二章 新人同士の奮闘記録
初日朝 説明と契約
神守神社は
その自然に馴染むようにか鳥居の色は木の色そのままで、本殿の屋根の色は少しくすんだ緑青色。また、その景観の良さからか、鳥居を挟むように木のベンチが1台ずつ置かれ町や山を見られるようになっている。
今は初めて足を踏み入れた時の荒廃ぶりから一転、静かでどこか厳かな雰囲気だが、温かい日差しと優しい風が歓迎を表しているようで心地よい。
「貴方が戻って来るのに合わせて、町民の皆さんが清掃活動をしてくれたようです。僕も少しながらお手伝いさせて頂きました」
「そうですか。それで……」
参道の石畳の両脇は枯草色の芝生が広がっているが、背丈のある雑草は殆どないのはその為か。ただ先日風遥が目覚めさせた時はもっと草が若々しかったと思うし、芝生以外も全体的に野性味があったはずだったが……今はすっかり町に馴染んだ様相になっているあたり、あれはあの一瞬だけの幻覚のようなものだったのかもしれない。
「神主としての最初の仕事が大清掃、というわけにはいかないですからね」
「……恐縮です」
くすりと笑う智秋に、こちらはやや委縮。町の人たちが積極的に協力してくれるというのはありがたいが、一方で期待されているという事でもある。そのことに、プレッシャーを感じずにはいられない。
細く息をつきつつ狛犬の像の横に来た時、レヴァイセンが右側の狛犬の像を示した。
「私のこの宿り場も、綺麗にしていただきました」
見れば確かに左右共に磨かれており、白磁色が映えている。
「そうか、良かったな」
「はい」
「……レヴァイセン達理は、手入れの行き届いた石像や生命力の強い木を寝床としているんですよ」
「なるほど」
智秋の補足に頷くも思う――あの時見たほのかな輝きを纏っていた時の方が「命が宿っている」というに相応しい美しさだったな、と。周囲が死んだ空間だったから、よりそう思うのかもしれないが。
(何だか、別次元の場所にいたみたいだな)
そんなことを思いつつ、近づいてきた本殿を見上げる。その前には数段の石の階段があり、右側に獅子の像が控え、左側には灯篭が置かれている。この二つの石像も、しっかりと磨かれていた。
「それで、神主の“寝床”ですが……」
ただそこを進むことはせず、別の建物に寄っていく智秋。その入口には『社務所』と看板がかかっており、渡り廊下を挟んで拝殿と一続きになっているようだ。
「……こちらです。今日からこの建物が、貴方の住まいになります」
「分かりました」
一人暮らしには明らかに広すぎる平屋を、智秋が開錠して中に入る。
「玄関から入って左側が社務所、右側が居所です。それで、この部屋が――……」
と近い順から自宅部分を案内される。神社らしい和の雰囲気を漂わせている外見だが、キッチンやダイニングは意外にも洋室で、お風呂やトイレも現代的で綺麗だ。
縁側沿いには和室が2部屋。主に客間として利用していたらしい広い部屋と、床の間に小さな祭壇が置かれた8畳間。
「この部屋が神主の自室としては最適かと思います」
「そうですね」
この8畳間が、新しい自室。部屋は鮮やかな緑の畳が敷き詰められていて、爽やかな香りがする。その隅には引き出し付きの文机があったので、その傍らに鞄を置いた。
「……では、早速神主の勤めを始めましょうか。こちらへ」
「はい」
自室が分かったところで一息……と言うわけにはいかないようで、今度は社務所の案内を簡単にされ、そのまま渡り廊下を通って本殿に入る。
あの時悪態をついた祭壇や神具はそのまま、綺麗に整った空間の前で立ち止まる。
「……それで、今は神主としての“力”は感じますか?」
「ええ、一応……さっき入口で、強い風を受けた時に……」
それをどう証明すればいいのか分からないので「あくまで体感でですが」と添える。少し自信なさげな回答にしかし智秋は微笑んで一つ頷いた。
「やはりお名前の通り、風との親和性が高いようですね。
では、神器との意思疎通を兼ねて……僕に向かって微風を吹かせてみましょうか」
「……そんなことが出来るんですか?」
「ええ。イメージしてみて下さい、きっと応えてくれるはずですよ」
さらっとした説明はまるでチュートリアルを受けているかのようだが、そんな簡単にできるとは思えない。確かに長らく閉ざされていた神社の穢れを祓ったのは自分だが、あれは神器に指示されてやったようなもの。それとも、また指示のようなものがあるのだろうか?
