風霜分離、そして
「見えな、かった……」
思ったままの言葉がぽつりと零れる。
「神主はん、一生懸命お友達の相手してはりましたからね。ならわえのこと忘れるのも、仕方ないんですかねえ」
……忘れていたかどうかと言われれば、忘れていた、のだろう。
けれど、何故だろうか? 最初、レヴァイセンの隣にいたのは把握していたし、こんな存在感のある璞の事を忘れるだなんて、あり得ないはずなのに。
そのあり得ない事を引き起こしてしまった結果、この手が掴まれており……救出を阻止されてしまっている。
「あっ……」
そうか。この璞は「主催者」だから、自分に襲ってくる璞とは別……そう認識していたから、見落としてしまっていたのか……?
「風遥……!!」
レヴァイセンが絶望に満ちた表情でこちらを見ているが、それは、きっと、風遥も同じで……。
(どうしたら、いいんだ……?)
ここから、どう立て直したらいいのだろうか……雨粒が風遥の手の甲の上に落ちて跳ねるが、感覚も鈍くなっているのか冷たさを感じない。
『風遥、一度深呼吸してみようか』
そこにするっと入り込んできた風臣の声に誘導されるまま、震えた息で深呼吸。あまりしっかり吸えた気がしないが大丈夫だろうか。
『コクトは油断してるみたいだね。でも、風遥へのダメージも大きいから、特攻というわけにはいかなさそうだ。
……あと少しだけ、頑張れそうかい?』
(多分……)
正直まだ頭がぼんやりしているのだが、倒れるというところまでは行かないので、まだ動けるのだろう。が、
体力はあとどのくらい残っている? 精神の消耗はどのくらいだ? 神器の状態は正常か? ゲームのように、客観的に自分の状況を数値化して欲しい。
「神主はん、大丈夫ですか?」
ともあれコクトが先からニコニコしているだけなのは、「何もしない」という選択をしているからなのか。風遥が動揺している様、ひいてはそこからどう動くのかの観察を楽しんでいる、とでも言えば良いか。
レヴァイセンもどうしたらいいのか分からないのだろう、何か言いたげに唇が動いては、目を伏せたり、歯を食いしばったりと忙しない。
よくよく見てみると拘束の下から粒子状の光が漏れている。どうにかして抜け出そうと抵抗した結果、自分自身が分解されているという訳か。
……理であるレヴァイセンに太刀打ちできない璞を、果たして触れるだけで浄化できるのか……? 疑念が巡って躊躇いを生みそうだ。
『このまま踏み込むか、一旦手を払って距離を置くか、どっちかかな。
……どっちの方が、風遥にとって良い選択に思えるかな?』
(踏み込むか、距離を置くか……)
出来ればこの場で決めてしまいたい。が、いくら油断しているとはいえ踏み込んだら流石に攻撃してくるだろう。主に風遥の精神に。
コクトはそれまでの璞とは比べ物にならない程の強さだ、先の璞ですら侵入を許してしまったのに、防ぐことが出来るのかが懸念事項。
対して距離を置けば、それだけで精神が多少落ち着きを取り戻すといえばそうかもしれない。しかし硬直状態が解かれれば、コクトは動き出すのではないか?
それに、コクトは時に物理法則を無視した動きも出来るのだ、距離を置いたところで即座に追いつかれないか?
『勿論どっちを選択しても、コクトと対峙する事にはなるだろうね。正直、その時間の差も、誤差の範囲かもしれない』
巡る思考への冷静な回答は、受け入れがたい事実を的確に伝えてくる。
(勝てる、のか? 風遥は……)
気のせいか、先よりも声が遠く、どこか他人事のように感じられるのは、現実逃避が始まっているからだろうか。
『璞が行う攻撃は負の感情を湧き上がらせるもの。だから正の感情で迎撃できる。
もしくは、敵の術中にはまらないようフラットな意思を強く保つこと、それが全てだ』
(……正の感情……?)
璞の餌となる記憶は自分の中に相当内包されているわけだが、それに対するポジティブな感想を持てという事か?
――一体、何をどうやって? 押し込めて蓋をしたり、余計なことを考えず流したり、無造作に山積みにして目をそらしたりしながら、騙し騙しに生きてきていたというのに?
「…………」
心に靄が渦巻きだす。敵の術中にはまらないというのはつまり、なだれ込んでくるであろう過去の記憶を無感情に受け止めろという事か? 上澄みを搔き乱されただけで、こんなにも波立っているというのに?
……その奥底では、既にどろどろとした感情が堆積しているというのに?
記憶の濁流と感情のヘドロ、万が一それらが混ざり合おうものなら……
(俺は、多分……)
一瞬考えただけなのに、あまりに鮮明な光景に目が限界まで見開かれる。
「は、あ……!?」
無理だ。無理に決まってる! まどろみの中にいた思考が、パニックを起こす形で覚醒する。
先の璞によってとっ散らかされて整理されていない頭に、さらに強力な璞が侵入して、平静さを保って居られるわけがないじゃないか!
――いや、待て、今、この手は、まだコクトに捕まれている、と言う事は……
この手を介して、コクトが侵入してくる事だってあり得るのでは……?
「~……!!」
手が、否、全身が震えだし、恐怖しかない本能から手を払った。なりふり構わず下がろうとするも、足がもつれて座り込んでしまった。
「あぁ……」
残念そうに払われた手を見つめる様に、この行動は間違っていたのではないかと予感させる。体に力が入れられないが、みっともない姿勢だったとしても少しでも逃げる為に足掻く。
しかしそうやって必死になって下がった距離は、僅か一歩で詰められる。
殺される。精神的に、殺される――……!!
そうしてゆらり、ゆらりと近づいてくる。このシチュエーションは、2度目じゃないか。自分が初めて神守町を訪ね、”歓迎”されたあの日と。
当時の恐怖と絶望の感覚が今この瞬間に重なってしまい、頭が真っ白になってしまう。
「い、嫌だ、来るな……!!」
本心からの拒絶は笑顔で受け流されてしまい、歯がガタガタと音を立てる。
『風遥! 飲み込まれちゃ駄目だ、しっかり』
(無理だ、そんなの無理だ!!)
𠮟咤の声は叩き落とすように拒否する。
「今度こそ、わえが思い出させてあげましょか――」
『風遥!!』
あの時の様にすーっと手が伸ばされるが、助けの声に体は反応しない。
――だって俺はもう、風遥じゃない……
汗で湿った額に触れた冷たい手は、まるで撫でるような優しさで――壊しにかかった。
風霜ヴェシカパイシス なかのと里瀬 @nakano_7butake
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。風霜ヴェシカパイシスの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます