情報収集:再戦
数日後、智秋がソラリスと一緒に神守町にやってきた。風遥は2人を居所の和室に案内し、神主と陽使それぞれが向かい合って座った。
「いかがですか、最近は」
いつもの微笑で問う智秋に対し、風遥は少し間を空けてから、ぽつりぽつりと答えだす。
「……この間、友達が訪ねてきたんです。
でも……璞に寄生されていました……」
「! そんなことが……」
そうして、風遥はやや俯きながら智秋にそのいきさつを説明する。差し出してきたスマホの画面の上に璞が乗っていたこと、その璞はアプリで育成されポジティブな感情が餌にすること、友人がその璞をペットとして本気で愛でている様子だったこと……そしてそれを、風遥には浄化することが出来なかったことも。
「……神主として間違っていたとは思うんです、すみません。
でも、どうしても出来なくて」
「大丈夫ですよ」
智秋はずっと頷いていて、風遥の判断を決して否定することはしなかった。
「無理して浄化しようとしても、その意思が伴わない限り上手くいきませんから。
そこは、お友達との関係を優先して良かったんですよ」
「ありがとうございます……」
それを見て風遥は安心したように息をついてから、真っすぐに智秋を見た。
「……それで、この件で俺は、璞についてほとんど知らないって事に気づきました。
だから最近、時間のある時に璞の観察をするようにしています」
「そうですか」
その行動は初耳だった。確かに前、レヴァイセンが見回りに行っている時間に1人で散歩に行っているのを見た事はあったが、璞の観察が目的だったなんて思いもよらなかった。
……正直心配な部分もあるが、理と一緒ではそれを行うことが出来ないジレンマに小さく唸る。
「じーっとしてたり、目的なく動いているのが大半ですが、何か仲間と話してるかのような挙動をする璞もいました。形も丸だけじゃなくて、たまに不定形もあって……結構、面白いです」
それは風遥にとって楽しいのだろう、口の端に笑みを乗せて話しているが――智秋の微笑は一瞬の戸惑いから、真顔へと変わっている。
珍しい。何か彼の心に強く引っかかるものがあるという事か。
「……勉強熱心なのはとても良い事ですが、一点だけよろしいですか?」
「はい」
微笑が絶えた彼の表情は遠回しの否定。それは風遥にとっても予想していなかったのだろう、少し返事が硬くなっている。
「相手の事を知ろうとした結果、本来中立であるべき立場の人間が悪に肩入れしてしまった……という例があります」
「………璞は、悪であると……?」
風遥のおずおずとした問いかけには、静かに首を横に振る。
「いいえ。本来璞は共存を目指すべき存在ですが、必ず一線は引かなければなりません。
……まして相手は私達人間とは生態も常識も何もかもが異なる。知らずと影響を受けていてもおかしくありません」
「…………」
「お友達の件もそうです。もし今後璞が悪い意味でその方を侵食してしまっても、本人が“マリモを浄化しないでくれ!”って懇願してきたら……貴方はそれに流されることなく、浄化できますか?」
「それは……出来る、と思うのですが……」
智秋から視線を外しつつ眼鏡を押し上げる風遥。言葉とは裏腹の自信が無さそうな仕草に、少し悲し気に微笑む智秋。
「知ろうとすることは決して悪い事ではありません。ただ、くれぐれも、その距離感については注意してくださいね」
「……はい」
「その一線を越えてしまった例を、僕は知っていますので」
