三章 最初の町、最初の神主

待宵の月が見守る独り立ち

 それからの2週間は怒涛の勢いだった。主にやったことは祓廻はらえまわりだ。

 これは継承の儀の時と同じ要領で、人々に寄生している璞の浄化を行うこと。日替わりで各地域に赴くため、神主1カ月は祓廻りを中心に回っている、と智秋は断言していた。

 逆に、毎日行う事なので祓廻りについては大分要領が分かってきたし、お守りの作成についてもムラが減ってきたのを智秋に褒められた。

 その他細々としたことも概ね問題ないとの判断で、研修は予定通りに終了となりそうだ。

「いかがでしたか、この2週間」

「あっという間でしたが、まあ、充実していたかなとは思います」

「それなら良かったです」

 今、二人は居所の客間でお茶を飲んでいる。本日の茶菓子は智秋が隣町から買ってきた草大福。目を見張るほどの濃い緑で蓬の香りが強く、甘さ控えめの餡とよく合い茶が進む。

「色々ありがとうございました」

「いえいえ、僕も楽しかったですよ」

 ちなみに、レヴァイセンはレヴァイセンでソラリスの“研修”を受けており、こちらは外で最終確認中。主にレヴァイセンの戦闘面を見ているらしいがまだ終わらないようなので、理達を待ちながら雑談に興じている。

「一時はどうなるかと思いましたが……本当に、良かったです」

「…………」

 そう言ってほっ、と息をつく智秋だが、風遥の脳裏にはソラリスから告げられた“事実”や、レヴァイセンの“推測”がちらついてしまい目を伏せる。

 ……結局、話せずにいた。

 それらはいつかは話さなければならないだろうと思いつつ、慣れない仕事の合間に重い話題を振る気力も無く。何しろ祓廻りの後はまだまだ疲労が強いのだ。

 ただ、明日からは智秋も自分の町での活動に戻るのでこうして面と向かって話す機会も減る。なので、話すなら今だと思うのだが、やはり気が重い。

「そうだ、お渡ししたいものがあるんですよ」

「何でしょうか?」

 なのでひとまず智秋の話題に乗っかって、と、また最もな理由をつけて暫しの逃避。そんな風遥の胸中もつゆほどに知らないであろう智秋が鞄から取り出したのは、一枚の写真。

「“家族写真”です。僕の手元にあったのを持ってきました」

「!」

 差し出されたそれを躊躇いなく手に取る。神守神社の境内を背景に、4人の人物が写っている。

 中心にいる幼児は風遥だ。入園時の写真だろうか、真新しいクレマン帽から父親譲りの癖っ毛が伸びている。制服はゆったりというより寧ろぶかぶかの印象を受けるが、当人は両手にピースサインを作ってご機嫌な笑顔。その後ろでは、風臣が穏やかな微笑みを浮かべつつ、姿勢をかがめて風遥の肩に手を置いている。

 一方、風遥の右隣には知らない人間がしゃがんでいるが、見覚えはあり――

「風遥の隣は……レヴァイセン、ですよね?」

「ええ。人間の姿です。理は人間の姿に変化することができるんですよ」

「そうなんですね、知らなかったです」

 犬耳も尻尾も無く、足袋に草履を履き、鋭利な爪の無い手でピースサインを決めている金髪碧眼の青年。纏っている和装こそ擬人化の時と似たようなデザインだが、歯を見せて笑っている姿はまるで別人。

 それは種族がという意味ではなく、雰囲気が、だ。

「人間の姿とはいえ、別人ですね」

「ええ。今とは寧ろ逆で、直ぐに感情が表に出る分かりやすい性格でした。

 一方で兄貴分のような面倒見もあり、風遥君の一番の遊び相手だったんですよ」

「そうだったんですか」

 香月も同様の事を言っていたので、これがレヴァイセンの本来の姿なのだろう。とするとやはり彼も記憶喪失の類になっているのかもしれない。

 ……今のレヴァイセンにこの写真を見せたら、何か思い出すのだろうか?


