看過理由:困惑

 風遥とミカゲは駅前の定食屋に入って行った。窓際の席に座ったので、窓越しに風遥の隣に控える。勿論光球のままなので、第三者から見られることは無いだろう。

『ついてきたのか?』

 ただやはり神主の感覚は鋭かった、直ぐさまに思念が飛んできた。

(悪ぃ、狩り時の璞の気配があったからよ。会話は記録しねえから)

 普段だったらミカゲが怪しいと言ってしまう所だが、風遥を変に不安にさせたくないという思いが為した機転には、我ながら驚いた。

『……まあ良いが』

 主もそれに納得してくれたので、じっと待つ。 

 会話は記録しないという約束なので、メニューを注文し待っている間の雑談は聞き流す――その言葉の節に引っかかるものが上がってこない限りは。

「そうそう、ハクトにちょっと見せたいものがあるんだ」

「?」

「これなんだけど」

 そしてその瞬間は思いのほか早く訪れた――ミカゲが取り出したスマホを風遥に向けて差し出した瞬間、画面から黒い球体が飛び出してきたのだ。

「……!!」

 風遥もそれに気づいたか目を見開き硬直、緊張状態に入ったのが分かった。

 片手に収まる程の小さなサイズの割には力が強く感じられる……間違いない。これは、ミカゲを宿主とし狩り時まで成長した璞だ。

 ただ、宿主の体以外を媒介としているのは初めて見た。スマホは人体の一部に代替できるほどの機能を持っているということなのか? 情報が足りない。

「ミカゲ……それ、は……?」

 風遥は液晶画面にひっつく璞から目を離せずにいるも、必死に平静を装おうとしている。

「先輩に教えてもらったんだ。バーチャルペットって言うのが近いのかな?」

「ペット……?」

 不可解な解説がミカゲの口から発せられる。璞が愛玩動物であるかのような扱いになっているのがひとつと、璞をまるで譲渡されたかのように話しているのがもうひとつ。

 ……どちらもあり得ない話だ。璞は普通の人間では視認することは出来ない上に、人間の感情を乱すだけの存在にペットとしての価値を見出すだなんて。大体どうやって手懐けるというのだ? 全く情報が足りない。

「真ん丸だからマリモって名付けたんだ、可愛いでしょ?」

「あ、ああ……」

 画面をちらちらと見つつ風遥はゆっくり頷くが、こちらとしては首をひねりたくなる。マリモは水中に生息する、球体の形をした藻の一種だが……黒兎の璞といい、成長した璞には名前が与えられる風習でもあるのだろうか。

「マリモは飼い主のポジティブな感情が餌なんだって。だから最近、良いなって思う事を積極的に探して、マリモに話すようにしてるんだ」

 あまりに奇怪な現象が続くので、その根源はどこだとスマホの画面を注視する。見れば確かにイラストの部屋を背景に、そこに黒い丸がプルプルと……ちょうど、液晶の上の璞と連動するように動いている。

「そしたらさ、前だったら何とも感じなかったことも良いなって思えるようになったんだ」

 この画面を空間として捉えるなら、ここで飼っている、というのも分かるが……いかんせん本当に情報が足りない。このままではフリーズしてしまいそうだ。

 ――なんなんだ、こいつは……。

 寧ろ、こうして混乱させることも璞の能力なのか? 思えば理が直ぐ傍にいるのに全くそれを意に介していないということは、やはり力の現れということか。

「景色が綺麗だなとか、ご飯が美味しいなとか、授業が新鮮で楽しいなとか、そんなささやかな事でも……」

「……そう、なんだな」

 硬くなってしまった笑顔から絞り出される声。そんな主の異常事態に、今すぐ光球状態を解除し浄化の体勢を取るべきだと内部からの注意が入る。

「これも、マリモが教えてくれたことなんだと思う」

(風遥、これはマリモじゃねえ、璞だ)

 ただし人間にとりついている状態なので神主の許可が必要。なのでまずは風遥が璞を本当に捉えているかどうかを確認する。

『……分かってる……』

 肯定。しかしどこか上の空なのは、ミカゲの話がまだ続いているからだろうか。

「だからかな、今、毎日が楽しいんだ」

(風遥、浄化だ! 何でわざわざ璞を自分から取り込んでんのかわかんねーけど、絶対やべーことになるぜ?!)