「…………」
試しに目を閉じて集中すると、微かだが何かが身体を循環しているのが感じられた。恐らくこれが力の源泉。ただ、あの時のように呪文は何も浮かんでは来ない。
呪文は自分で考えろと言うことか? けれど立派な詠唱だなんて即興で出来ないので、とりあえず言われたまま“イメージ”をすることにする。
――自分の中に宿り巡っている力を、指先から微風として放出するよう変換する。手をかざした先、智秋に向かって、髪を揺らす程度の静かな風が吹く……と。
頭の中で映像化出来たところで目を開けて、すっと手を智秋に向ける。
(吹け)
何も起きなかった時の事を考えると恥ずかしくて声には出せなかったが、代わりに胸中で強く念じる。呼応するようにぴり、と腕から指先に小さな痺れが走って――智秋の、顔のラインに沿って伸ばされている黒髪が風を受けて広がり、風遥の白い髪も揺れた。
「あ………」
それを見た率直な感想としては「まさか本当に出来るだなんて」だった。
「お見事です」
「あ、いえ……」
智秋は手を数回叩きつつ満足げに頷くが、こちらはしどろもどろになってしまう。何せ超常現象をあやつるという架空の人物の特権が、自分にも与えられていることに半ば呆然としてしまっているからだ。
「流石です、風遥神主」
レヴァイセンもそう言ってくれたが、いかんせん棒読みで無表情なのでこちらはさも当然とばかりの印象だった。
「継承も問題ないようですし、そのまま神器の間に赴き、レヴァイセンとの正式な契約を行いましょう」
「神器の間……向こうの社ですか?」
風を吹かせること、つまり魔法が使えたという事実に対し妙な興奮が湧きたつのを抑えつつ問う。
「その通りです。“器”という形のあるものは一切ありませんが、あそこが全ての力に通じる空間となっています。
継承とは、素質のある人間に、その膨大な力を使役するために必要な鍵を渡すようなもの。故に今貴方が体感しているであろう力の流れは、ほんの一部に過ぎないのですよ」
その説明は大いに納得できた。元々神はそこまで信じていないたちだったが、あの場においては本当に神がいるのではないかと思ったほど、不思議にして強大な力を感じたのだ。
「そう言った意味では寧ろ、神主自身が神器と言ってもいいかもしれません」
「なるほど……」
それに、神器と契約した直後は大幣を持っていたはずだが、今は何も目に見える形にはなっていない。なので器、と言う単語を用いてはいるが、智秋が言うように、目に見えない力そのものが本来の“神器”なのだろう。
「契約は、神器を継承した神主と、神主を守るために理の領域からこの世界に派遣されてきた理……“
ちらりとレヴァイセンを見れば、狛犬は無言でひとつ頷く。
「この“契約”はどちらかと言うと理側が重視していることで、段取りは全て理側が行う事になっています。
……それで問題ないですか? レヴァイセン」
「はい、お任せください。
風遥神主、どうぞこちらへ」
「ああ」
今度はレヴァイセンが神器の間へと誘導していくので、彼についていく。
「僕はここで待っていますね」
「はい。行ってきます」
智秋に見送られながら御簾の向こうへと向かう。
本殿と神器の間を繋ぐ廊下は、屋根や塀はあるものの屋外。だというのにやはり今日も落ち葉の一つもなかった。掃除が行き届いているのが主な理由だろうが、塀の形状などで外側からの飛来物の侵入を防いでいる側面もあるかもしれない。
「「…………」」
レヴァイセンがその扉を開いた神器の間そのものも、前来た時と何ら変わりがなかった。閉ざされた空間なのに真昼のような光があり、包みこまれる暖かさがあり、感じられるだけの空気の流れがある。
その、人が住まうには狭く神秘的なその一室に、向かい合わせになって立つ。
「では、始めさせていただきます」
「ああ」
そう言ってレヴァイセンが目を閉じて何かを呟くと、円状の魔法陣が構成され足元が白に輝く。
「――………、………」
そしてレヴァイセンが紡ぐそれは全く聞いたことのない言葉で、風遥は文字に変換することが出来ない。彼らの言語なのだろうか。機械的な響きが続く。
ただ、その言葉に反応するかのように体は硬直し、意識が自然と目の前の彼に向く。
「……!」
直後、自身が纏っていた力に“何か”が混ざってきたのが分かった。途端に感じる、炎の前に立っているかのような光の揺らめきと、熱波。胸を焼くような苦しさに顔を顰めたのは一瞬、血管に入り込むようにして隅々まで広がっていくうちに馴染んでいき、心地の良いあたたかさとなっていった。
(今のは……)
その現象はレヴァイセンの持つ力の一部が流れ込んできたために起きたことなのだと、身体が先に理解していた。
ただ、前にもどこかで、似たような事を体感していたような――……?
