初日夜 理と記憶

 店に入る前から強い璞の気配を感じていた。それは人間と一体化しているが、理である自分から逃れることは出来ない。

 あとはそれが“誰”なのか、という事だったのだが、主が入ろうとしている部屋の中にいたのは幸か不幸か。開けられた襖の向こうの標的は、こちらを見た瞬間に目を逸らした。

 ……主はまだ“それ”に気づいていないので、人型に姿を変えてからその腕を掴む。

「風遥神主」

「レヴァイセン?」

「一番手前の左側に座られている男性、ハルイチ様より強い璞の気を感じます。浄化の許可を頂きたく」

「……!? 何言って……」

 人間と一体化した状態の璞の浄化を理が単体で行う場合、先代の時から神主への許可が必要だった。

 曰く、自分の一部となってしまった璞を無理矢理引きはがされるかのような精神的な苦痛が起こり、対象の精神への長期的な影響が懸念されるからだ。

 実際過去には、璞にかなり侵食された人間が理単体による浄化を受けた後、元の人格からは程遠い無気力状態になってしまった例も聞いている。

 反面、神主が当該の璞を浄化すれば対象への精神的被害は抑えられるが、神主本人への負担がかかってしまう。その反動の事を考えると、まだ浄化という行為に慣れていない主に任せるのは最善とは言えなかった。

「侵食が進み、対象の人間との同化が始まっているようです。この状態を放置することは推奨されません」

「………」

 なのでそう提案したのだが、主は相手を見つつも考え込むように口元に手を当て、暫し黙する。

 浄化行為自体は、璞の抵抗が無ければ一瞬で終わる。既にお互い捕捉しているが何もこちらに仕掛けてこないということは、理に対し抵抗はしてこないようだ。

 ならば逃走でもするつもりか? 対象の人間の運動能力もそこまで高くないはずなので、仮に逃げられたところで充分に優位は取れる。

「……智秋さんに相談させてくれ」

 以上より会食に支障をきたすような事にはならないと思うが、主の対応は慎重だった。

「承知しました。私は会食に同席は出来ないため、ここで控えております。

 何かありましたら、直ぐにお申し付けくださいませ」

 基本的に人間同士の取り決めに異種族である自分は関与しない。なので一旦光球に戻ったが、主が着座した時点でまた人型に戻した。

 光球状態の場合、視覚や聴覚と言った五感から得られる情報が減ってしまい、詳細な状況の把握には適さないからだ。

 そして対象の様子を窺うと、主を睨みつけていた……こちらへの警戒が薄くなっている。それほどに、神主に対しての敵意が強いらしい。

 奴が行動を起こすなら自分に対してではなく、主に対してか。いざとなれば主の許可なく強制的に浄化することも考え、警戒にあたる。

 “事前の許可”というのはあくまで人間との間に交わされているもので、それを破る事による理としてのペナルティは存在しないからだ。


 陽子として第一に優先すべきは主の命令ではなく、主の命そのもの。

 それと、理としての勤めだ。


「――こうして期待を寄せて下さっている皆さんに応えられるよう、精いっぱい勤めさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」

 そうして主の挨拶が終わった途端、それは本性を現した。机から身を乗り出し、主に向かい指を突きつける。

「……やっぱり偽物じゃないか、この化物め!」

 激情に璞が反応したか、はたまたそそのかした為か、その体を包むような黒い靄が一瞬だがはっきりと浮かび上がった。

 彼の本来の気性は穏やかなはずなのだが、暴言を吐く程には精神を荒らされてしまっているようだ。

「…………」

 主は俯き、相手に言われるままで何も反論しない。

 彼が主の事を“化物”と言う根拠は、外見だろうか。確かに主は肌の色も髪の毛も白く非常に珍しいらしいが、逆に言えばそれだけの事だ。

 獣の耳が生えているわけでも、植物のように花を咲かせるわけでも無く、まして姿かたちを変えられるわけでも無く、ようは化物と呼ばれるような要素は持ち合わせていない。

 なのに人間という生き物は、ただ平均から大きく外れているだけの存在を同胞と認めず、排除したがるきらいがある。

 それが、理からすると不思議で仕方がない。本質的には何も変わらないし、まして主の場合、それによって自分たちに危害が加わるわけでも無いと言うのに。

 明確な意図もなく排除しようとして、無意味な諍いが起こる。不合理だ。

 先から主が黙っているのも、いたずらに璞を刺激しないようにという事と、その“無意味さ”に気づいているからかもしれない。

「だからこいつは風遥君じゃない、偽物だ! この町を支配しようとしているんだ!」

 相手はそれをいいことによりエスカレートした物言いになっているが、偽物、と断言するのはあまりに不適切で、不快だ。

 偽物などではない。色が変わってしまっただけで、彼は神森風遥だ。人間には感知できない情報で、こちらはそれをはっきりと識別することができる。

 現に自分は風遥を待ち続けていた。彼以外の人間に反応し、再起動するはずがない。

 それを証明する記憶なら、いくらでも――……と思ったのだが、思うような反応が内部から起こらず、首をひねる。

(……?)

