2日目朝 13年前の真実を知る

 遠くから鐘の鳴る音が響いてくる。ゆったりとした間隔で1回、2回………6回目で途切れた。目を開けると、部屋こそ薄暗いが外はもう明るい。

 スマホを覗き込めば6時だったので、近隣のお寺が時報を鳴らしていたのだろうか。

 昨夜は色々と気を使いながらも氏子たちとの雑談に応じた。氏子たちの職業に始まり、神守町の話と、ハクトのひなた園での話。初日なので無難に、と、場が暗くなるような話題は一切出なかったが、それでも情報量は沢山で、全然覚えられていない。

 そんな状態だ、終わって居所に戻るや否やどっと疲れて、直ぐに寝付いていた。

「…………」

 見慣れぬ天井、見慣れぬ部屋。とりあえず顔でも洗おうかと布団から出れば、ひんやりした空気に包まれる。冬の名残を感じながら布団を畳み、新しい自室を出る。……そう言えば、洗面所はどこだっただろうか。まだ寝起きなので頭がぼんやりしており、思い出せない。

 隣室には「初日に一人は心細いだろう」と智秋が泊まってくれているので、もし智秋が起きているようなら洗面所の場所を伺いがてら挨拶でもしようか。そんなことを考えていると隣の部屋の襖が開き、智秋と目が合った。

「おはようございます、風遥君」

「……おはようございます。えっと……」

 爽やかな微笑みに軽く会釈。彼は風遥より前に起きていたようで、既に身なりが整っていた。それを見て、寝起きのままの自分の恰好を晒していることが恥ずかしくなってきたが、もう遅かった。

「洗面所なら、そこの廊下を曲がって左手側ですよ」

「ありがとうございます」

 そのことについて智秋は全く触れてこないのをこれ幸いとばかりに、いそいそと身支度を整える。

 そして朝食はどうしようかと思っていたら、もうキッチンに智秋が立っている。

「朝食は僕が作りますので、それまでこちらを見て待っていてください」

「? ありがとうございま………」

 受け取ったメモから放たれる文字の圧に、言葉が詰まった。


 六根清浄元柱固具 ろっこんしょうじょうがんちゅうこしん

 人璞和同平明之地 じんはくわどうへいめいのち

 冲靜得自然従容無為 ちゅうぜいえじぜんじゅようむい

 天壌無窮理璞之平 てんじょうむきゅうりはくのへい


 念々不停流思之在之 ねんねんふじょうりゅうししざいし

 天壌無窮璞理之平 てんじょうむきゅうはくりのへい


 見た事のない漢字含めて容赦がない羅列で、ひらがなを読んでも何を言っているのかさっぱりわからない。御経、あるいは古典か? 読書は好きだが、この辺りは自分の趣味ではない。

「……これは?」

「神主の呪文です。いわゆる“お題目”ってやつで、儀式でも唱えます」

 涼しげな顔でそう言う智秋と、メモを交互に見やる。

「……つまりこれを、あと3時間ほどで覚えろと言う事ですか……?」

 眉を顰める。昨日といい、短時間でやるには急すぎる無茶振りをされている気がする。こういうのはもっと時間をかけて準備するものだと思うのだが、どうもこの神主業についてはそうではないらしい。

「ええ。とは言え神器にしっかり刻まれている言霊ですので、覚えようとしなくても自然と紡げるかと思いますよ」

「……まぁ、それなら……?」

 自然と紡げる、ということについては心当たりがある。神社を目覚めさせた時の言霊も、まるで自分を通して神が告げていたかのような感覚だった。

「ただ、意味は事前に知っておいた方が良いかと思いますので、後程レヴァイセンに聞いてみて下さい」

「……わかりました。

 朝食作り、手伝いますよ」

「そうですか? ありがとうございます」

 ひなた園にいた頃、誰かの当番を手伝う事もあれば、手伝ってもらう事もあった。それは助け合いの精神として根付き、今もこうして風遥を智秋の朝食作りを手伝うという行動に自然と移させている。

 ただ今回の場合2人分だったのであまり手伝いもいらなかったような気もするが、何かと世話になっている智秋に、自分でもできることを任せっぱなしにはしたくなかったのだ。

 そうしてダイニングテーブルに配膳された朝食は焼き魚と卵焼きに味噌汁、そしてご飯と和食の定番。添えられている漬物は香月の手作りらしい。

「「いただきます」」

 智秋と向かい合わせに座って、手を合わせる。こうして声を揃えるのは昨日の昼以来。念のためレヴァイセンにも声をかけてみたが、見回りに行くとのことで今回は同席しなかった。


 改めて――今日は『継承の儀』と呼ばれる儀式の日。自分が新しい神主になった事を町民に報せ、その姿を陽使と共にお披露目するというのが目的。とはいえ30分もあれば終わり、昨日と違い挨拶を述べる必要もない。ただ『詠唱』という、言葉だけ聞けばワクワクする内容だが、自分が行うにあたっては少々プレッシャーのかかる行為が待っている。智秋の言った事を信じていないわけでは無いのだが、噛んだりしたらどうしようという不安はどうしてもぬぐえないのだ。

 ……かつて“父”も、同じような緊張を抱いていたのだろうか? 

