2日目夜 “父親”と再会する
男性は、風遥と同じような癖のある長めの茶髪を高い位置で一つに結い、白斑眼鏡を掛け、母子手帳に挟まっていたあの写真そのままに微笑んでいる。
……彼こそが、神森風臣。現在行方不明になっている前神主にして、風遥の……
「父、さん……!?」
「久しぶりだね、風遥」
その声を聴いたのは初めてだが、纏う穏やかな雰囲気通りの声だ。その声音に記憶の琴線が揺れる事は相変わらず無いのだが、安心感が広がっていくのは、事前情報と、そこに抱いた印象があったからか。
(本物の父さん、だよな……?)
どくんどくんと心臓が興奮気味に脈打っている。例えばそれがプロジェクター等で投映されているものであれば、姿の見え方も声の聞こえ方にも隔たりが出る訳だが、全くそれを感じない。それこそ本当に、知らずと後ろから室内に入ってきたのかと言われても納得してしまう程には、リアルだった。
「生きて、いた、のか……?」
もしかして風臣は、単にこの空間に避難していただけなのでは? そんな期待すら湧き上がってきたが――風臣は目を閉じ静かに首を横に振ったので、それは直ぐに沈んでいった。
「“私”は風臣の人格や記憶を元に、13年と171日前に構築された……いわゆるコピーなんだ」
そう言ってこちらを見つめる風臣の若竹色の瞳には、目覚めた直後のレヴァイセンのような無感情さは無い。だから、機械めいた言葉が逆に不自然に聞こえてしまう。
「起動の条件は“風遥が神主の継承の儀を終えた日”に設定されていたけれど、風臣の生死については条件に含まれていないから……本当の風臣が生きているかどうかは分からない。ごめんね」
「……そっか」
流石にそう都合の良い話は無かったが、そう正直に言ってくれたのは慰めにもなった。死んだと断言していないところへの微かな希望もあるし、元々ハクトは父親について認識していなかったので、例え亡くなっていたとしてもダメージが小さいというのもある。なので下手にはぐらかされるよりかはよっぽど良い。
「ついでに、構築までの時間が足りなくて不完全なんだ。だから、オリジナルの風臣とは少し異なる挙動をするところについては、勘弁して欲しいかな」
「……不完全でも、父さんみたいなもん、なんだよな?」
なのでそう言いつつも、元々本来の風臣を自分は知らないので気にはならない。
「そうだね。私は神主となった風遥を一人前になるまでサポートするための存在。
風遥の雑談の相手は出来ないけれど、神主の仕事については何でも答えられるし、それにまつわる悩みについての助言は出来るよ」
「分かった。それで、十分だよ」
「ありがとう、風遥」
そもそもここまで精巧なコピーの父親と会話できているという時点でそれまでの常識からは考えられない訳だが、これも神器の力ということか。
ならば、祖父の行動も分かる気がした。普通に考えればもう亡くなっていると考えるのが自然であろう息子の行方不明を、それでもどこかで生きているかもしれないと、同じような事例を探す……その奇跡にかけてみたくなる、気持ちを。
「それにしても、13年か……かつての私と同じように、成人を迎えたから継承してくれたのかな?」
「いや。色々あって、俺は記憶喪失なんだ。だから実は、父さんの事も覚えていないんだ」
この時ばかりは、目の前の風臣がコピーで良かったと思った。本人そのものよりかは、コピーなら相手を失望させることへの罪悪感が少し薄れるからだ。
「そうだったんだね」
現に風臣も悲し気な表情は一切見せず、少し目を丸くしただけだ。
「でも、そこは安心していい」
しかもそれも一瞬で、直ぐに迷いのない笑みを風遥に向けた。
「もし風遥以外の人が神守町の神主になっていたら私は起動しない。
――だから、君は間違いなく風遥だよ。私が保証する」
風臣もレヴァイセン同様、人間には分からない情報で風遥だと断定した。それは、“自分”という存在の輪郭をより鮮明にしてくれた。その上、さも風遥を励まそうとしているというよりかは、自然な流れでそうさらりと言ってくれたことも心強かった。
「……父、さん……」
