初日昼 追憶と理想

「お疲れさまでした。問題は無さそうですかね?」

「はい」

 レヴァイセンとの契約を終えた風遥を、智秋が微笑んで出迎える。

「では、そろそろお昼にしましょうか」

 そう言われるまま、居所の和室に移動する。智秋はいつの間にか弁当とペットボトルのお茶を買っていたようで、それが机の上に置かれている。

「お祝い兼ねて、神守町で有名なお弁当屋さんで一番高いお弁当を頼んでみました。お口に合うと良いのですが」

「ありがとうございます。嫌いな物は無いので、大丈夫かと思います」

「そうですか、それは素晴らしいです」

 智秋と向かい合わせに座る。言葉通りの豪華な弁当のおかずは肉も魚も野菜もバランスよく多品種で目移りしそうだ。しかもご飯が白だけじゃなく雑穀混じりのようで、赤飯でも無いのにほんのりピンク色のご飯を食べるのは初めてだ。

 レヴァイセンは風遥の隣に座ったが、特に彼は何かを食べたり飲んだりする様子はなさそうだ。

「「いただきます」」

「…………」

 なのでじっとレヴァイセンに見つめられながら弁当を食べる事になり、視界の端の真顔が気になって仕方ない。せめて何か話題を振ってくれたらいいのだが、本当に見つめているだけなのだ。

 智秋も食事中はあまり話さないようで、静かな食卓には慣れていなくて少々気まずい。ただ弁当自体は美味しく、それを味わう事に集中することで段々と気にならなくなっていった。

 そして「ごちそうさまでした」と完食した弁当の容器を片づけたところで、智秋が次の予定について告げる。

「この後ですが、夕方から会食があります。

 人前に出ることを良しとしない貴方としては、いきなり大変気乗りのしない事ですみませんが……」

 それは神主と言う職でなくても、新天地に赴く以上は大なり小なり決して避けられない事。特に神守町は、地域や住民同士のつながりが深そうな町なので尚の事。

「……大丈夫です。誰とですか?」

 なので十分想像は出来ていたが、いざ言われると声のテンションが下がってしまうのは致し方ない。

「町内の代表10名、うち一人は……貴方の、お祖母さんです」

「……!」

 ただ、その相手には小さく目を見開く。予想以上の人数に加え、風遥の親族との再会……本来であれば嬉しい事のはずなのだが、状況が状況のため失礼してしまわないかのプレッシャーの方が強かった。

「今夜の会食と、明日の儀式。この2点が、神守町が代々行ってきている“就任式”です。

 会食は僕が、儀式はレヴァイセンがフォローさせて頂きますのでそこは安心してくださいね」

 そう言って智秋は穏やかに微笑むが、こちらの表情はまだ晴れない。

「……会食は、何を話せばいいのでしょうか」

「就任の挨拶のようなものを一言、あとは交流を兼ねた雑談ですかね。ただ、そこまで堅苦しい席ではないのでそう身構えなくても大丈夫ですよ」

(……とはいうものの、だな……)

 どうしたものか、と胸中で唸る。思えば友人は堂々と卒業の挨拶を述べていたが、それは事前の準備が念入りだったからこそ。半日満たずで考えられるかはかなり怪しい。

「貴方が記憶喪失な事と、道崎市で生活していたことは全員知っています。ただ、だからこそ、霜月ハクトとして生きていた貴方が、それを捨てて神森風遥として生きることにした理由は知りたがっているかもしれませんね」

「理由、ですか……」

 直接的な理由は「例の璞によって窮地に追いやられた自分とレヴァイセンを救うため半ばやむを得ず」なのだが「自分が本当に風遥かどうか確かめるため」というのが妥当か。

「……正直に話して、大丈夫なのでしょうか……あの璞とか……」

 なにせ、あんな恐ろしい存在が自分達の町にいると知ったら怖がられてしまうに違いない。それに、最終的な意思決定までの流れが意図しないものだっただけで、元々はその為に神守町に行ってみると決めたので嘘はついていない。

