標的確認:奸計

 八代地域は中心街からやや南側に外れた場所にあり、車で行けば10分程。だが、道路も信号も坂道も無い上空から行けば、その所要時間は半分以下だ。

「叔父さんはね、佐仲地域の商店街で喫茶店をやってたの」

 智恵は風遥に向かい話しかけている。初めて乗るにしては随分臆していない様子で、地上での会話と言われても差し支えない程だ。

「佐仲地域……じゃあ、そのお店は……」

「……うん。13年前に、火事で焼けちゃった」

「そうか……」

 佐仲地域は火災の火元となった場所で、商店街の中心。その大半が焼き尽くされてしまい、復興率は13年経った今は6割ほど。戻らなかった4割は、更地のままになっていたり、公園として形を変えている――その片隅に、惨劇を伝える石碑を立てて。

「最初はお店を再建するつもりだったから、街の復興にも尽力して……でも一段落ついた頃、今度は奥さんが病気になって、その介護をすることになって……」

「……!」

 理は人間と違い病気など意図せぬ能力低下は無い。勿論寿命は設定されているし、全く劣化が起こらないわけでは無い。ただ璞を浄化する行為自体は最期まで行えるので、それこそ役目を果たせなくなった瞬間が寿命だ。だから「介護」などという、能力の著しい低下がみられる理を、他の理が世話するという事は起きえない。

「皆が周りを頼って、って言ってたけど……叔父さんは周りに迷惑かけられない、って自分だけで介護し続けて……叔父さんまで身体を壊しちゃったの」

「それは、大変だったんだな……」

 一方で、人間は助け合う生き物と言う事は理解している。だから、何故彼がその手助けを断ったのかがレヴァイセンにはよく分からない。介護の重労働についての想像が行きつかなかったから? それが分かった時点で頼めば自身まで倒れることは無かっただろうに、何故かたくなに拒否したのだろうか。

「うん。それをきっかけに直接の介護からは離れて、3年前奥さんを看取ったけど……もう、お店の再建はしないって」

「……知らなかった」

 ポツリと呟く風遥。住民たちが13年間どう過ごしてきたのかはレヴァイセンも知らないが、特段興味があるわけでも無く。寧ろ人間の営みに積極的に関与することについては推奨されていない……ただ1人、主の事を除けば。

 だから今も、暇があれば風遥の過去を思い出そうとするし、霜月ハクトの事に対しても興味を示すし、背中の上で行われている2人の会話もさり気なく聞いているのだ。

「叔父さんのお店は純喫茶だったんだけど、わたしは何かあの空間が好きだった。コーヒーとたばこが混じる匂いとか、レトロ感のあるインテリアとか。

 ……渋い趣味だなって、みんなには笑われたけどね」

「いや、良いと思う。俺も、一度行ってみたかった」

「霜月君……」

 そうこうしているうちに目的地が近づいてきた。この辺りは平面はほぼ田んぼとなっており、住居は少し小高い所にぽつぽつと建てられている。

 徐々に降下していって、少し古い作りの平屋の前に着地。

『さあ、着いたぜ』

 そう言って2人に降りるように促し、自らも姿を人型に戻す。獣姿でも浄化は行えるが、風遥との意思疎通に制限がかかるのと、人のような器用な動きが出来ないので屋内での浄化には不向きなのだ。

「叔父さーん! 風遥君、来たよ~」

 2人の動きは正反対だった。すたすたと歩きインターホンを押す智恵と、警戒するように家の周りを見渡す風遥。

「……一見すると、何事もなさそうだが……」

「いや……いるな。向こうも、俺達の事には気づいてる」

 中から狩り時の璞の気配を感じる。理は建物によって自分の走査を阻害されることは無いし、逆もまた然り。あくまで視覚的にさえぎられているだけで、既に互いに捕捉しあっていることに間違いはない。

「叔父さん、いないのー?」

「…………」

 とんとんとドアを叩いている智恵を見ながら、ふーっと溜息をつく風遥。嫌な思いをした事のある相手、それも進化した璞に寄生されている状態となると、対峙するのも気が滅入ってしまうだろうか。

「もし手が付けられねえ状態だったら、俺が強制的に浄化する。

 風遥からすると後遺症が気になるだろうけどよ……俺はお前を護るのが第一なんだ」

「レヴァイセン……」

 そんな主に自分の存在定義を告げる。もちろん狩り時の璞を即座に浄化するというのもあるが、それよりも今は、風遥が不快に晒される時間を1秒でも少なくしたいという思いの方が強い。

「だから良いな? 風遥」

「……ああ、分かった」

 ひとつ頷く風遥。覚悟を決めてくれたのか、ドア、ひいてはその向こうにいるであろう存在を睨みつけるような強い眼差しを向けている。

「叔父さん、入るね~」

 ちょうどその時智恵もドアを開けて入って行ったので、レヴァイセンは風遥に目配せ。風遥は小さく頷いたので、レヴァイセンが先に家に入って再走査。ハルイチはここから一番遠い所にいるようだ。

 しかし目に視える範囲で他の璞の姿が一切見当たらないのが違和感……それなりの力を持った璞が一か所にとどまっているなら、その強さに惹かれるように小さな璞が集まっていてもおかしくないはずなのだが……。

「風遥、ハルイチさんの場所だけどよ……」

 ともあれ情報共有を、と振り返ると、ちょうど風遥はドアを閉めようとしているところだった。

 が、次の瞬間、そのガラス戸に上から暗幕をかけるかのように璞が垂れ下がってきた。

「!?」

 その不意打ちに思わず手を引いた風遥だがドアはそのまま閉まり、誰が触れている訳でも無いのに施錠の音が響く。

「なっ……!?」

 璞がこちらを閉じ込めてきた……!? 直後――視界が一気に陰った。

 それこそ外からは全く感知できなかった想定以上の陰のエネルギーが、家全体を包んだのが分かった。

(マズイ……!)

