現場で考える璞の事

「それにしても叔父さん、どうして返事してくれないのかな……」

「……どうしてだろうな……」

 智恵とそんなやり取りしていると、数日前の智秋の言葉が脳裏に浮かんだ。


 それは、ソラリスがレヴァイセンを連れて行った直後、智秋の微笑がいつものそれに戻った時に言われた事。

「さておき……

 風遥君、晴市さんはお元気にされていますか?」

「っ……た、多分、元気だと思いますが……」

 最初言われた時、拒絶反応が動揺という形で出てしまった。その人から受けた悪影響を最小限に抑えることは出来ても、結局自分の気持ちが納得出来ていない以上、また関わり合いになりたいかと言えばノーなので当然だ。寧ろ名前も聞きたくない。

「次の八代地域の祓廻りの時、もし彼がいないようでしたら――一度直接伺うことをお勧めします」

「何ででしょうか……?」

 なのでその助言をされた時、反射的に拒否の意を含む声音でそう聞き返していた。

「晴市さんはかなり深い所まで璞の侵食が進んでいました。

 ……こうなると、一度浄化しても、根本的な原因が解決しない限り、また他の璞に狙われてしまうのですよ」

「根本的な原因、ですか……?」

「ええ。何らかの強い不満や欠乏など、その人が前向きになる事を阻害している感情、記憶全般です。

 ……ただ、そこはその人個人の問題になりますので、解決には時間を要することでしょう」

 一瞬、まさかその根本的な原因まで神主が解消しなければならないのかと身構えたが、そのような事は無さそうで心底安心した。

「なのでその原因が解消するまでは、定期的な浄化が必要になります」

「……分かりました」

 ただ、カウンセリングとまでは行かずとも、代わる代わる璞につかれてはそれをこちらが浄化していかなければならないというのは……少し、憚れる。

 せめて、あの日風遥に当たってきた理由がもう少しわかれば良いのだが、その辺りがうやむやにされてしまっており、結局あれが本心なのかどうなのかが量りそびれているからだ。

「璞の侵食が進むと、祓廻りなど浄化されると分かっているところへは近づかなくなります。

 それが、こちらから積極的に伺うべきサインとなります」

「はい」

 そう言われた数日後、実際彼が祓廻りにいない事を確認した時は、頭を抱えたくなった。

 結果「明日の空いている時間にでも行くか」と半ば逃避にも思える選択をし、「レヴァイセンの午後の見回りが終わったら持ちかけるか」と溜息をついていたまさにその日、高校の同級生が親族という肩書を引っ提げてやってきたのは何とも有難い偶然だった。


 ……ただ、いざその場に赴いてみれば――本人を越えて自宅全体が璞に侵食されているだなんてのは予想外で、まるで異空間に来ているかのよう。あるいは璞の巣とでもいえば良いか? 天井、床、壁……風遥が目を向けた先全てに璞がいる光景は、初めてだ。

 閉ざされていた神守神社の異様な雰囲気とはまた別の不気味さを肌で感じ、時折寒気に震えたり、首がひんやりしたり、手や足が何かに引っ張られるように重くなったりした。それは璞が直接纏わりついてきているのが原因ではないのだが、何故かそのような感覚はあり……。

(なんなんだ……)

 暑いわけでも無いのに額から汗が流れている。道中でこれなのに、終点では一体何が起きているのか……未知への恐怖に立ちすくんでいると、レヴァイセンがずいっと覗き込んできた。

「大丈夫か、風遥」

 陽使の普段通りの声音に神主は少し落ち着きを取り戻す。状況は不利だと言っていた割に冷静なので、なんだかんだでどうにかしてもらえるんじゃないかと期待すら持てる。

「まあな……」

 なのでそう答えつつも、正直言えば閉じ込められた時点で過度のストレス状態で、完全にノルアドレナリンの支配下だ。今すぐ窓を突き破って逃げたい衝動にも駆られるが、智恵がいる手前そういうわけにもいかない。だから必死になって、でもそれを表に出さないよう、どうすればいいのかを考えなければならない。

