初日夜 歓迎と拒絶
約束の時間が近づいてきた途端にそわそわしてきた。町並みを見下ろしていても落ち着かない。智秋が迎えに来るのを待つ間ですら、何度細い溜息をついたか分からない。
「風遥神主、恐れ入りますが溜息の回数がここ10分で20回を越えています。これは精神が不安定故のものかと思われますが、大丈夫ですか?」
「……大丈夫に見えるか」
そこに、レヴァイセンが無遠慮な内容で話しかけてきたので少し睨み気味に答えるも、相手は眉一つ動かさず「いいえ」と一言だけ返してくるものだからなんだか釈然としない。
「寧ろあんたに頼みたいぐらいだ」
「大変申し訳ございませんが、それは出来かねます」
「だろうな、分かってる」
そこまで冷静ならいっそのこと、と軽い冗談のつもりで言ったのだが当然バッサリと断られ、思わず嫌味な口調がついて出る。
「……? では、何故私に頼もうとしたのですか?」
「…………」
が、冗談の解説を真剣に求められるのだからますます煽られる結果となり、口にしたことを少し後悔しつつ溜息をまた一つ。
「風遥神主、今ので溜息の回数が……」
「うるさい。そのカウントでますます不安定になる」
「そうですか。失礼いたしました」
そんなやり取りしている合間に、階段下に智秋の車が停まったのでお互いそちらに注目する。車からは智秋ともう一人、着物姿の女性が降りてきた。
「……来た」
「そのようですね。あちらの方は……」
「いい。多分、分かる」
「そうですか」
智秋が“誰か”を連れてくる事については何となく予想出来ていたので、こちらも出迎えるべく階段を降りる。
「迎え、ありがとうございます」
「いえいえ、お待たせしました。それで、この方が――」
智秋に促され、女性は一歩前に出る。年の頃は智秋よりも上、ただ和装を着こなすその立ち姿からは気品が感じられ、実年齢より若く見えていそうだ。
「あ……」
そして目が合って微笑まれた瞬間、予想は確信に変わる――この柔らかい雰囲気は、写真の彼とよく似ているから――
「神森香月です。……お帰りなさい、風遥」
「……は、い」
彼女が、風遥の祖母。
胸中で呟いたそれはしかし頭での理解にとどまり、腹の中から出たものではない。
このように冷静に観察している様子は、やはり初対面の人に対しての行動であり……消えている過去と結びつくような心の動きは、無く……それを信じたくなくて、咄嗟に俯く事で逃げた。
風遥の記憶の海は、あまりにも静か。親族と再会という太い釣り針を垂らしてもなおも何も引っかからないし、苛立ち混じりの強風が吹けども全く波立たない。
真っ先に逃げた目が、どう接すれば良いのか分からなくて泳いでいる。
(何で……)
13年と言う期間が長すぎて、当時と容姿が異なっているであろうから思い出せない? それとも、もう根底から失われてしまっている……? いっそ自分の頭をぶん殴ってみようか? ショックでも与えれば何か出てくるかもしれないが、今目の前で行うのは不審者が過ぎるのでその衝動は抑えた。
「…………」
……そうしたこの状況をこれから祖母達に伝えなければならないわけだが、その反応を考えると声に出すのが憚られ、結果としてしばしの沈黙になってしまう。
「そう緊張しなくて大丈夫……って言っても、難しいわよね」
ただ、優しい声に少し落ち着きを取り戻せたので、俯いた時にずれた眼鏡を押し上げてから、恐る恐る息を吸い込み、言葉を紡ぐ。
「……すみません、何も、思い出せなくて……」
絶対に落胆させてしまう――その罪悪感から、身体が強張った。
「いいのよ、無理に思い出そうとしなくても」
「え……?」
しかしそんな様子は微塵も感じられない穏やかなトーンに思わず見上げると、上品に微笑んだ”祖母”が、風遥に一歩近づいた。
「あなたが今、ここにいる。それだけでいいの」
「………!」
それは、忘却に静まり返る心の水面に落とされた一滴の雫。波紋のように広がるのは動揺なのだが、不思議と心地よい。
「あなたはあのままハクトとして生きていくものだとばかり思っていたし、それでも良いと思っていたわ」
それがあなたにとっての幸せなら――そう言う香月の表情は穏やかで、心底から孫の幸せを第一に考えているのが伝わってくる。
「だから、あなたはあなたのままで良いの。無理してまで、過去の風遥に戻らなくていいのよ」