 と、ここまでは誰だが分かったが、最後の1人は全く見た事のない人物だった。親子の右隣、レヴァイセンの後ろにいる短髪黒髪の中年男性。ただ赤を中心とする鮮やかな和装は理の独特なそれに近い。

「この人は……?」

「レヴァイセンの教育係だった理です。

 名前はアルフィード。ですが皆さんアルって呼んでました」

(この方が……)

 レヴァイセンが師と言っていた理か。しかし彼が向けている笑顔は人間の――それこそ、親父と呼ばれていてもおかしくないような表情そのもの。

「理の姿は黒獅子をモチーフとしており、この獅子の像を宿り場としていました」

 写真からはあまり獅子らしさを感じさせない短髪だが、理の姿になったら鬣でも伸びるのだろうか。ただ体格は3人の中では一番しっかりしており、力は一番強そうだ。

「教育係という事だけあって責任感が強く真面目ですが、レヴァイセンとはよく衝突していたようです。僕も見た事があるのですが、反抗期を迎えた親子みたいでした」

「…………」

 その智秋の言葉通り、レヴァイセンの父親だと言われても疑わないだろう。それほどに、2人ともこの町に“人間として”馴染んでいるように見えた。

「それと、風遥君が赤ちゃんの頃、風臣君に代わって世話していた事もあるようで『手がかかるのはレヴァイセンだけで十分だってのによ』って笑ってたのを覚えています」

「そうですか……」

 この1枚で見えてくる、過去の神森家。風遥は当時、父親2人と兄1人の家庭で育てられていたようだ。特殊な家系の上に異種族が身内でありながらも、そこを安心の場所として信頼しきっているのは十分に伝わる。

 確かにこの時の彼らならば、陽使ですら食事を「美味しい」と言いながら食べていてもおかしくない、そんな温かさを感じ取る。皆が皆、自然な笑顔だからだ。

 なのに――

「………アルさんも、13年前に……」

 この幸せだったであろう家族は、あの日バラバラに引き裂かれ、奪われてしまったと言うのか。風遥は“風遥”であることを失い町に戻れなくなり、風臣は行方不明になってしまった。レヴァイセンは13年の間眠り続けた結果一部の記憶を喪失、そして……

「……ええ。彼については、消滅が確認された、とのことです」

「やっぱり、そうですか……」

 曰く、その日アルフィードはレヴァイセンと共に無限に出現する大量の璞を相手にしながら結界を修復したらしい。その消耗の結果ではないかと智秋は推測した。

 そういえば、レヴァイセンも『亡き師に代わり』と言っていたので、その最期を看取ったのかもしれない。自分にはやはりアルフィードの事も記憶には残っていなさそうだが、風遥の育ての親と言っても良い存在だったと分かった以上、死亡したと聞かされるのは少し悲しかった。

(どうして……)

 俯く。何故このような凄惨な事が起こってしまったのだろう? 今この瞬間は、こんなにも平和だと言うのに。

「「…………」」

 暫くの間流れる、重苦しい沈黙。

 それを打ち破ったのは、低く唸るような衝突音。

「……?」

 余波を浴びた縁側のガラスがカタカタと音を立てるので、風遥は思わずそちらの方を向く。

「おや……」

 智秋も覗き込むように様子を窺っている……レヴァイセンとソラリスの間に、何かあったのだろうか?

「外に行ってみましょうか」

「そうですね」

 そう言って外に出てみれば――境内の中心で、レヴァイセンが大の字で倒れているのが真っ先に目に飛び込んできた。

「レヴァイセン!?」

 地面にめり込む勢いだったのか、枯草が石畳まで吹き飛んできている。

「大丈夫か?」

 駆け寄って窺うもレヴァイセンには聞こえていないのか、瞬きもせず空の一点を凝視している。

「………」

 一体何がとその視線の先を見上げてみれば、両腕を組んだソラリスが不満そうにレヴァイセンを見降ろしていた。

 殺意は無いが相変わらず圧が凄く、表情も相まってまるで天罰でも与えに来たかのような佇まい。その鋭い眼差しに射貫かれてしまい、目を逸らすことが出来ない。

「大丈夫か……?」

 改めてとんでもない眼力だなと本能的な警戒をソラリスに向けたまま、未だ動かぬレヴァイセンに今度は思わず声を潜めて問う。

「……はい。御心配には及びません」

 すると狛犬はそこでようやくこちらを見て、ゆっくりと身を起こして立ち上がる。

「理に痛覚はありませんので……」

 そう言いつつもその背中の一部が光に変化しているあたり、やはりそれ相応にダメージを負っているようだ。ただ以前と違い損傷した場所を修復する機能も働いているようで、徐々に肌、というより服が元通りになっていく。何とも不思議な光景だ。