「叔父さん! 寝ちゃったの……?」

 そうこうしているうちに智恵が入って行ったので、風遥達も慌てて後に続く。


 広めの部屋は璞の影響か靄がかかったように薄暗いが、西欧の貴族の部屋に迷い込んだような印象だ。壁には絵画がかけられ、アンティークな棚には調度品が並んでいる。

 この部屋の主はブラウンフレームの肘掛けにぴたりと腕を乗せ、皮張りの座面にどっかりと腰掛けている。ただ、顔は傾き目の焦点は合っておらず、こちらに気づいているのかは分からない。

「……!」

 しかしそれよりも目を引くのは――その前に控えている、ドーベルマンのような大型犬。

「何……あれ……」

 呆然とした様子で智恵が呟く。

 影のように黒いソレは、一目で犬ではなく璞だと分かる。顔や模様は無いが、艶があり立体的。璞はまるでこちらに主の意思が宿っているかのように顔を上げ、風遥達を見た。

「ハルイチさんに寄生してる璞だ。智恵にも見えるなら、相当力があるって事だ」

「嘘、だってさっきはいなかったのに……」

 そう言えば智秋が、13年前のあの日は一般人にも璞が見えていたらしいと言っていた。つまり今は、似たような状況、と言う事なのだろうか。

 ただでさえ璞に有利な上に犬の姿になっている。となれば恐らく敏捷に動くので、球体のように簡単に触れる事も出来ないだろう……やはり、自分で浄化するのは諦め、レヴァイセンに任せるのが最適か……?

(どうしたものか……)

 ひとまず風遥は手中に大幣を召喚し、握り締める。大幣も神器の力の具現化の一部なので、こうして無から実体を持たせることが出来るのだ。ただ璞の空間になっていると言われていた手前、これさえも妨害されたらどうしようかと思ったが、そこは問題なく行えたのでホッとする。

 直後、こちらが臨戦態勢に入ったとみなしたか、璞が立ち上がって遠吠えをする仕草を見せた。犬の鳴き声こそ響かないが、キーンと耳鳴りがしたので顔を顰める。

「!」

 すると、棚の中のティーカップやグラスやガラスの小物がカタカタ揺れ、棚を飛び出して本体の周辺に集まっていく。

「ひっ……!!」

 智恵が小さく悲鳴を上げる横で、風遥は冷静に状況を把握する……どうやら力を持った璞は、ポルターガイスト現象を起こす事も出来るらしい。対処法としてはこちらの風で迎撃することか。

 寧ろじめっとした空気が不快なので、風の一つでも起こして空気を換えたいところだ。

『璞の気を引くのは俺に任せろ。風遥はその隙にハルイチさんに触れて、璞からハルイチさんを切り離してくれ』

 じっと敵を見据えたまま、レヴァイセンが思念でそう伝えてきた。

(俺は璞に触れなくていいのか?)

 風遥も調度品の行方を目で追う。晴市たちの周りでふわふわと浮いており、今にもこちらに飛んできそうだ。

『ああ。あんな風に宿主と璞が別々になってる時は、まず神主に宿主と璞の結びつきを絶ってもらってから浄化するのが最適だって、せんせーが言ってたんだ』

(……分かった)

 頷く。例によってその効果を発動させるための詠唱や式などは一切無いわけだが、今までの経験上、璞から晴市を切り離す、あるいは救出するイメージで触れればその通りに具現化するはずだ。