ハクトとも呼ばず、風遥とも言わないあたり、名前も過去も関係ない、自分自身を見つめてくれているのが分かる。
(俺は、俺のままで……)
自分に向けられる、異端な白に対する人々のネガティブな反応に一通り慣れた後は、いっそのことこちらから窺ってやろうと相手の表情を積極的に観察するようになった。そんな迎撃のおかげか、今は対面している相手の些細な反応までも逃さず気づくことが多くなった。
にもかかわらず、香月からはネガティブな反応が一切見られなかった。それどころか、自分の本心が望む言葉を知っているかのように、存在そのものを肯定し、まるっと包み込んでくれるような安心感を与えてくれている。
「今、目の前にいるあなたが、私達にとっての風遥なのよ。ね?」
ハクトをずっと影ながら支援し、見守ってきてくれていた祖母。彼女はきっと、“ハクト”ですら風遥の過去として受け入れてくれている。何も覚えていない自分を、孫として思う事に苦を感じていない。
「……はい」
それが嬉しくて、ハクト、いや風遥は少し照れたように笑う。ただ、血色が無いので頬が染まることは無い。
「じゃあ、行きましょうか」
それでも緊張はすっかりほぐれ、身も心も温かくなっていた。
これならどうにかなりそうだ、そう思っていたのだが――
場所は割烹料理屋のようで、ライトに照らされた人工庭が高級店の雰囲気を醸し出している。案内された個室の襖を女将が開けた瞬間、それまで中から聞こえていた雑談の音が一瞬で消えてこちらも一瞬強張った。
「お待たせしました」
女将の先導で先に智秋と香月が入っていくのを見て深呼吸してから入ろうとしたのだが、ふと腕を掴まれたので止まる。
「風遥神主」
「レヴァイセン?」
車に乗ってからずっと光球状態だったレヴァイセンが、いつの間にか人型の姿になっていた。障子の影に隠れるように、こちらと部屋の中を交互にちらと窺っている。
「一番手前の左側に座られている男性、ハルイチ様より強い璞の気を感じます。浄化の許可を頂きたく」
「……!? 何言って……」
思わずそちらの方――ハルイチというらしい壮年の男性――を見れば、確かに――何か、強烈な違和感がある。一人だけ漂わせているオーラが暗く、周囲から明らかに浮いているのだ。が、璞の姿は見当たらない。
「侵食が進み、対象の人間との同化が始まっているようです。この状態を放置することは推奨されません」
「………」
先回りするようにそう言われ状況の把握は出来た。が、会食の場においての雰囲気を壊すことになる事になるのは間違いなく、風遥の独断でそれを決める事は出来ない。大事な初対面の日、出来れば穏便に済ませたいのだ。
「……智秋さんに相談させてくれ」
「承知しました。私は会食に同席は出来ないため、ここで控えております。
何かありましたら、直ぐにお申し付けくださいませ」
「分かった」
「では」
そう言うと、レヴァイセンは光球に変化した。
部屋に入れば、複数の人間の視線が一気に風遥に向けられた。自分の親の年頃から祖父母クラスまでと幅広い9人の男女に凝視されながら着座する。その視界の中には、ひとり明確に風遥を睨む男性の姿も入っている。
それに意識を向けないようにするためにも智秋の方を見れば、「どうぞ」と風遥を促すように一つ頷いたので、一礼しながら、考えてきた挨拶の言葉を思い起こす。
「神森風遥、です。今日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます」
緊張気味だからか思っていたよりボソッとした出だしになってしまったが、それを見守る視線は温かい。……ただ、視野の端から敵意のような圧を感じたので、それに圧されぬよう一度深呼吸して声の通りを良くしようと試みる。
「……ただ、正直、まだこの名前にはしっくり来てなくて……風遥という名前を、お借りしている、という感覚の方が近いです。
……神器は継承しましたが、まだ、何も思い出せなくて……申し訳ないです」
そう言いつつちらりと様子を窺うと、うんうん頷く人や、神妙な面持ちで腕を組む人、口元に手を当てる人など、基本的に同情、あるいは把握済、というリアクションが多そうで、だからこそ、明らかな舌打ちの音はよく聞こえた。
「ですので、神主の仕事についても分からないことだらけですし、皆さんにもたくさんご迷惑をおかけするかと思います。