 ――13年前、あるいはそれ以前の風遥の記憶を引き出そうとして、その情報が何も上がってこない。

 当時の風遥の外見の特徴や性格など、基本的なことを文章で列挙することは可能なのだが、それを裏付ける映像や音声が出てこないのだ。

 だから、風遥を待つ、と決めた時の証拠となるような細かなやりとりや、その時見ていた情景が分からない。

(何故……?)

 原因は不明だが、心当たりがあるとするなら再起動直後。

 13年という長期にわたり休眠状態だったので、機能面などの確認も兼ね、一度領域に戻って“マザー”に再調整してもらったのだ。

 だからその際に消去された可能性があるが、しかしそれはあり得ない。マザーは、個々の理の記憶情報を直接操作することは無いからだ。

 まして、当人が自分の状態を把握出来ていないとなれば仕事にも悪影響が出かねないので、仮に消去するにしても自分との同意の下のはずだ。

 なので何かの間違いだと、再度記憶を引っ張り上げようとするが、やはり無反応。

「とにかく、私はこの化物を認めないからな!!」

 不可解な現象に対する「何故」のループに陥る直前、机を叩きつける音で意識が主への警戒に戻った。

「あっ、待て! 待てって、ハルイチさん!!」

「風遥君すまねえ! 皆、先に始めててくれ!!」

 ドンドンと大きな足音をわざとらしく立て出ていくハルイチと、それを追う氏子2名……ミシマとタカナシ。

 影に潜むようにしていたのでこちらには気づかなかったようだ。

 主の様子も気になるが、ひとまず璞を追う事を優先し、3名の後をついていく。

 店を出たところで未だ感情的に何かを叫んでいるハルイチと、それを宥めようとしているミシマ。ハルイチが手を振り上げたので、ミシマに振り下ろされる前にとその手首を掴んだ。

「大丈夫ですか」

 静かに問えば、ハルイチがあからさまにギョッとしてこちらを見、力強く手を振り払う。そして大きな舌打ちをしてから、走って逃げて行った。

「ミシマ様、タカナシ様。ハルイチ様ですが、璞に侵食されています」

 それを追うか否か悩む様子の2人にそう告げると、氏子たちは揃って溜息をつく。

「あぁ……」

「やっぱりそうか……」

 人間の気分の浮き沈みというのは個性がある。故にそれが個性の範囲内なのか、璞によってその振れ幅を大きくさせられているのか、その見極めは難しいらしい。

 ただ、璞のせいだとはっきりと言われた事でか、2人の表情は寧ろいくらか晴れているようにも見えた。

「後を追って、浄化しましょうか?」

 そろそろ神主も智秋に相談している頃合いだろう。今からなら十分追いつける距離だし、何より主要な氏子の居所については全員特定済。先代と何度となく伺っているのだから当然だが。

「いや、明日の儀式に連れ出すさ。そうすりゃ、風遥君がなんとかしてくれるだろ?」

「一晩でもっとおかしくなることはないもんな?」

「……それもそうですね」

 2人の発言に一つ頷く。確かに、明日の儀式は浄化も兼ねている。その際自分も神主のサポートを行うので、主が浄化を行うにあたりにかかる負担も減らせるだろう。

「ハルイチさんは行きたがらないだろうけどよ、氏子代表って以上は絶対出席しないとだからな」

「ああ。ちゃんと俺達が連れてくるからよ、安心してくれな」

「はい、よろしくお願いします」

 それは必要以上に事を荒げない、人間らしい解決案だと思った。こちらからすれば浄化さえ行えればその方法は何だっていいので、それに同意する。

「んじゃあ戻るか。レヴァイセンも来るか?」 

「いえ。私はハルイチ様がきちんとご自宅に着かれたかを確認した後、そのまま見回りを行います」

 主と氏子たちの交流に誘われたが、そこは辞退する。何しろまもなく20時、浄化に適した成長具合の璞を探す時間だ。

「そっか、頼んだぜ」

「また明日な、レヴァイセン」

「はい」

 そう言って店内に戻っていく2人とは対照的に、レヴァイセンは夜道へと駆けて行く。


 主のそれまで、空白の13年間……霜月ハクトとしてどのように過ごしてきたのか、全く気にならないかといえば、そうではない。

 知ったところで仕事の役に立つことは無いだろうが、主の事を知る事そのものは無意味ではないと思うからだ。

 しかし『理と人間の関係は、あくまで利害の一致における協力関係である』と師に強く言われていたから、それを守らなければならない。

(私は理。狭間に巣食う全ての璞を浄化することがその使命……)


 人間の世界に、理は必要以上に踏み込んではならないのだ――決して。

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