 その直感を肯定するかのように、床からは水が湧きだすように璞が溢れ、天井からは雨漏りのように次々に璞が落ちてくる。

「っ……!」

 異常なまでの黒の勢いに小さな悲鳴が主から上がり、レヴァイセンも一瞬硬直する。

 それは隠れていたというよりも、それまで凝縮されていた力が一気に解放されたことで生み出されたかのような……。

「レヴァイセン、これはっ……!!」

「ああ、マズイ事になった……待ち構えてたんだな……」

 絞り出すような声にこちらも同調してはより風遥を動揺させてしまうので、あくまでレヴァイセンは冷静にそう告げる。

「封鎖した事で、この家が璞の空間になっちまった。理からすると分が悪いぜ……」

「じゃあ、これを浄化したら……!」

 ドアにべったり張り付き黒く染めている璞に触れる風遥。璞は光の粒子になって消えたが、間髪入れず同じ場所に同じように璞が出現した。

「!?」

 またドアは真っ黒になり、光も通さず鍵も隠されてしまう。風遥からすれば唐突に表れたそれに目を見開いているが、レヴァイセンからすると予想通りだったので溜息をつく。

「……やっぱりな。力が強すぎて、再生し放題だ。

 ハルイチさん本体の璞を浄化しねえ限り、出られないってところだな……」

「何、だって……!?」

 もはや空間全体が璞となっている状況下ともなれば、ピンポイントにその根源を断たないことに、この空間から解放されることも無い。

「あと、今の俺の力は相対的に見て……通常の6割程度だ」

 理と璞の関係は空間における陰陽のパワーバランスによって決まる。理が強ければ璞が弱まり、璞が強ければ理が弱まる。

 ……今この空間に満ちる陰のエネルギーによって、自分の力が外から押し付けられて無理矢理塞がれているかのような苦しさを感じている。

 これを打破するためにはこの璞の群れを手当たり次第に浄化すればいいわけだが、再生されるこの状況では大本を断ってからでないと焼け石に水でしかない。

「冷静に分析してる場合か……!」

「悪い。……風遥は大丈夫か?」

 自分の中で状況の整理は出来たので、今度は主の様子を窺う。顔色が常に白で一定なので、他の人間のように血色からの判断は出来ない。なので、表情と声音、それから挙動に意識を向ける。

「浄化に支障はないが、正直気分は良くないな。早く出ないと……」

 そう言って不快さを顕にしながら歩きだす風遥。レヴァイセンはその一歩前を保ちつつ先導する。

「……そういえば、葵さんは……!?」

 するとそこで風遥が先に入った智恵の事を思い出し、レヴァイセンもハッとなる。

「急ぐぞ!!」

 レヴァイセンは手の届く範囲の璞をすべて浄化しながら走る。風遥の視界の安全確保のためだ。

 廊下は群れをなす璞の密度は減ったが、代わりに黒い靄のようなものがかかっている。ただ走査の結果は覚えているので支障はない。突き当りを右に曲がって――そこに、しゃがみ込んでいる智恵を発見した。

「智恵!!」

「葵さん!!」

 その周りを璞が取り囲んでいたので、レヴァイセンは手当たり次第に浄化。風遥がそこに駆け寄って、智恵の肩を揺する。

「大丈夫か、葵さん」

「あ……霜月君……?」

 神主が触れたことで意識を取り戻したか、智恵の焦点が風遥に合った。

「ごめん、何か急に気分が悪くなって……」

 確かに顔色が悪い。ただ幸いか、智恵にはこの光景が見えていないようだ。

「……一旦出るか?」

 そう言って風遥は気遣うが、レヴァイセンからすると困惑だ。入口は塞がれているというのに。

(おい、だから、入口は……)

『窓に璞はいない、最悪割ればなんとかなるだろ』

 なので思念で伝えると、確かに言われてみればという回答。廊下には窓があるがそこを護っている様子の璞は見受けられない。

「……ううん、もう治ったみたい。

 それにしても叔父さん、どうして返事してくれないのかな……」

「……どうしてだろうな……」

 そう言って智恵は立ち上がり、何か言いにくそうにしている風遥が後に続く。

 その後ろでさり気なくレヴァイセンは窓の鍵に手をかけると、確かにすんなり開いて、元に戻る事もない。家全体を封鎖する意図と言うより、単にこちらを威嚇していただけだったのか、それとも窓の1つ1つにまで璞を巡らせるだけの余力が無かったのか。

 しかし実際に窓を3分の1ほど開けてみたが、空間の気の流れに変化はない。淀みは滞留しているし、レヴァイセンの力が戻ってくる様子もない。

 ……本当にここから脱出することが出来るのかどうかは正直不明だが、それを風遥に伝えるのは控えようとそっと2人の元へ戻る。

 智恵はドアをノックして呼びかけているが、中から返事は一切ない。風遥は……智恵を見ていない。額から頬へいくつも汗が伝っており、異常な緊張状態にありそうだ。

(風遥、しんどそうだな……)

 その不安を和らげるにはどうすればいいか考えてみるも、何も浮かばない。

 結局俯き気味の風遥を下から覗き込み、普段通りに呼びかける事しか出来なかった。

「まあな……」

 そう言って風遥は弱弱しく笑うが、その様子からして実際の余裕はなさそうだ。 

 レヴァイセンは改めて気を引き締める。いかに不利な状況であれ、必ずこの璞を浄化する、と。

「叔父さん! 寝ちゃったの……?」

 いよいよ対峙の時。智恵は最奥の部屋――レヴァイセンが特定した璞がいる空間の扉を開けた。

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