それでも、こうして期待を寄せて下さっている皆さんに応えられるよう、精いっぱい勤めさせていただきます」
挨拶としては、現状の精一杯を正直に伝えると言う事でまとまった。綺麗な言葉はあまり使えなかったが、真剣に取り組もうとしている気持ちは乗せられた、はずだ。
「どうぞよろしくお願いいたします」
思い付きで余計なことを話し失敗してしまう前に、と手短に〆てもう一度深々と頭を下げる。パラパラとした拍手がすぐにまとまっていき労いの音となる。概ね第一印象は大丈夫そうだとひとまずほっと胸をなでおろした、直後。
「……やっぱり偽物じゃないか、この化物め!」
歓迎と安堵の余韻を一転させる一言が、風遥の耳を突き抜ける。
「え?」
「何を言ってるんだ、ハルイチさん……」
先に戸惑いの声を上げたのは氏子達だった。悲しいかな――風遥、否ハクトには、その手の台詞が飛んでくる予想が出来ていたからだ。
「継承したのに何一つ思い出せないなんて、おかしいだろう!」
とは言え敵意むき出しの言葉を浴びせられるのは久しぶりなので押し黙る。相手に視線は一切向けず、俯くことで逃げ、もとい聞き流しの姿勢を取る。レヴァイセンの言う通り璞がついているのなら、反論したところでまともな話し合いになるはずが無いからだ。
「ちょっと! 何言ってんだい!」
「思い出せなくて一番辛いのは風遥君だろう、それを責めてどうするんだ!」
璞に気づかない氏子たちは風遥をフォローしようとしてくれているが、案の定相手は全く話を聞くことは無く激昂する。
「だからこいつは風遥君じゃない、偽物だ! この町を支配しようとしているんだ!」
「そんなことあるわけないじゃないか!」
「やだもう、“田舎町を支配”だなんて、変なこと言わないでちょうだいよ」
その上突飛な事を真顔で言い放つ様子に氏子たちは怒りというよりも寧ろ困惑しているようだが、それは風遥も同じ。胸中で即座に「あり得ん」と呆れ混じりのツッコミが入ったが、声に出そうとは微塵も思わない。
「大体、そもそも他の人じゃ継承自体出来ないはずでしょう?」
「そんなのいくらでも嘘がつけるだろう!? 私らに璞は見えないんだからな!!」
「何言ってんだ! そもそも俺らは神社にすら入れなかったじゃないか!」
「そうよ、この子に至っては記憶が無い状態でも入れたんだから、やっぱりこの子は風遥君なのよ!」
「そうだそうだ!」
「うるさい!!」
「大体急にどうしたんだ、昨日までそんなそぶり見せてなかったじゃないか!」
「そんなに気に入らないなら、今日だって来なければ良かったでしょう!?」
「うるさい、うるさい!!」
徐々に口論になっていく大人の会話を、どこか他人事のように聞いている。
……強い負の感情のままに放たれる言葉をいちいち真に受けると、心が耐え切れなくなるのは過去の自分が立証済み。自分の心を守るためなら、他人事のように流す事も厭わない。
「とにかく、私はこの化物を認めないからな!!」
やがて、璞に支配された人間は持論が支持されず劣勢になったところで机をダンと叩き、よくある捨て台詞を吐き荒々しく部屋を出ていく。
「あっ、待て! 待てって、ハルイチさん!!」
「風遥君すまねえ! 皆、先に始めててくれ!!」
それを2人の男性氏子が追いかけて行って、場は収まった。
しかし嵐が去った後のような静けさに氏子たちの溜息が乗って空気は重苦しく、気づけば部屋の片隅に球体の璞が数匹出現していた。
「どうして……? ごめんなさいね、風遥……」
傷心した様子の香月の声に、即座に首を横に振って否定する。
「大丈夫です。
……こういうのは、慣れてます」
「でも、どうして……」
困ったように出口を見つめ呟く氏子達に、智秋が割って入るように口を開いた。
「その件ですが、璞の影響では無いでしょうか」
「え!?」
「なんだって!?」
氏子たちの視線が智秋へ向けられると、智秋はゆっくりと一つ頷く。
「璞は本能的に浄化の力を避けますので、神主である風遥君への攻撃性が増してしまったのでしょう。
その上、彼につく璞の姿が見えませんでした。つまり同化が見られますので、かなり侵食を受けていたようですね」
レヴァイセンが先ほど言った通りの状況は、智秋も把握していたようだった。ずっと静観していたのもそのためだろう。