「ソラリス……少し、加減をしては……」

「……十分に」

 一方の智秋はソラリスの真下から控えめに言うと、ソラリスはそう一言だけ返して地に降りてきた。そして腕組みはそのままレヴァイセンの正面に立ち目を閉じて、深い溜息。

「…………」

 そこから数秒の間をおいて、その眼光が再びレヴァイセンを睨みつけるようにして見据えた。

「……レヴァイセン。マザーによる精査は済んでいると聞いているが」

 双方の間には頭一つ分の身長差があり、見下ろされることに加えて声によるダブルの威圧。風遥は全く悪い事はしていないのだが、こちらまで責められているような気にさせられる。

「はい、済んでいます。異常はないとの判断で、微調整のみ行われました」

 しかしレヴァイセンは言葉こそ敬語だがその雰囲気を恐れている様子は無い。ただソラリスはその説明に不可解そうに眉を顰めた。

「なら、お前の意思で力を制限していると言う事になるが、その意図は何だ」

「いいえ、意図的な制限は行っておりません」

「……理解しかねる。

 外部による意図の書き換えが起きていれば、精査の際に検知されるはずだ」

 張り詰めた空気の中行われているやり取りは明らかに無関係の人間が首を突っ込んでいい雰囲気では無く、寧ろ出来る事ならその場から去りたいが動けずにいる。

 けれどじっとしている中でも会話の内容は頭に入ってきており、いやでも自分なりに整理せざるを得なくなる。

 どうも13年前から比べるとレヴァイセンは明らかに弱体化しているが、ソラリスからするとそれはレヴァイセンがわざと手を抜いているように見えているようだ。

「……確かに、本来のパフォーマンスの半分も満たない状態になっていると言う事は自覚しております。

 ですが私自身ではそのような制限は掛けておらず、何故そのような状態になっているのか、分析しても原因がはっきりしないのです」

「…………」

 しかしレヴァイセン本人としてはそのつもりはなく、弱体化の原因は不明と説明するも、やはりソラリスはそれでは納得しない様子で相変わらずの威圧腕組み。

「必要に応じ再度精査を受けますが……風遥神主、いかがいたしましょうか」

 そんな中、唐突にこちらに話題を振ってきたのでギョッとした。話を聞いてはいたが完全に蚊帳の外の意識だったし、そもそもその辺りの理の事情はよく分からない。

「いや、俺に聞かれてもだな……」

 寧ろ何故自分に聞く? この流れならソラリスじゃないか? 色々な意味で回答のしようがなく、困惑がそのまま零れる。

「……マザーによる精査結果は絶対だ。何度行おうと結果は変わらない」

 一つの溜息の後ソラリスがそう強く言ったわけだが、それが本当ならレヴァイセンは先から無自覚にソラリスやレヴァイセンの精査を担当した理(だろうか)に喧嘩を売っていることにならないだろうか。

 実際、一段と空気はピリついているのでそれが十分にソラリスの不快感を示しており、居心地は非常によくない。正直早く着地点を見つけて欲しい。

「まあ……レヴァイセンは13年間も狭間で眠っていたわけですし、色々忘れてしまっているところもあるはずです。

 戦闘の勘も、徐々に取り戻していくと言う事もあるのではないでしょうか?」

 そんな嫌な空気を取りまとめてくれるのはやっぱり智秋だ、もっともな理由で相方を説得しにかかる。

「……どうだかな」

 対してソラリスはふん、と懐疑的な態度は変わらずだが、空気が緩んだのが分かった。

 ひとまずのところは引き下がる事にしてくれたようで、風遥は心底安心した。

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