町民再会:依頼

 月齢が進み、満月の日が近づいてきた。この時期は警戒期となり、理達も余力を十分に残した状態で迎えるのが決まりとなっている。

 特に先月はコクトがやってきてひと波乱起こされたわけだが、今回はその挑発に乗らず深追いはしないと決めている。風遥を護るのが第一だからだ。

 ただ満月自体は決して有害ではない。璞の攻撃性が増す代わりにこちらへの警戒心が薄れる為、様々な璞を狩りやすくなるのだ。

 が、そこにコクトが来ると相乗効果となってしまい、レヴァイセン単独では一夜で狩りきれないという問題が生じるので、やはり来ないのが一番ではある。

 時刻は13時41分。祓廻りと昼食を終えた風遥は、社務所のデスクに座ってあくびを噛み殺しつつ読書中。レヴァイセンは拝殿の屋根に座ってじっと主の様子を眺めつつ、14時からの見回りの範囲の最終確認を行っている。

「…………」

 神守神社は小さな神社で、参拝客はそこまで多くは無い。

 なので風遥の午後は本を読んでいたり、神社に残されていたパソコンで何か調べたりしているのが主だ。小難しい顔で書類や回覧板に目を通しているのを見た事もある。

 たまに疲労が強く昼寝するなど居所にいたい時や、買い物や図書館に行くなど外出したい時もあるようで、そんな時はレヴァイセンに声をかけた上で離席することもある。

 ただ、レヴァイセンもお金の取り扱いについては知っているので、物品の購入なら対応できるし、単に伝言の類なら正確に伝えられる自信があるので問題が生じたことは無い。

 そうして社務所を閉める日没までの間、基本的にどちらかがいる状態で過ごすのが定着してきた。

 穏やかな昼下がり。境内に響くのは鳥の鳴き声と、風に揺れる木々の音。

(……!)

 すると、階段下から誰かが上がってくる気配を察知したので、念のため屋根から飛び降りて拝殿の陰に隠れる。

 もしレヴァイセンの知らない人間となると擬態もしくは球体化しなければならないが、神守町の全住民を記録したデータの中に反応があったのでその必要は無さそうだ。

 ただ、不思議なのはその人物との最終接触が13年前――つまりレヴァイセンが2月に再起動してから、一度も会っていない人物という事。

「誰だ……?」

 それはかなり限られる気がするが、13年も前となると細かな情報が出てくるまでが遅いようで……うーんと唸っているうちに、先に視覚が参拝客を捉えた。

 茶髪をお団子にまとめ上げた若い女性……風遥と同世代ではないだろうか。彼女は鳥居の前で一礼した後、拝殿の前で鈴を鳴らし柏手を打つ。

 先月独り立ちした直後の風遥なら、そうした音にすぐに反応し来訪者の様子を窺い見ていた。しかし今は慣れたようで、視線は変わらず本に向けられている。

 ……否、少しぼんやりしているようだ。そのまま女性が社務所に向かってくるのですら気づいていない。

 何かフォローした方が良いか? と考えた直後、

「霜月君!」

(え?)

 彼女がこの場では馴染みないはずの呼びかけを自然と行ったことで、レヴァイセンは目を丸くする。それは風遥も同じで、あからさまに体を大きく震わせ振り返った。

「!? あ……葵さん……?」

 風遥が動揺しながらも“葵さん”と言ったことでようやく把握した。彼女は葵智恵あおいちえという名前だ。確かに最終接触から13年経っているだけあり、見かけが大きく異なっている。

「……やっぱり、風遥君は、霜月君だったんだね」

「あ、ああ……」

 その確信めいた物言いにたじろぐ風遥。レヴァイセンとしても、まさか神守町に「霜月ハクト」の知り合いがいるとは思わなかった。

「智恵!」

 レヴァイセンはここぞとばかりに駆け出して呼ぶと、彼女はくるっとやや大きな動きで振り返った。

「あ、レヴァイセン! 久しぶり、元気してた?」

「おう! おめーも大きくなったな!

 ……んで、なんで風遥のもうひとつの名前を知ってるんだ?」

「え?」

 智恵はちらりと風遥を見たあと、

「ああ、わたし、霜月君と同じ高校に通ってたの。

 クラスも3年ずっと一緒。ただ、直接話したことは殆どなかったけど……」

「それって、道崎市のか?」

「そうそう!」

 つまり智恵は、道崎市にある高校に神守町からわざわざ通っており、霜月ハクトはその同級生だった。……ということは、ミカゲとも同級生か。こんなピンポイントな偶然が起きるとは。

「でも智恵、おめーは今はこの町に住んでねえ……よな?」

「うん。道崎市に就職したから、そのまま引っ越したよ。

 レヴァイセンが目覚めたって事は知ってたんだけど……就職活動とか物件探しで色々忙しくて、一度も会えてなかったね」

「だよな」

 ……ようやく最終接触13年前の謎が解けた。自分の記録に間違いは無いとは思っていたが、特定の速度が遅かったこともあり、万が一もあり得るのではと少し不安になっていたところがあったのだ。