「そりゃそうなるか……あんなに大人しい人なのにな……」
「確かに最近様子がおかしいとは思ってたわ……」
「そうそう、全然出かけなくなっちゃって……」
すると、口々に心当たりを述べる氏子たち。すんなり受け入れている辺り、やはり璞に対する理解が深い。
「災難だったなあ、風遥君」
「嫌な思いさせちゃって、申し訳ないわ」
「いえ……寧ろ皆さんは、疑わないのですか?」
氏子たちを見ながら問いかける。風遥を偽物と唾棄した彼の言い分も一理あると言えばそうなのだ。記憶が戻らなかった以上、自分は住民から見れば全く素性の分からない人間。支配とまではいかずとも、先日ミカゲと話した時のようにその立場を悪用する事も出来ないことは無い、のだ。
だから、そんな自分を無条件に受け入れ歓迎しろと言われて、頷けなくても仕方ないのだ。
しかしそれは一同が全員、即座に否定の態度を示した。
「疑うもんか! あの光の柱を見れば分かる」
「光の柱……?」
首をかしげると、その氏子は興奮気味に笑って両手を掲げたかと思えば、すーっと、柱を想起させるかのような動きで手を降ろす。
「ああ。あの日、神守神社に向かって空から光の柱が降りてきたのを見たんだ。
真っ先に思ったよ――風遥君が、神主が帰ってきたんだ、ってな!」
「……!」
それがいつなのか分からないが、恐らくは風遥が神社を目覚めさせた時だろうか。
光の風が境内を吹き抜けていったあの時、外側からはそのような現象として見えていたらしい。
「そうよぉ! それで、慌てて神社に行ったら、智秋さんに入っちゃ駄目だって言われちゃってねえ……」
「すみませんね、僕自身も少々混乱していましたから」
「まぁその判断は間違ってなかったわよね、みんな集まってきちゃったんだもの」
「押しかけたら大変なことになってただろうなぁ」
苦笑する智秋と、しみじみと呟く氏子たち。明るい話題になった事でか、彼らに笑顔が見られるようになった。
(そんなことが……)
あの日ハクトは智秋にしか会っていなかったが、その裏で智秋が人払いをしていたことを今知った。……その気遣いが無ければ、自分は今ここにはいなかったかもしれない。
「それに、私達だって“ハクト君”の事も知ってるし……」
「智秋さんが都度教えてくれてたからなぁ、元気でやってるなら、それで良いって思ってたさ」
……そう言えば、記憶を失った風遥についての話し合いは氏子たちと行われたと智秋は言っていた。彼らもまた、香月と同じように、自分の事を見守ってくれていたのか。
「ハルイチさんもそう言ってたのよ……だから、さっきのは、本心ではないはずなの……」
会食に相応しい話題はしかし結局先の出来事に繋がってしまった。氏子の1人が悲し気にそう言うと、他の氏子たちの表情も曇っていく。
「……話に聞くのと実際に会うのではまた印象は違うと思います。
皆さんに認めてもらえるように、頑張りますね」
風遥は謙虚な微笑みを張り付けて言うも、実のところは若干の自虐。本音としては別に無理して認めてもらわなくても良いのだが、そう言っておいた方が印象が良くなるので言った、それだけのこと。
奇抜な見かけによる印象の不利を、絵にかいたような態度の良さでもって打ち消していく。特に大人に対してはそれが有効だというのを知っている。
「風遥。もう一度言うけれど――目の前にいるあなたが、私達にとっての風遥なの。
あなたはあなたのままでいい。だから、変に気負わないでね」
けれどそれを見透かし、暗に咎めるような香月の一言に背筋が伸びる。
「……はい」
ただその声は優しく、一本の柱のように風遥の心の支えになっていくのを自覚した。
智秋とは違った頼もしさを感じるのは、彼女が風遥と血の繋がりがある人間だから? 記憶以外でのつながりを、感じられたから?
……分からない。けれど、味方が一人増えたと、そう思えたのだ。
その後は懐石料理を楽しみながら、香月や氏子たちの話を聞いて過ごした。その時残った氏子たちが軽く自己紹介してくれたのだが、元々人の名前を覚えるのが苦手なこともあり、今日の時点では全く覚えられそうになかった。
ただ一人――ハルイチ、と呼ばれていた男性を除いては。
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