「…………」

 その声に惑わされぬようにと重ねるように忠告するも、風遥は眉を寄せ口を引き締めてしまい思念にも返事がこない。

 今なら不意打ちで浄化できそうなのに。風遥自身で浄化するのに気が引けるのであれば、せめて許可をもらいたいのだが……。

『……しない』

(!?)

 ところが主はそう拒否してふっと息を吐く。そしてなんと――ミカゲに向かって微笑んだのだ。

「良かったな、ミカゲ」

「うん」

 完全にこの状況を受け入れたのか、友人に優しいまなざしを向けている。

 ――何だって……!?

 しかしこちらとしては到底受け入れられない。神主とあろうものが、人に寄生した状態の璞を見逃すと言うのか!? もしも自分が光球状態で無ければ、思わず風遥に突っかかっていただろう。

(風遥っ!! 良いのかよ!?)

 主の決定は支持するのが原則ではあるが、狩り時の璞が関連してくると話は別だ。こちらとしても納得のいく理由を教えてもらわなければならない。

『後で話す』

 しかし食事が運ばれてきたことで話題そのものが中断。ミカゲがスマホの画面を切った瞬間に――璞の姿も消えてしまった。


 その後ミカゲがスマホをまた風遥に見せる場面があったが璞が現れることは無く、また最後まで許可は降りぬまま、ミカゲは神守町を去っていった。


 電車が完全に見えなくなってから踵を返した風遥の隣で、人間の姿をとったレヴァイセンは溜息をつく。

「なんで見逃したんだよ?」

 特段意識していないのに、唸るような声になってしまった。風遥はまっすぐ前を見据え歩きつつも、どこか遠くを見るようにして眼鏡を押し上げる。

「……初めてだったんだ。

 ミカゲが、あんなに穏やかに笑ってるの」

「え?」

 璞の事を話しながら、笑っていた? 思えばレヴァイセンはスマホと風遥を交互に見ていたので、ミカゲの様子はまるで伺っていなかった。

「あいつ、両親からのプレッシャーが大きくてな。本人はそれを苦にしてないとばかりにいつも笑ってたが、無理してるってのは何となく察してた」

「プレッシャー……」

 思い当たる事がある。理である自分に親はいないが師はおり、陽使になるための指導を受けていた。しかし理なら当然出来る事が何故か出来ず、何度も溜息をつかれていた。

 その度にレヴァイセンは申し訳なさと出来ない自分への疑問でいっぱいになっては、早く陽使として一人立ちしたいと焦っていたのだ。

「それが大学に入って……親から物理的に離れられたからってのもあるんだろうが、楽しそうで、生き生きとしてた」

 口の端に笑みを乗せ、目を少し細め、首を僅かに傾げて語る風遥。この穏やかな表情も、レヴァイセンの前で見せたのは初めてだ。

(あれ……?)

 しかし、かつてどこかで見た事があると既視感を覚える――……そうだ、風臣に似ているのだ。

 レヴァイセンが陽使見習いとして神守町にやってきてから、派手な失敗もささやかな成功もずっと見守ってきてくれていた、先代神主。風遥はその息子なのだから、挙動が似ていてもおかしくは無い。

「マリモはきっともう、ミカゲの家族のようなものだ。

 ……それを、壊したくなかった」

「……風遥……」

 目を伏せる風遥。過去の自分の記憶に主の言葉が重なった事で同調が起きたか、レヴァイセンは思わずポツリとその名を零す。

 特に「家族」という単語がレヴァイセンの気を惹いた。ただ、関連する情報が引っかかりそうで引っかからずにむずむずする。

(思い出せねえ、か)