だから風遥が静かな感動で息を震わせていることにも気づかず、風臣はんー、と口元に手を当てつつ何か考えている様子だった。
「ただ、記憶はまだしも、体の色彩情報が消えているのは不思議だね」
その指摘に、目の前の風臣が『本来の風臣とは違う反応をしている』ということの意味を体感した。
(あ……)
なにせ彼は、今の今まで風遥の肌の色の不自然さに全く触れてこなかった。もしこれが生身の人間の反応だったら、いくら息子とて、否息子だからこそ驚きは隠せないだろうし、真っ先にそれについて食い気味に問われるはずだ。
「璞にそんな芸当が出来るとは思えないんだけど、一体何があったんだい?」
けれどこの風臣はどうだろうか。なんなら人間という存在を客観的に見ているかのようなコメントは、寧ろ理に近い気もする。
「それも分からないんだ。俺も覚えていないし、誰も知らないんだ」
「そっか。なんにせよ、大変なことがあったという事は分かったよ」
「うん……本当に、大変だった」
重たい胸の内をぽつりとこぼすと、風臣は目を伏せてしまった。
「……すまない。私は、その大変さを理解するように設計されていないようだ」
「………そっか」
それは雑談に相当するのか流されてしまい、父親に弱音を吐くことを拒否されたかのよう。仕様とはいえモヤモヤしてしまうが、先程同様、下手に嘘をつかれるよりかは正直に言ってもらった方が諦めもつくか。
……一長一短。ただ、やはり嬉しさの方が勝る。
「ただ、風遥に何が起きたのかの手がかりになるかもしれない助言なら出来る。
まずは、風遥が保持している最古の記憶を再生してみよう」
人差し指をぴっ、と立てた風臣からの提案に、首を傾げる風遥。
「そんなこと、出来るのか?」
「出来るさ、神器の力があればなんだって。
特にそれが自分自身を見るだけであれば、とっても簡単にね」
深く頷いて口角を上げる風臣。対して半信半疑の風遥は眉間に少し皺が寄る。
「………」
「まあ、まずはやってみよう。そこに座ってくれるかな」
そう言って風臣は正座して、手でもその正面に座るように促してくる。
「……分かった」
ここは神器の間。きっと神器がどうにかしてくれるんだろうという事で疑うのは止め、言われたままに正座する。
「目を閉じて、深呼吸をするんだ。心の中で数えながら、5つで吸って、10で吐く」
どうやら風臣が誘導してくれるらしい。その声のままに、1 2 3 4 5……そう心の中で数えつつ息を吸って、10カウントで吐き切る。
「吐く息は出来るだけ細く長くしていって、吐くカウントを増やしていくよ……」
そう言われたので出来るだけ細く息を吐こうとするが、思いのほか吐息が直ぐに出て行ってしまう。なので腹筋のあたりに力を軽く入れて、物理的に抜けていく呼気の量を制限してみる。
「そうだね、最終的には、5で吸って、20とか、30まで出来たら良いかな……」
するとそれで合っているようで、段々と細く長く吐くという感覚が掴めてきた。
「段々呼吸が深くなっていくと、リラックスした状態になる。
そうして呼吸が深まると同時に、自分への内観が進んでいくんだ」
……深い海の底に、意識が沈んでいくような感覚。
「神器はそれを手助けしてくれる。私も昔同じことをしているから、その時の経験も神器は覚えている。だからそれも合わせて君を導いていくよ、最初の記憶に……」
だからだろうか、段々と風臣の声が遠くなっていって――……
大地は赤に包まれ
空は黒と灰色で閉ざされ
頭の中は真っ白
何かが焼ける嫌な臭い
ごうごうと響く嫌な音
身体が燃えているかのような熱さに震え
目や喉を突き刺すような痛みに咳込み
じわりと涙が浮かんで視界が滲んだ先
「 」
誰かが、自分を見下ろしている……
「……っ!!」
そこで、ぱちん、と意識が弾けるように目が開く。背中にブワっと悪寒が走り、汗が噴き出してきた。
今のは、夢で散々見てきた光景に、あまりにも似ている……! それも、夢の時よりもよりリアルで、もっと様々な情報が流れ込んできたのだ。ハクトは今まで一度も火事を実際に体験したことは無い。だから映像だけならまだしも、五感で再現できるはずがない!