 13年前、火災に巻き込まれ没したであろう風遥の父親。正確には未だ行方不明とのことだが、流石に生きてはいないだろう。

(あれ……?)

 ……そこでふと思った。そういえば、何故あの日火事が起きたのか? 父親の死因となったであろう事象の、その全貌を今まで聞いていなかった。

 神守町を璞から護っていた父の意志を継承する以上は、込み入った内容も把握しておく必要があるだろう。

「智秋さん」

「風遥君」

 なのでそれを聞こうとして、相手も同時に呼びかけてきた。

「「あ」」

 思いがけずに重なったことで驚き、言おうとしていたことが吹き飛んだ。

「お先にどうぞ」

 お互いに顔を見合わせれば、くす、と笑いながら先を譲られたので、頷きつつ忘れかけていた質問を再び手繰り寄せた。

「その、13年前、どうして火事が起きたのでしょうか……?」

 そう聞けば、どこか微笑まし気に見つめていた智秋が目を小さく見開いた。

「ちょうど、そのことを僕も話そうと思っていんですよ。

 ……あの日、火事のに起きた事を」

 ただ、そう言ってきた智秋はやや深刻そうな表情に変わっており、意味深な言葉と相まって妙な温度差を感じた。

「え……?」

 そして紡がれた“真実”は――


「13年前の10月23日――神守町は、かつてない程の璞の大群に見舞われたのです」


「……!?」

 まさかここで璞の存在が出てくるとは思わず、箸を下ろしてしまう。あわやご飯を喉に詰まらせるところだった。

「普段、この世界は結界によって多くの璞から護られています。結界というのは簡単に言うと世界を隔てる壁で、理がそれを作り、維持しています」

 智秋いわく、風遥達が生きているこの世界は理の世界と璞の世界の間にあり、本来はそれぞれが自由に行き来できる状態になっているらしい。それを理が壁を作ったことで、璞の侵入を抑えたり、人間が誤って別の世界に迷い込むのを防いでいるらしい。

 しかしその結界は細かな網目状のようで完全に防ぐことは出来ず、特に餌を求める璞はそのわずかな隙間からこちらの世界に出てきてしまうようだ。

「ですが13年前のあの日、その結界の一部が大きく損壊してしまったようで、普段なら防がれるはずの大量の璞が神守町に侵入してしまいました」

「……!!」

 小さく身震いする。璞は人間の精神をかき乱しネガティブを増殖させる生き物。そんな性質を持つ連中が大群になって襲ってきたら、璞に乗っ取られてしまった人は勿論、それ以外の人もパニックを起こすに違いない。

「そんなことが起きたら、町は……」

「ええ、大混乱に陥りました。突如として精神に異常をきたす人が現れ、この時ばかりは住民たちも“璞”をはっきりと認識し、実際にその姿が見えていた人もいたようです」

 その混乱した状況ですら璞達にとって格好の餌場となり、更に負の感情を連鎖させ、増幅させていく……恐ろしい事になるのは想像だけでも分かる。

「ただ幸いなのは、神守町も真見町もそうした事態も“災害”として想定しており、定期的に合同での避難訓練や、璞についての情報共有をしていたこと。

 それにより避難や対処をスムーズに行えたので、人的被害を最小限に抑える事が出来ました」

「そうだったんですか……」

 しかし実際の被害は行方不明者2名のみ。璞に対する意識の高さと継続的な備えが、町を未曾有の大災害から守ったという事には驚きから溜息が出る。

「僕もあの日連絡を受けて神守町に急行し、皆さんを璞から護るための浄化や施しを行いました。そして、神守町の住民たちを真見町へと先導したのです」

 話を聞き始めた時は璞に精神をやられ錯乱した住民が火をつけたのかとも思ったが、この様子では違うだろう。

「それで、肝心の火災ですが、避難の際に誰かが火の元の確認をし忘れたのが最有力ではありますが、出火元は特定出来なかったようです」

 更に智秋にそう言われてしまえば、いよいよ火事の原因は分からない。ただ、分かった事もある。

「大火災になったのは、皆さんが避難していたからなんですね……」

「そう、ですね……」

 ひとつに、奇跡的に全員避難が済んでいたというのは、火災からではなく、その前段の時点でだった。つまり、火を消せる人も既に町から避難していた。だから、大火災になってしまったという事。