 しかも璞の相手をレヴァイセンがしてくれるなら、椅子に座りっぱなしの晴市に触れるのは容易そうに思えた。

 風遥はひとつ深呼吸して、智恵の一歩前に出る。

「葵さん。危ないから、部屋から出てた方が良い」

 よくある物語なら守りながら戦うという芸当をするわけだが、あいにく新人神主にそこまでの余裕はない。なので、せめて巻き添えを喰らわないように退避するよう告げる。

「霜月君、待って……!」

「えっ?」

 ただ智恵は風遥に何か縋るような目を向けていて、動こうとしない。

「あれは叔父さんの……」

 そう智恵が言いかけた横で、璞に狙いを定めたレヴァイセンの目が鋭く細められる。

「行くぜ!」

 姿勢を低くして飛び出そうとした次の瞬間、カップがひとつレヴァイセンに向かって飛んできた。

「やめてッ!!」

「!?」

 智恵が叫ぶ。それを受けてレヴァイセンは「割ってはいけないもの」と認識したか、避ける事はせず庇った腕に当てさせる。ぶつかったことでその勢いが途絶え、床に落ちそうになったカップをレヴァイセンはキャッチした。

「っぶね……!」

 また投げてくるのか? と風遥も身構えてみるも、そこから動きはない。なので暫くの間互いに硬直状態が続き……

「……そう言うことかよ!」

 ギッ、と璞を睨みつける狛犬を見て、風遥も理解した。今のは威嚇のようだ。浮いているこれらのモノを“人質”とし、動いたら投げるという事。ともすれば、その場で叩き割る事も厭わないかもしれない。

「どうする、風遥……!」

「近づけないんじゃ、どうしようもないよな……」

 作戦がいきなり破綻した事で、流石のレヴァイセンも動揺している様子だ。しかしこちらも代案は直ぐには浮かばない。

「いっそ無視して一息で……」

「駄目だよ、レヴァイセン!!」

 そう言って狛犬の理が大型犬の璞を睨み付けるのを、智恵が後ろから遮った。

「あれは叔父さんの大事なコレクションなの!!

 カップもポットもソーサーも一度割れたら直せないし、簡単に買えないものなんだよ!!」

「っでもよ……!」

 思うように動けない事に対してか、レヴァイセンはひとつ舌打ち。

 風遥も風遥で、何か策が無いかと辺りを見渡しながら頭をフル回転させ考えていると、璞がまた何か音も無く咆えた。

「!」

 すると、その周辺に黒い球体が出現。璞なのかどうかは分からないが、とにかくそれが智恵に向かってひとつ放たれた。

「きゃっ……!」

「危ない!!」

 攻撃としては比較的至近距離だが、軌道が緩いのは助かった。風遥はそれを叩き落とすようにして祓えば――直後、焼け焦げた壁掛け時計が一瞬だけ頭の中に映った。

「!?」

 これは風遥の記憶ではない。この物体に閉じ込められていた映像とばかりに、頭の中に飛び込んできたのだ。

「何だ……?」

 今のは、晴市のお店のモノだろうか? 首を小さく傾げる。

「どうしたの、霜月君」

「時計が……っ!」

 言いかけたところでまた同様の物体が飛んできたので祓う。浄化の感覚からして、これは璞ではなさそうだ。

 そしてまた何か映像が飛び込んでくる。今度は駅前の柱時計、4時近くを差しているようだが……。

「時計?」

「ああ」

 聞き返してくる智恵に頷く風遥。調度品を投げてくる様子が無さそうなのでさり気に一歩だけ前進し、また黒い球体を一祓い。

(まただ)

 次は壊れた懐中時計……長針と短針の位置が、先程の時計とほぼ同じ。

「4時……?」

「4時?」

 何かを伝えようとしているかのようにひとつひとつ放たれるそれを、同じように振り祓う。

 ぶわっと頭の中に広がるのは家電量販店の時計売り場、アナログデジタル入り混じるも全て同じ時間……

「……15時58分」

 時刻を特定した直後、智恵が目を見開いた。

「霜月君、それ、火事が起きてた時間だよ!