「……つつが無く儀式は完了致しました」
と、再びの日本語が耳に入ってきたのと足元の輝きがふっと消えたことで内観が途切れ、再びレヴァイセンに意識が向く。
「風遥神主」
「何だ」
神主がしかと目を向けたのを確認してから狛犬は左膝を地につき、両腕をそれぞれ反対の袖の中にしまいながら、恭しく深く頭を垂れた。
「改めまして……私はこの神守神社へ遣わされた理であり、貴方の陽使となったもの」
これは、いわゆる仕事上のパートナーとの“契約”。
黄金色の髪から覗く犬耳は柴犬を思わせるようにピンと立っており、尾てい骨のあたりから生える尻尾は大きく、見ただけでもふもふしていると分かる。
人間の耳の部分はそのふわふわの髪によって覆われており、跳ねた後ろ髪を簪でまとめ、その先端にはピンポン球程度の赤い宝玉が一つ。
手足は人の形がベースだが獣のように尖りが目立つ。今は袖の中に入っている手の指先には鋭利な長い爪、履物は無い足は身体をしかと支えられるようにと人のそれよりも面積が広い。
鮮やかな和装は独特のデザインで、和風ファンタジーの世界からやってきたと言わんばかりだ。
そうして狛犬を擬人化した存在は、風遥を守るべく降り立った「
「私の名前はレヴァイセン。どうぞ、気兼ねなく私のことをご使用下さい」
堅苦しい挨拶と独特の言い回しに一つ息をつく。それに、使用すると言われても、実際どう“使用”すればいいのかは分からない。何しろこちらもこちらで、神主の事も理の事も、ほとんど知らないからだ。けれど、焦っても仕方が無いので、今は主として堂々と……。
「分かった。
……とりあえず、顔を上げてもらえるか」
空色の瞳が言われたまま見上げてきたところで、こちらも“宣誓”を返す。
「――神森風遥だ。最も、記憶が無いのは変わらずだ。だがそう名乗ると決めた以上、記憶喪失を言い訳にはしたくない。
だから、色々教えて欲しい」
そう告げてこちらも軽く一礼し、相手に合わせて膝を落とす。握手でもしようかと手を差し出せば、理は不思議そうに首をかしげている。
「……この手は?」
今この瞬間も種族の習慣の違いを一つ知ることになったが、これは良好な関係を築いていこうという意図の現れ。だから手を引こうとは思わなかった。
「“握手”だ。先代から教わったり、見たことは無いか?」
仮に知らなかったとしても、この世界に遣わされていると言う立場なのなら、人間の一般的な習慣を知ってもらって損はないだろう。
「………
……ああ、成程」
じっ、と見つめていたレヴァイセンだったが、やがて何か思い出したとばかりに目を何度か瞬かせた。
「はい、承知致しました」
そうして伸ばされた手は、力加減に迷ったのかおずおずとしながら握られた。理の手は人間と同じような肌色をしていながらも不思議な事に冷たくも温かくもなく、自分の体温をそのまま返してきているかのようだ。
「頼んだぞ、レヴァイセン」
その手を力強く握り返し、その感覚を更に探る。骨ばった手は、人のそれより少し細く、硬かった。
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