(つまり、あれが、俺の最初の記憶……?)
ハクトの記憶は病院でのソレが最初だとばかり思っていた。けれど本当はそうじゃなかった。もっと前の記憶が残っていたのだ、それも、風遥に繋がるような形で!
神守町に戻ってきていた風遥は、何らかの理由で記憶を失った状態で、火災に巻き込まれていたのだ……!
(やっぱり俺は、風遥だったんだ……)
その事実は、自分自身を確信へと至らせる――この“記憶”を、何よりの証拠として……!
「どうかな?」
「……思い、出せた……」
「上手くいったんだね? なら良かった」
だが、記憶の再生は不完全だ。さっき見下ろしていた人物は、自分に向かって何か言っていたし、その後自分をどうしたのだろうか。まだ続きがありそうだったのだが、先に自分が目覚めてしまったような形だ。
なのでもう一度再生できないかと目を瞑ってみるも、真っ暗どころか、急に頭がくらくらして身体が大きく傾いてしまう。
酸欠か? とぼんやり思っていると、肩を掴まれた。
「あ……?」
そこでようやく、自分が倒れそうになったのを風臣が咄嗟に支えてくれたのだと気が付いた。やはり風臣には実体があるようで、風遥の肩をしかと掴む手をまじまじと見つめる……当たり前だが、レヴァイセンとは違う、れっきとした人間の手……
「風遥、無理はしないで。
神器を用いた瞑想は、慣れないうちは消耗も激しい。今日はもう休んだ方がいいよ」
「……分かった」
その手が、ぽんぽん、と労うように肩を叩く。確かにどっと疲れが押し寄せてきたし、風臣の手の観察というよく分からない行動までしてしまっているので、今日はもう止めた方が良さそうだ。
「じゃあ、戻るよ」
風遥は風臣にそう告げて、ふぅ、と一つ息をついてからゆっくりと立ち上がる。問題なく扉を開けることは出来たので、とりあえず部屋には自力で戻れそうだ。
「うん。おやすみ、風遥」
そんな風遥に向かい小さく手を振って、見送りの姿勢を取る風臣。
「……また、会えるよな?」
念のためそう聞いてみると、風臣は柔らかく微笑んで一つ頷いた。
「勿論。風遥が一人前の神主になるまでは、私はいつでもここにいるよ」
「そっか」
「ただ、私はまだ起動したばかりだし、もう少し風遥や、風臣についての理解を深める時間が欲しい。
だから、他の人……智秋さん達や、レヴァイセン達には今は内緒にしておいてね」
唇の前に指を当てて、内緒を意味するお決まりのポーズをする風臣。随分様になっているなと思いつつ、頷く。
「分かった。
……おやすみ、父さん」
風遥は神器の間の扉を閉める。口角が上がっているのを自覚しているので、風臣と同じような微笑みが浮かんでいるのだろう。
そうして自室に戻った風遥は、倒れ込むように眠った。ただその身体的な疲労に対し、心は満足感でいっぱいだった。
厳密には本物ではないとはいえ父親と話せたこと、そして何より――自分は風遥だという実感を得られた、という事が大きいのだろう。
……まだ風遥という名前自体には新鮮さがある。けれど、それが自分の名前だという認識が、ようやくできた気がするのだ。
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