 そしてもうひとつは――

「なのに……風遥は、町に戻ってきていた」

「ええ。風遥君は氏子の皆さんと避難する手筈でしたが、お父さんが心配で探しに戻ってしまったのかもしれません」

 あの時、一度は避難したはずの風遥は、何らかの理由があって町に戻ってきてしまっている。そして、火災に巻き込まれた。

「父親と一緒に避難しなかったんですか?」

「ええ。風臣君は町に侵入してきたすべての璞を浄化する為、最後まで町に残っていましたから」

「…………」

 それなら確かに父親の事が気になって、でも他の人には気づかれないように、とこっそり戻ってくることは出来るかもしれない。ただ、今となれば余計なことをしたな、と少々唾棄したくもなる。風遥の子どもならではの軽はずみな行動の結果、苦労したのは他ならぬ自分、ハクトだからだ。

「レヴァイセン達陽使のサポートもあり、浄化自体は問題なく行われたようです。

 ――ただ、そこから火災が発生するまでの数時間、神守町で何が起きていたのか……僕にも分からないのです」

「そうですか……」

 記憶と色は火災で消えるとは考えにくい。だからせめてその原因までたどり着ければよかったのだが、“空白の時間”における風遥の足取りが分からない事には無理そうだ。


 朝食を終え境内を歩きながら、13年前のその日について自分なりに整理する。

 まず、結界が損壊した事で、神守町が璞の大群に襲撃された。

 風臣と智秋、およびその陽使達はそれを浄化しつつ、住民を避難させた。

 そして最後に風臣が残った璞の浄化を行って、避難する、はずだった。

 ……しかし、浄化を終えたはずの風臣は真見町には現れず、そのまま行方不明となってしまった。

 かたや、父の安否を確認する為か神守町に戻ってきた風遥は、火災に巻き込まれた。色と記憶も、その時に失った。

(あるいは……逆、か?)

 ただもし火災の前に、璞に関連する「事故」が起きていたとすればどうだろうか――それによって、風臣は消息を絶ち、風遥は色と記憶を失ったのだとするならば……?

 すると、鳥居の向こうから歩いてくる狛犬の理を見つけ、眼鏡を押し上げてから近づく。

「見回り、終わったのか」

「はい。わざわざお出迎え頂き、恐縮です」

 そう言って裾に手を入れて一礼する陽使。その双眸がこちらを再び見たところで、静かに切り出す。 

「……なあ、レヴァイセン」

「はい」

 空白の時間に起きた何か、その答えを彼なら知っているだろうか。

「……13年前の事を智秋さんに聞いたんだが……璞の浄化が終わってから火事が起こるまで、何があったんだ?」

 そう問うとレヴァイセンは一瞬だけ目を見開いたが、直後には視線を外すように伏せられた。

「………申し訳ございません、風遥神主。

 私にも、その記憶がないのです」

「何だって……?」

 それは非難の物言いではなく、半ば呆然とした声音として発せられた。

「私はあの時師と共に損壊した結界を修復した後風臣先代と合流し、共に残党の浄化を行いました。

 その後風臣先代への負荷を考え、暫く休んでから真見町に向かう手筈だったのですが……そこから先の記憶が存在していません」

 まさかレヴァイセンまで当時の記憶が無いだなんて。その、あまりに出来過ぎた「喪失」に、少し顔を強張らせてしまう。 

「もしかすると、私は何者かの不意打ちを受けるなどして、意識を失っていたのかもしれません」

「そう、か……」

 そう言いつつも、理を不意打ちとは一体どんな状況なんだ? 胸中で唸っていると、レヴァイセンが鋭い目でこちらを見つめてきた。


「……風遥神主。本件について、1点申し伝えたい事がございます」


「何だ?」

「結界は、璞によって破壊されぬよう定期的に修復を行っています。そして損壊していた箇所は、つい先日補修を終えたばかりのもの。球体の璞の力程度では、いくら束になったところで破壊することは不可能です」

「……!?」

 今度はこちらが目を見開く番だった。説明を理解できなかったからではなく、その言葉が意味するところへの不穏さを感じ取ったからだ。

「真見神主含め住民たちは“自然現象の一環”として結界の損壊を捉えているようですが、私は“何者かによって故意に破壊された”のではないかと推測しています」

 そしてその不安は的中する。脳裏に浮かんだのはそう、妖艶な笑みを浮かべ『また会いましょう?』と風遥に向かい笑っていたあの璞で――……

「……まさか、あの女が……?」

 少し震える声で問えば、レヴァイセンは静かに首を横に振る。

「確証は持てません。ですが、それを成し得るだけの力を持つ璞を、私は黒兎の璞以外に知りません」

「っ……!!」

 反射的に自分を抱きしめるように腕を組む。もしその仮説が本当だとするなら、父親や、風遥の仇はあの璞になるという事だが……。

(一体、何のために……?)

 ざわざわと木々が揺れる。風遥の胸中を代弁するかのような冷たい風が、背筋を震わせながら吹き抜けていく。

 

 風臣の消息と風遥の消失について、繋がりそうで繋がらない。

 それどころかより複雑さを増してきて、真実が全て明るみになるのはまだまだ遠いと知らしめられたのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る