 ……この感覚は好きではない。全てが明白であるのが理だというのに、自分自身に靄がかかり過ぎている矛盾。その解消法も分からぬまま、ただ「13年間の空白(暫定)による欠落情報リスト」に項目が増えていくのだ。

「それに、ミカゲはこの町の人間じゃない。

 仮にあの璞が問題を引き起こしたなら、住んでる地域の神主や陽使が浄化すればいい。そうだろ?」

 坂の下の交差点で信号待ち。同意を求めるように風遥がこちらを見た。

「それもそうだけどよ……ちっと矛盾してねえか?」

「何がだ」

「成長した璞はミカゲに悪影響しか与えねえし、周りのやつに迷惑もかける。

 被害が出ないうちに浄化するのが、神主の仕事だろ?」

「…………」

 主がふいと前を向いたのは、信号が青になったからか、別の理由か。

「マリモが璞である以上、いつか関係は終わらせなくちゃならねえ。なら早いうちの方が、ミカゲも余計に傷つかずに済んだんじゃねえか?」

 横断歩道を渡って程なくして、風遥は坂の下でピタリと足を止め腕を組む。そしてレヴァイセンを睨んだ。

「……なら、璞がついているのにあんなに穏やかだったのは何故だ?

 あれがあのまま成長したとして、どう周囲に迷惑をかける?」

「それは……わかんねー、けど」

 そう畳かけられて、言葉に詰まる。何せ前例が無いので回答のしようが無いのだ。

「あんたの言い分も分かるが――とにかく、俺には出来なかった、それだけだ」

 そう言い放って、つかつかと歩き出す風遥。

「……分かったよ」

 どうも主は少々不機嫌なようだ。こちらとしても不可解なことだらけで正直疲れたところがあるので、それ以上は何も言わずについていく。


 風遥の行動を阻害したのは、ミカゲへの感情。友人という関係性が、神主としての判断を誤らせた。

 情とは厄介なものだなと思いつつも、それが人間という生物の特徴でもあることも理解している。

 だからこちらもそれを踏まえた上で、対応しなければならなかったわけだが――

『お前は普通の理と違って感受性が高い。それもかなりだ。

 ……神主にとっては、良い理解役として喜ばれるだろうよ』

 不意に聞こえてくる低い声。レヴァイセンの師匠、もとい教育係だった理、アルフィードのものだ。

『だが理からすりゃ決して良い事じゃねえ。だから絶対に気を抜くなよ』

 それは、口酸っぱく言われ続けていた事。

 ……頭では分かっていたけれど行動に移せなかったのは、レヴァイセンも同じだった。

「はあ……」

 溜息をひとつ。果たして、主の制止を無視してでも浄化すべきだったのか。否、浄化しなかったことを指摘しただけでああして不快さをあらわにしていたのだ、強行していたら確実に怒らせる。

 それに、ミカゲとの友情にも悪い変化が起きてしまうかもしれない。仕事とはいえ主を悲しませることには抵抗があった。

『情に流されたら、全部失う事になるぞ。

 陽使の役割だけじゃねえ。オレ達が護ってきた人も、町も、全部だ』

 だから間違っていないと思うのだが、咎められるかのような声に委縮してしまう。しかし、主の意思は尊重されるべきでもあるのは確かで……特に、当該する地域の陽使が浄化に当たるべき、というのも一理ある以上、情に流された、というわけでは無いはず、なのだが……。

『聞いてんのか、レヴァイセン!』

 相反する思考にぐるぐるしているのを、引き戻すかのように飛ぶ叱責。

(聞いてるけどよ……今のは判断が難しすぎるぜ、せんせー……)

 しかしこの声は、今はどちらが正しかったのかまでは教えてくれない。答えの出ない事柄にかき乱されているのを自覚し、髪の毛をくしゃりと握り締める。


 この小さな見逃しは、どんな影響を齎すのだろうか。

 分からない。ただ、せめて風遥に危害が加わらないことを願うだけだ。

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