「黒兎の璞ですか? あれについては全員知っていますので、問題ないかと」

「そうなんですか……?」

 が、智秋は割とあっけらかんとそう言ってきて呆気にとられる。

「彼らからすると幽霊に近い認識のようですね。あの璞は、一般人の前に姿を見せる事はほぼ無いようなのでなおのこと」

「……ああ、なるほど」

 ただ、その説明で、すんなりと納得できた。確かに駅前で佇んでいる様子は幽霊そのものに見えたのだから。

 ……もっとも、住民たちからすると、ハクトも幽霊に見えていたのかもしれないが……。



 その後智秋は一旦真見町に戻ったため、夕方まで自由時間となった。レヴァイセンは境内で控えているとのことで姿はなく、自分は一人“神主の自室”で横たわっている。

 馴染みのない場所で一人になったことで、風遥がハクトに戻ったような感覚になる。それこそひとり旅行にでも来たかのような浮ついた心持ちにもなるが、直ぐに現実に引き戻される。

 ここはいずれ、風遥の拠点として馴染んでいくのだろうか。

「………」

 横になったまま部屋全体を見渡す。シンプルな作りの和室そのものに窓は無いが、縁側からの日差しを良く取り込めるように襖は下半分がガラス張りとなっており昼間なら明るさは十分にある。

 そしてここは神社内だからか璞の姿は無く、畳の爽やかな匂いに清浄な空気を感じられ非常に快適。読書の一つでもしたくなる。

 室内の家具類は床の間に祭壇がある事は特殊だが他は最低限で、壁に時計と、部屋の片隅に文机があるだけ。その横の鞄を見て、荷解きでもしようかとゆっくりと身を起こす。

 まず押入れを開ければ上段に衣装ケースが2セットあり、1セットは既に和服が入っていた。もう1セットは空っぽだったので、そこに洋服の類を収納。後は細々としたものを入れようと、目をつけたのは文机についている引き出し。しかし一番上の引き出しを開けて驚く。

「……!」

 そこには既に物が入っていたのだ――前の使い主の私物が、そのまま残されている。つまり、これらは……

(風遥の、父親の……?)

 今まで全く意識した事の無かった肉親の存在だが、認知した以上はどういった人物か気になってしまうので、まじまじとそれを見つめる。

「…………」

 一番上は文房具の類。整然と並べられているあたり、几帳面な人だったのかもしれない。

 真ん中には何かの儀式に使われていそうな八角のお皿やお香が複数と、今時では珍しい二つ折りの携帯電話とその充電器であろうコード類が入ったビニール袋。

 そして一番下には……ボタン留めされた何かの布ケース。開けてみれば、神森風遥名義の診察券が複数と、表紙に『母子手帳』と書かれた小さなノート。

 そこの両親の名前を書く欄には、整った手書きの字で『神森風臣』『神森こはる』と書かれている。

「……これは……」

 風遥の両親の名前――静かに逸る気持ちそのままに更にケースを調べると、別のポケットから写真が2枚出てきた。この部屋で赤子を腕に抱いている男性の写真と、神社の境内を背景にした若い男女の写真。

 ……それが、神森一家の写真であるというのは、誰の目に見ても明らかだった。

(この人たちが……父さんと、母さん……)

 赤子の写真の下部には『2月14日 風遥誕生 3090g』と母子手帳と同じ筆跡で記されている。抱く父親、風臣の年頃は恐らく30代前半、写真越しでも伝わってくるのは穏和さ。濃茶の長髪を後ろで上げてひとつに束ね、その雰囲気によく似合う白斑眼鏡をかけている。優しげな微笑は、まるで母親のようにも見えるのだから不思議だ。

 もう1枚、両親だけの写真はどちらも和服を着ており、特にこはるの着飾り具合からして結婚式の写真のようだ。上げた髪の毛が白無垢に隠れてしまっているので本来のこはるの髪型などは分からないが、2人の幸せそうな笑顔は、見ているこちらの気持ちも穏やかにしていく。