「それで、本当はGWに帰ってきたかったんだけど、仕事が忙しくて帰れなかったの。

 ……霜月君、璞除けのお守りくれる? 道崎のはなんかあんまり効き目がない気がするの」

 そう言って智恵はショーケースから青のお守りを取り出し、風遥に手渡す。

「そうなのか? まあ、構わないが……」

 それを少し懐疑的な声で受け取る風遥。もっともそれはレヴァイセンも同様だ。同じ手順、同じ要領で作るのだから、地域差は無いはずなのだが。

「葵さんは……神守町が、地元だったのか?」

 お守りを小袋に入れつつ尋ねる風遥と、財布を取り出しながら頷く智恵。

「うん。風遥君と私はね、同じ幼稚園に通ってたんだよ。風遥君の方がひとつお兄ちゃんだったけど、小さな幼稚園だったから、クラス関係なく遊んでたんだ」

 先から智恵は事あるごとに風遥を見ているが、風遥は一切智恵の方を見ていない。彼女に興味が無いというよりかは、何か理由があって意図的に焦点を合わせないようにしているように見えた。

「そうだったのか……」

 代金を受け取る前ではあるが、先に小袋を智恵の前に置く風遥。

「覚えてない、よね、やっぱ……」

 代金を差し出しつつ問う智恵。風遥は相変わらず智恵と目を合わせられないまま、それを受け取った。

「……ごめん。確かに俺は風遥らしいんだが、未だに何も思い出せないんだ」

 こんな風に、過去を思い出せないと告げる時――いつも風遥は苦しそうに顔を顰め、俯いてしまう。

 それは、相手の事を忘れてしまっていることによる罪悪感によるもの、なのだろうか。

(風遥……)

 ただレヴァイセンは、風遥が自分の事を忘れていたとしても、それで何かが変わることは無い。彼が風遥であることは確かだし、何よりも霜月ハクトが自分を生かしてくれたのだ。

 だからレヴァイセンにとっての「風遥」は今であり、過去は関係ない。

 ……のだが、人間同士となると、そう単純ではないのだろうか。

「そっか。早く思い出せると良いね」

 けれど智恵も特に気を害した様子は無く、あっけらかんとした様子でお守りをしまった。

「……ありがとう」

 気にしていないというのが一目で分かる態度を見て安心したのか、ようやく風遥の声が明るくなった。

(同じ幼稚園……)

 そうして一区切りついたところで、レヴァイセンは一旦2人の会話からは離れ内観へ。

 幼稚園にまつわる記憶を抽出する。なにせ幼少期の風遥について、レヴァイセンが保持する記憶はどれも不完全だ。概要はいくつもあるのだが、どれも映像と音声が伴っていない。

(そうだ。送り迎えもしたし、運動会にも行ったな)

 風遥は運動神経が良い方らしく、かけっこでは誰よりも速くゴールしていた。特に年長の時のリレーは一番最初に走って見事なロケットスタートを決め、そのままチームの勝利に大きく貢献した。そのスタート前、保護者席の方を振り返った風遥は、こちらに向かって大きく手を振ってくれた。だから「頑張れよ、風遥!」と、レヴァイセンも風臣たちと声をかけたのだ――

(あれ? 俺、これは覚えてるのか……?)

 ――そこで気づく。今のは映像と音声が残っている、いわば完全な記憶。

 ようやく、風遥の当時の姿と声の記憶が鮮明によみがえった。

 ……幼い風遥は茶髪で、肌の色も他の人間と大差無かった。

(じゃあ、やっぱり……13年前のあの日に、消えちまったって事なんだな……?)

 今更ながらその事実が腑に落ちると、どうしてあの日の事を覚えていないんだろうと不可解さを通り越してだんだん腹が立ってくる。

 いや、もはやそれだけではない。13年前の事をすべて忘れているならまだしも、このように、覚えているものとそうでないものに分かれてしまっており、その共通点も分からないとなれば、いよいよ自分の存在が不気味にすら思えてくる。

(まだ、俺には何かある……)

 自明であるはずの理にあるまじき、自分自身の不透明さ。先日外したと思っていたそれは、まだ完全には外れていないという事なのだろうか。 

 どうしたら良いのだろう、そうぼんやりと思ったレヴァイセンの耳に、


「霜月君――晴市さんって知ってる?」


 風遥を寒気だたせるであろう人名が入ってきて、レヴァイセンの意識は一気に引き戻される。

「「!!」」

「八代地域に住んでる氏子で、わたしの叔父さんなんだけど」

 その人物は確かに智恵からすると親族だが、風遥からすると少々、否かなり印象が悪い。璞の影響を受けていたとはいえ、かなりの暴言を吐かれていたからだ。

「知ってるが……その人が、どうした……?」

 風遥がそう聞き返すまでの空白に、明らかな忌避を感じる。継承の儀の時にその璞は浄化したのだが、当人は記憶があいまいだったようで、謝罪らしい謝罪が無かった(他の氏子が裏で謝りに来る始末だった)のも恐らく尾を引いている。

「八代地域の祓廻りって昨日だったんだよね?