「……え……?」
目を丸くし、智秋を見つめる風遥。一体どういうことだと思ったのはレヴァイセンも同じなので、早くその詳細を聞きたい。
だが智秋は意味深な微苦笑のまま、それ以上口を動かそうとはしない。
「……レヴァイセン。話がある」
「え? あ、ああ……」
その上その空気を断つようにソラリスに呼ばれ、ついてくるように促されてしまった。
仕方が無いのでそれに従い、レヴァイセンも外に出た。
「それで、話ってのは?」
理同士の会話は狭間――レヴァイセンたちが任務にあたっている世界――にまつわる情報交換が主だ。しかしこの地域一帯の伝達係を兼ねているソラリスからは、領域からの共有事項を話されることもある。
領域から個人へ直接伝達する方法が無いわけでは無いが、結界を通すのでどうしても精度が落ちてしまうらしい。そこであえて一体の伝達係を介すことで「確かにこの伝言を伝えた」という証明を行い、共有事項を確実に伝えるようにしているのだ。
「……俺に、聞きたい事があるのではないか?」
「ああ……それでか」
ただ今回は前者のようだ。領域に戻れば最新情報の収集は出来るが、レヴァイセンは正直領域には居心地の悪さしか感じないので、戻るのは最小限に抑えているので情報も少ない。
恐らくソラリスはそんなレヴァイセンの胸の内を察しているのだろう。だから、こうして手助けをしてくれたという訳か。
「スマホに宿る璞の事、何か知らねえか?」
なので早速問えば、ソラリスは腕を組みつつ頷いた。
「……1級管轄地で、神守の神主の話と同様の事象が発生しているのを聞いている」
「!」
1級管轄地――人口密度が非常に高い地域。都会や都心部とも呼ばれているその地域は、任に当たっている陽使も多いがそれ以上に人間の数、ひいては璞の数が多い区域だ。
なので一定以上の経験を積んだ陽使が赴く場所となっており、師やソラリスもそこで激務を経験していた時期があるという。
「手口は、スマートフォンやパソコンを経由して対象の人間に寄生させる。人間側がそれを認識したうえで積極的に受け入れる為か、璞の成長は非常に早いそうだ」
「ああ……確かにな……」
ミカゲの様子を思い出す。理が傍にいるにもかかわらず一切動じなかったあの璞は、餌も大量に供給されていたのだからさぞ成長は早かったことだろう。
「そして、その一体化が行われると、我々理では対処不能になる。
電子機器を経由することで璞の性質が若干変化するようで、従来の浄化が作用しないようだ」
「何だって!?」
大きく目を見開くレヴァイセンとは対照的に、ソラリスは目を細める。
「神主ならその性質に関わらず璞だけを剥離し、浄化することができる事が確認されている。
……しかし1級管轄地は祓廻りですらまともに行えていない地域も多い。故にその特殊な璞に限らず、浄化が全く追いついていないのが現状だそうだ」
1級管轄地こそ神主が重要だと言うのに、人口比に対し肝心の神主の数は非常に少ない。それも相まってこの所は一部の1級管轄地での璞の勢力がかなり強まっているようで、レヴァイセン達のいるようないわゆる田舎への理の派遣は最低限にせざるを得ない状況だ。
「一体誰が、あんな璞を……」
そうした中でまさか新種の璞が誕生するだなんて。全ての璞の浄化という使命を脅かしかねない。
「組織ぐるみで行われているのは確実だが、その手掛かりはまだ得られていない。
どうもその璞は我々の擬態も見抜くようで、潜入調査が行えないのだ」
「!!
