にしない言葉を選んだ。
「無論、本人だ」
「えっ……」
そんなこちらの小さな葛藤を無視する更にダイレクトな回答に思わずレヴァイセンの方を見るも、レヴァイセンはまるで他人事のように無表情。
「……人間は体面を気にするようだが、それは我々には不要。陽使として不適と判断されたのならば、別の役目を与えられるだけの事。
自分の力不足を嘆いたり、通告した相手を恨んだりと言った事は無い。安心しろ」
「そう、なのか……?」
ソラリスは驚く風遥を見て何かを察したようでそう説明してくれたが、すんなり頷けるものでもない。たとえひと月に満たない短い期間だったとしても、一日中一緒に過ごしていればいやでも情は湧いていくのが人間だからだ。
が、それを見咎めるように、ソラリスは目を細めた。
「……神守の神主よ、我々は神主に協力はするが、あくまで契約に基づくもの」
冷たい声だ。それこそ理そのものから突き放されるかのようで、ギュッと少しだけ胸が痛んだ。
「故に、我々に情を持つな。
……それはいずれ、お前を苦しめるだけだ」
「あ、待て……」
踵を返したソラリスを引き止めようとしたが完全にシャットアウトされており、振り向くことも無く階段を跳躍して一気に車まで降りた。その人外ならではの身軽な動きからして車に乗る必要など無さそうなのだが、彼は助手席に乗り込んだ。
程なくして去っていく車を見つつ、行き場のない思いをやり過ごそうと拳を握り締める。
「…………」
理は馴れ合いは好まない、そう突き付けてくるには十分すぎる態度。
別に彼らと友達になりたいわけでは無いが、利害関係の一致だけのドライな関係と言うのも正直、寂しいものがある。
しかしそれはそれとしても、だ――何かと納得がいかない風遥は、相変わらず真顔のレヴァイセンを睨む。
「目の前でああ言われて、よく冷静でいられるな」
「はい。ソラリスの指摘は最もですから」
こちらはそれ相応に嫌な思いをしているから睨むという行為をしているのだが、全く動じていない表情がなんだか気に入らなかった。
「それでいいのか? あんたは」
「……?
恐れ入りますが、仰っている意味が分かりかねます」
声のトーンを落として不機嫌さを訴えてみるも、首をかしげるばかりでやはり何も響いておらず辟易する。
「……分からない、か」
こちらからすればその返答が“分かりかねる”ものだった。主がいる目の前で自分は陽使に不適だと言われ、悔しさを感じることは無いのだろうか。
それに、自身が不完全な状態であることを素直に認めながらも、それに対する不安や、焦りと言ったものも見られない。そんな程度でも陽使は務まるというのがレヴァイセンの認識なのだろうか。
なら、あの時のあの必死そうな表情は一体何だったのだろうか。そして、それに心を動かされてしまった自分の心は一体……。
騙されたというわけでは無いが、あの時と今のレヴァイセンの態度の違いについてどうも違和感が抜けない。
(何だったんだ……)
ハクトが風遥として生きる決意をしたことで、自分の人生は大きく変容させられた。その方向へ舵を切らせた要因の一つが、彼を死なせない為でもあった事は否定できない。
恩を着せたいわけでは無かったが、今のレヴァイセンとの間にいささかの熱量、覚悟の差を感じ、それが靄となって心に広がっていくのに、そう時間はかからなかった。
「……あんた、俺を守りたいのかそうでないのか、どっちなんだ」
「勿論、命に代えてでもお守り致します」
「…………」
忠誠を示すポーズと共に即答、反射的に行っているかのようなそのスムーズさにはいよいよ閉口する。
それこそあの瞬間は命を賭していた覚悟と真っすぐな思いがこちらを突き動かす熱となっていたが、今の彼はそれが芯から冷えてしまっているように見える。
同僚から指摘される程に不完全な状態で神主を守れるのか? と言いたくもなったが、本人にも理由が分かっていない以上それを言うのは流石に嫌味が過ぎるかと思い、止めた。
……いや、それは建前だ。そう嫌味を言ったところでその意図は伝わらず、また淡々とした説明を受ける羽目になるのはうんざりだったからだ。
――目の前の彼のように、いっそ簡単に割り切れる種族なら良かったものを。
そう胸中で唾棄しつつ、またやりどころのない気持ちが浮上してきたので暫く手を握っていた。
その後夕飯時には香月が来てくれて、研修が無事に終わった事に対しささやかながらと手作りのケーキでお祝いしてくれた。そして20時きっかりに、レヴァイセンがいつものように見回りに出かけていった。
「……はあ」
風遥は自室で諸々の支度を解いて一息ついたところで――結局智秋に話せなかったな、と溜息をつく。
誰にも話せない胸のモヤモヤ。今まではそれこそ智秋に聞いてもらっていたのだが、その智秋に一番話しにくい話題となれば、いよいよ誰にも話せない……と思ったのだが、直後はたと脳裏にある人物が浮かぶ。
(いや、そうだ……)
早速風遥は神器の間へ向かう。そこにいる人物なら、こういった話題は気兼ねなく話せるはずだ。
懐中電灯片手に扉をそっと開けるが、今日は中は暗い。
「――父さん、いるか?」
それでもそっと呼びかけると、ほんのりと明るい光が部屋の中心から広がっていく。
「いるよ、風遥」
大丈夫そうだなと扉を閉めていると声がしたので振り向けば、既に風臣がそこに立っていた。
「仕事は覚えられたかな?」
微笑んでそう聞いてくる風臣に、一つ頷く風遥。
「うん。まだ細かい所は自信が無いけど、研修は今日で終わったよ」
「そうか。良かったら、何をしたか聞かせてくれるかな?」
「分かった」
促されるままに風遥はここ2週間の出来事を話す。それを、風臣はうんうんと頷きながら聴いていた。