 ……叔父さん、来てた?」

「え? ……いや、見てない」

 暫く考えてから首を横に振る風遥。確かに、「晴市さんは具合が悪い」と言う事を他の住民から聞いている。

「なんか体調が悪ぃから行かねーとか言ってたらしいぞ」

「やっぱり……」

 それを聞いて、智恵の顔が曇る。

「さっき叔父さんの家に行ったんだけど……何か、様子が変だったの。

 話しかけても上の空だし、家の中はかなり荒れてて……」

「? だから、体調が悪いからじゃねえの?」

 首を傾げるレヴァイセンに、ふるふると首を横に振る智恵。

「ううん、そういう意味じゃなくて……その……璞に、つかれてたりしないかなあ、って……」

「なっ!?」

 一見すると突飛な考察だ。だが、これは実は十分あり得る話だ。と言うのも、一度璞に深くまで侵食されると、また程なくして別の璞に侵食されるという事例が多いからだ。

「神主なら……”見える”よね?」

「ああ、多分な……」

 細く溜息をつく風遥。あの会食の時はレヴァイセンの感覚はかなり鈍かったので淡々と処理していたが、今思えば本当にひどい事を言っており、もし今の状況であの暴言を聞いていたら、下手すると「風遥に何言ってやがる!!」と突っかかって、無理矢理にでも璞を浄化していた……かもしれない。

 とにかくそれだけ、悪い方に心を揺さぶる強さがあったのだ。

「お願い、一緒に来てくれないかな……?

 わたし、叔父さんの事が心配で……」

 けれど智恵はその一幕を知らない。故に親族として純粋に彼の事を心配している。

「……分かった。支度するから、少し待っててくれるか?」

 だから風遥は何を言うことも無く頷く。神主としての責務と、恐らく、彼の持つ優しさで。

「うん、ありがとう」

 時刻は14時。見回りの時間になったら、風遥に一声かけて出発するのがいつものルールだ。

 

「俺も行くぜ、風遥」


 ――だからレヴァイセンは風遥が居所に入る前に声をかける――共に晴市のもとに向かう、と。

「見回りは良いのか?」

「もし本当に璞の仕業なら、そっちの方が優先に決まってるだろ?」

 仮に璞が無関係だったなら、その時点から見回りを始めれば良いだけの話で、何ら問題はない。

「俺はお前の陽使なんだからよ」

 なのでニッ、と笑ってそう言えば、

「……ああ、そうだな」

 風遥もフッ、と笑った。


 主が支度を終えるまでに時間はそうかからない。レヴァイセンは直ぐに出発できるようにと――狛犬の姿に変化する。神守神社の狛犬の石像が、そのまま黄金色を伴って実体化した姿だ。体毛は、通常の形態と同様の髪色、髪質がベースになっている。

 これは理が持つ形態変化のひとつで、主に神主を乗せた移動手段として使う。

「わあ! レヴァイセン、変身できたんだ!?」

 それを見た知恵が声を上げる。思えば以前は師がその役目を担っていたので、レヴァイセンがその姿を披露したことは無かったか。

 レヴァイセンは「あったり前だろ!」という意味を込めて、頷きながら一つ吠える。

 ……この機能を解禁したのも最近だ。と言うのもそれまで祓廻りに赴く際は氏子たちが送迎を行っていたので、それで良いと思い込んでいたためだ。

 ただ馴染みのない町民たちと車内という逃げ場の無い空間で会話するのは風遥にとっては結構ストレスだったようで、最初にこの姿を見せた時には「最初からそうして欲しかったがな」とやや文句を言われてしまった。

 けれどそれも過去の話。支度を終えて出てきた風遥に合わせて身をかがめれば、主は迷わずその背に乗ってくれる。

「じゃあわたしは一旦家に……」

『乗れよ。ちょうど定員2名だ』

 家に戻って車で来るのか? それでは時間がかかり過ぎるので、智恵の言葉に被せるように、レヴァイセンは空気を経由せず声を直接響かせることで誘導する。

「うん……!」

 智恵は思いのほかこの展開を望んでいたのだろうか、いざそう言われると嬉々としてレヴァイセンの背に乗ってきた。 

「葵さん、この毛をしっかり持って。こいつの毛はいくら強く掴んでも大丈夫だ」

「分かった!」

 ふわふわながらそれなりの硬度がある己の犬毛がしかと握られたのを確認したところで、

『んじゃ、行くぜ!』

 レヴァイセンは身を起こし、地を蹴って空へと駆けだした。

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