 叔父さんのお店の時計が、止まっちゃった時間!!」

「!!」

 それは、十二分過ぎる程にある事を示唆していた――彼の時間は、13年前のあの日から止まってしまっているのだと――

「叔父さん、やっぱり……

 お店、もう一度やりたいんだね……?」

 智恵が悲し気にそう呟いた直後、肘掛けに乗っている手がピクリと動く。

「……!」

 そして璞の周囲の黒球が一気に増え、その全てが一直線に風遥に向かって放たれる。

「風遥!!」

 レヴァイセンは叫ぶが、風遥は冷静に全部祓うと決め――大幣を両手に握り直し、気合の声を上げながら力強く薙いだ。

 光を帯びた強風が巻き起こり、大波のように空間を光で満たして行く。

「!」

 そうして黒は泡が弾けるように消えては、何かの映像が風遥の頭の中で浮かぶ。


 賑わっている商店街。

 その一角にある少しノスタルジックな雰囲気の喫茶店。

 来客を知らせるのは、カラコロと響く鈴の音。

 暖色の照明、木々のぬくもりを感じる棚。

 使い古されているけれど、座り心地の良い椅子。

 針が下ろされたレコードプレーヤー。

 カウンターでは新聞片手にコーヒーを飲む客。

 テーブルでは雑談に花を咲かせる女性客達。

 コーヒーの味わいに合わせて選んだカップ。

 ゆっくりとドリッパーにお湯を回し入れる手。

 幼い日の智恵であろう少女が、興味深そうにそれを覗き込んでいる。

 

 ……全てそこにいるであろう晴市本人の姿が無い。

 だからこれは、彼の記憶。

 

 その温かな記憶は、いつしか復興途中の商店街や焼け消えた喫茶店と凄惨な映像へと変わっていき、晴市の妻を介護している様子や、その最期を看取ったのも見えた。

 ……智恵が言っていた通りだ。

 その生々しい記憶は、自分だけが深刻な害を被ったわけではないと思い知らされた。

 勿論住民全員に何かしらの害が及んだことは分かってはいる、しかしその最たる被害者は間違いなく自分であるとずっと思っていたのだ。

 ……今となってはそれが恥ずかしく思える。皆それぞれが辛い思いをしているのだ、そこに大小や順位などはつけられない。寧ろ、全て忘れてしまっていた風遥は、ある意味最も幸いだったのではないかとすら思えてきて……。

「晴市さん、あなたは……」

 呟く。思わずそう零してしまっていた。

 けれど、続きが紡げない。何を言いたかったのか、どうしてそう呟いたのか、直ぐに分からなくなってしまった。

 他人の記憶が風遥の脳裏に展開された事で、頭が混乱しているのかもしれない。 

「叔父さん! もう一度、やってみようよ!」

 その横で、晴市に向かって力強く呼びかける智恵。

「前と同じようなやり方は出来ないかもしれないけど、絶対方法ならあるよ!」

 晴市の口が小さく動いているように見える。智恵の事を呼んでいるのだろうか?

「町のみんなも、叔母さんも喜んでくれるはずだよ!!」

 智恵の想いは晴市の心に響いているのか、璞の動きはピタリと止まっている。

「わたしも一緒に考えるから、だから、お願い……!」

 ――浮いていた食器類が棚に静かに戻っていく。“人質”が、解放されたのだ!

「今だッ!!」

「ああ!!」 

 勿論それを逃すはずもなく、風遥とレヴァイセンはここぞとばかりに飛び出し距離を詰める。

 璞がそこでようやく動き出すが、レヴァイセンの一閃の方が速かった。ただそれは牽制に過ぎず、大きなダメージを与え怯ませるものではない。

「これで……!」

 しかし風遥にとっては十分な隙だった。大幣の形を解いて右手に力を集約し、肘掛けの上に乗せられた晴市の手を掴む。その手から一気に光の輪が広がれば、靄がかき消され部屋が明るくなり、小さな璞が次々と消えていく。

 椅子に座る晴市が顔を上げた。我を取り戻した様子のそれは、璞との切り離しが成功したのだと風遥を確信させる。

「終わりだ!!」

 そうして璞の空間そのものが弱化したところで、レヴァイセンが璞にトドメを刺した。

 大型犬のような形の璞は爆ぜるように消滅し、強い光が視界を白く染め上げた。


 その光が消えた時――そこは璞が1匹たりとも見られない、清浄な空間に変わっていた。

 ……大仕事が終わったのだ。

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