「それで……ちょっと、聞きたい事があるんだ」
そうして当たり障りのない話が終わったところで、いよいよ本題を切り出す。
「何だい?」
「……理は人間を裏切るから信じるな、と言われたんだが……父さんは、どう思う?」
言われた時の事を思い出して自然と声がやや落ち込んでしまっていたが、風臣は不思議そうに首を傾げた。
「裏切る? ……誰に言われたんだい?」
「……ソラリス」
言うか言うまいか悩んだが、伏せない事によるリスクも無いと思ったし、何よりも言ってやりたいという子供じみた気持ちの方が勝ったので正直に話す。
「あー……」
すると、何か心当たりでもあるとばかりに視線を上げ、風臣は微苦笑しながら何度か頷いた。
「そうだね……私は幼少の頃から色々な理を見てきたし、神主になってからも他の地域の神主や陽使と情報交換した事もあるけど……そう言った事は一度も聞いたことは無いよ」
まず最初の答えにひとまずほっとする。ソラリスがたまたま特別なだけで、理そのものが不誠実な種族では無いと証明してくれたからだ。
「ただ、理の行動原理はあくまで璞の浄化に比重が置かれているから、その手法について問わないところもある。だから、浄化しやすいタイミングを狙うために、結果として璞に侵食されている人間をあえて野放しにしていることもあるみたい。
……それは、人間からするとあまりいい印象としては映らないし、裏切り、とも言えるかもしれないね」
その補足は、ソラリスの行動にも通じるものを感じた。彼はハクトを神主にするためにかなり手段を選ばない様子だったし、本人もそう言っていたからだ。けれど璞の浄化、という点から考えると、神守町にも神主がいた方がそれが捗る事は確かだ。という事は、その為にソラリスはハクトを神主にしたがっていたのか?
(だとしたら、とんでもない行動力だな……)
『全ての璞を浄化すること』が理の使命だとレヴァイセンは言っていたが、その為にわざわざあそこまでするとは。正直今でもいい気分はしないが、その行動力と計画性は純粋に凄いと思ってしまった。
智秋にこの事を言うか否かは要検討だが、とりあえずソラリスの行動に対してある程度納得することは出来た。
「成程な……
……あ、あと、理に情を持ったら後悔するってことも言われたんだ」
「陽使は一定の期間で次の町に行くんだ。早くて数年、最大でも10年。原則、同じ神主の元に行くことは無いそうだから、二度と会えないって事になる。
……下手に仲良くなると、別れが辛いってのはあるんじゃないかな?」
「じゃあ、レヴァイセンも?」
「そうだね。いつかは、神守町から去る事になるよ」
「そう、か……」
知らなかった。確かに、理解できないところはあれども、総合的には不快な感情をレヴァイセンに抱いていたわけでは無い。寧ろ、いずれ打ち解け合えるだろうと思っていたばかりに、その事実は風遥にショックを与えた。
「それにしても、ソラリスは相変わらずなんだね。
彼は背も大きいし、ちょっと物言いが威圧的だから、誤解されやすいんだよね」
「…………」
風臣の言葉を半分聞き流しつつ、情を持たない方法を考える。いわゆる転勤は早ければ早いほど良いわけだが、その基準は誰が定めているものなのだろうか。数年から10年だと、かなり差があるように思えるが……
「……あれ……?」
「ん?」
ふと気づく。13年前の記憶で止まっているはずの風臣が、何故ソラリスの事を知っているんだ?
「陽使の期間が最大10年なら、ソラリスは……?」
「あれ?」
なのでそう聞けば、風臣も目を丸くした。白斑眼鏡に手をかけて考える仕草を見せる。
「そうか……私が神主の時からいるから、最低でも20年近く真見町の陽使ってことなのか。
何か事情でもあるのかも。気になるなら、今度聞いてみたらどうかな?」
そう言って微笑みかけてくるが、一瞬でもソラリスの威圧を思い出してげんなりし、首を横に振る。
「……いや、いい……ソラリスは、面と向かうだけで疲れる……」
直接聞くことは考えるだけで身震いしそうだし、智秋を経由するのも気が引ける。
「ふふ、それもそうだね。
……さあ、夜も更けてきた。そろそろ休んだ方が良い」
その言葉に誘われるようにあくびを一つ。今日もやはり疲れているので、頷く。
「分かった。……明日も、来て良いか?」
「勿論だよ。おやすみ、風遥」
「おやすみ、父さん」
明日から智秋は来なくなるが、代わりに風臣がこうしていてくれる。
本当の人間の父親というわけでは無いので何でも話せる間柄というわけでも無いが、これはこれで心強かった。
しかし自室に戻る頃には目の前の問題に対し気落ちしてきた。電気をつけずに布団の上に横になって、眼鏡を外す。
「……はあ」
そして溜息をまた一つ。理という種族に対し納得できたこととそうでないことが入り混じっており、胸中は複雑だ。
……神主と陽使は、自らの利益の為に互いを利用する関係。なら、そう言った意味でも情を持たない方が良いのだろう。
だが、あの写真を見る限り、そんな関係性だとは到底思えない。情を持つなと言っているはずの彼らが、写真撮影という人間の営みに対し、あんなにも情を表に出していたのだから!
けれど――今となっては、あの写真はまるで幻のようで――……
(今のあんたも、俺を利用したいだけなのか? レヴァイセン……)
町のどこかで璞を浄化しているであろう狛犬に聞こえぬよう、呟く。
独り立ち自体は嬉しい事のはずだが、薄墨がかかったかのように先行きの不安を案じずにはいられなかった。
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