とんでもねえ進化させやがって……」
しかしこれであの璞がこちらを警戒していない理由が腑に落ちた。やはり逃げられるという確信を持っていたからだ。もしかすると、既に一体化が完了していたのかもしれない。一体化というのは、主に宿主との精神的な結びつきを指す言葉なので、何も姿が完全に見えなくなるとは限らないからだ。
「今は1級管轄地内、それもかなり区域が限定されているようだが……対象は、どこに住んでいるんだ?」
「……1級管轄地だな……」
元々道崎市に住んでいたミカゲだったが、都心部の大学に通っていると聞いた。自宅も大学付近とのことなので、1級管轄地で間違いないだろう。
サークルの先輩が広めてきたという事は、そのサークル全体も“汚染”が進んでいるという事か……参ったな、と溜息をひとつ。
「……もはや、広まっていくのは時間の問題だろう。それまでに対象の璞を捕獲できれば詳しい分析が行え、我々もそれに合わせた浄化に切り替える事も出来るだろうが……」
同様の懸念はソラリスも持っているようで、こちらも唸るような溜息。
領域には璞の研究を専門とする理も多くいるので、全く対抗する手段が無いというわけでは無い。しかしその理にデータが渡らないことには研究も進まない。
「……いざとなったら、風遥に協力を頼まなきゃいけねえって事だな……」
顎に手を添える。人間経由なら怪しまれないとなると、風遥ならミカゲと接触し、そのスマフォを取り上げるなどすれば璞のデータを収集できるかもしれないが……。
「……時に、レヴァイセン」
「ん?」
知らずと考えこむ姿勢になっていた。顔を上げて早々、鋭い視線が突き刺さるように向けられる。
「……
思い出したのか?」
「いや。相変わらず忘れてる事ばっかりだ」
肩をすくめる。今一番思い出したいことはやはり、13年前当日の記憶だろうか。
「なら、何故敬語を止めた」
「風遥がそうしてくれって言ったからだ。
……それに、何か俺も、こっちの方が良いんだよな」
「…………」
半ば睨むように眼を細めるソラリス。レヴァイセンの立ち振る舞いが気に入らないのだろう。いつだってそうだ……彼、いや、師含む他の理全てがレヴァイセンに望むのは、敬語で、言われたまま、表情もなく淡々と処理し、任務にあたる事。だからもう、それは十分理解している。
だが……
“目の前でああ言われて、よく冷静でいられるな”
唯一、その態度に不快感を顕にしたのが風遥だった。そう言って睨んできたことで、レヴァイセンの歪な自己認識に、小さな亀裂を入れてくれたのだ。
“それでいいのか? あんたは”
非難にも似たその問いかけに、首を横に振ってフッと笑う。今なら風遥の問いかけの意味がよく分かる――その答えも。
「なあ、ソラリス。
もう一度“研修”してくれよ」
そう言って、レヴァイセンは地を蹴って宙へ。地上では無関係のモノを巻き添えにする恐れがあるから、理同士が技術や戦闘機能を確認するのは必ず空中で行う事になっている。
「……何?」
見上げるソラリスは眉を顰めているので、レヴァイセンは上にあがってこいと誘うように指を折り曲げる。
「前言ってただろ? お前は意図的に力を制限しているって。
……その制限は、もう外したんだ」
ニヤリと口角を上げる。前は制限もあって思うように戦えず散々な目に遭ったが、元々の実力としてはそこまでかけ離れていない。寧ろ、ソラリスはレヴァイセンよりもかなり前から稼働している分消耗も多く、能力としては下がってきているはずなのだ。
「………」
尚も無言、無表情でこちらを見るソラリスに、レヴァイセンは今度は思いっきり歯を見せて笑う。今思えば散々な事を言われたが、そこはいつまでも根に持つことはしない。実際事実でもあったのだ。だが、その情報は上書きされなければならない、今はもう違うのだから!
「今の俺ならちゃんと陽使をやれるって、証明してやるぜ!」
なので頷いてもらわなければならないので、最後の一押しとばかりに指を突きつける。こんな挙動したら師には絶対怒られるが、いないので関係ない。
「……良いだろう」
ソラリスは最後まで無表情のまま、それでも敏捷な動きで地を蹴ってきた。
再挑戦だ――レヴァイセンも身構える。今度は彼を地に沈めてやる、と闘志を滾らせながら。
その再々研修は、神主2人が外に出てくるまで続いた。それは前のように慌てた様子ではなかったので、こちらが何をしていたのかは気づいていなかったようだ。
……なお、実際に地に叩きつけることは出来なかったが、こちらも地に伏すことは無かった。
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