(……思い出せない)

 しかし、穏やかにはなるが、反面曇っていく。自分の生みの両親の姿を見ても、記憶が揺さぶられる気配が無いからだ。けれど、心は不思議と温かくなっていく。その心の反応からして、この2人は自分の本当の親であってほしいと思ったし、きっとそうなのだろうと思えた。

 たった2枚の写真で風遥の両親の事が急に身近に感じられてしまったが、これ以上の情報を得ることは出来ず何とも言えない寂しさが募る。


 ――もし、2人が生きていたら……“俺”は、風遥のままでいられたのだろうか――……


 消えてしまった記憶の向こうに、ありもしない未来へと思いを馳せる。せめて、もっと彼らの事を知ることは出来ないだろうか……。

「……あ」

 そうしてしばしの感傷に浸っていたがふと思い出して立ち上がる。いるではないか、先代をよく知る人物が直ぐそこに! ひとまず私物類は引き出しに同居させてもらって、風遥は外に出る。

 日が少し傾き風が強くなってきた中、歩きながら探すも姿は見えない。

「レヴァイセン! どこだ?」

「こちらに、風遥神主」

 なので空間に問うと早速レヴァイセンが目の前に現れる。光球状態で近づいてきていたのかもしれない。

「なあ、風遥の父親はどんな人だったんだ? 教えてくれないか」

 単刀直入に聞いてみれば、相手はその質問に至る経緯については全く気にならないようでこくんと一つ頷いて。

「風臣様は聡明で温和なお方でした。神主としての力量も十分で、町の人たちからも慕われておりました。私が師に叱責された時も、優しくフォローしてくださいました。

 風遥神主の事は、“風遥は私の大切な宝物なんだ”と教えてくださいました」

「風遥の母親は?」

「こはる様は快活で意志がお強い方でした。誰にでも分け隔てなく接するところは風臣様と同じで、師や私に対しても友好的に接してくれました。御病気が悪化されても入院はせず、最期まで風臣様のお傍におられました。

 ……風遥様がお生まれになられた時には亡くなられておりましたので、風遥様に対して何を思っていたかは不明です」

「そうか……」

 まずはそう端的に述べてくれたのはありがたいが、さてそこからどうやって具体的な事を聞き出すべきか。最適な質問を考えようとして、先にレヴァイセンが口を開いた。

「……さて、14時になりましたので、一度見回りに向かおうと思います。1時間ほど不在にしますが、よろしいでしょうか?」

 と、仕事をする旨を言われたので、素直にそれに応じることにする。

「分かった。ありがとうな」

「お役に立てたなら何よりです。それでは」

 そう言ってレヴァイセンは姿を消し、光球となって外に出て行った。

 風遥はそのまま自室に戻る。外に出ると目立つので今日のところは境内に留まっておいた方が良いと智秋に言われていたのもあるからだ。

 文机の前に座り、改めて写真を眺める。ただ悲しいかな、相変わらず何も思い出せない。心がざわつく様子もなく、他人事のように凪が続いている。

 ……そこに写っている赤子は、自分。かつて、神守町の未来を背負っていた……

「かざはる、か……」

 ぽつりと呟く。この名前は恐らく、両親の名前をそれぞれもらってつけられたのだろう。しかしあくまで推測しか出来ず、確信が得られないのは想像以上にもどかしい事だった。

 いつか思い出せるのだろうか――過去に向けられていたはずの、温かな愛の数々や――それを元に今、周囲から求められているであろう“理想像”としての風遥を。

(……聞いてみるか)

 まずはこれから会う祖母に、神森家のことを詳しく聞いてみようと思った。

 思い出せないのなら、知っていく……ハクトが早く風遥になるには、そうするしかないのだ。

 それに、生身の親族を目の前にすれば何か思い出せるかもしれない……そんな仄かな期待も寄せつつ、あいさつ文を考える。けれどもしっくりした文章にはならないまま、時間だけが過ぎて行った。

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