父と一緒に考える璞の事
独り立ちしてひと月、段々神主の仕事にも慣れてきた。
祓廻りで氏子や町民たちと一通り会話をした後でも、気疲れすることが減ってきた。
毎日のようにやってくる参拝客の名前を、愛想笑いの裏で必死に思い出そうとすることも減ってきた。
香月が定期的に夕飯を作りに来てくれるのも変わらずだ。13年前の事を中心とした踏み込んだ話題はあの日以来ほとんどしていないが、地域の情報を教えてくれるのは助かっている。
魚の種類が豊富なお店、精肉の鮮度が良いお店、美味しいランチが食べられるお店等、香月が教えてくれる情報は風遥に合っていたからだ。
「…………」
そうして今日を終えた風遥は自室で一息つきつつ、ふと文机の方を眺める。その引き出しの中身は風遥にとって不要な物もあるが、かつて父がそこで作業していたのだと思うと、当時のまま残しておきたくて手つかずとなっている。
(父さん……)
……神主の仕事に慣れれば慣れる程減ったのは、風臣との会話。
「雑談は出来ない」と言っていたのは本当にその通りで、特に話したい事があるわけでは無いけれど、何となく話してみたい、という感覚では現れなくなった。
だから、風臣に会う目的で神器の間に行くことはほぼ無くなった。
(行くか)
――けれど、風遥には分かっている。“父”は確かに雑談には応じてくれないが、風遥にとって他の人に話せない事には必ず応じてくれる、と。
「父さん、少し良いか?」
だから今夜は「いる」という確信をもって神器の間の扉を開ければ、
「良いよ、風遥」
月明かりのような優しい光に満たされた部屋で、風臣は微笑んでいるのだ。
風遥は早速父の前に座って、今日の出来事を回想する。
「今日、友達が来てくれたんだ」
「そうなんだ」
これが香月相手ならミカゲの事をもっと深く話したのだが、この風臣はそれを聞くためにいるわけでは無いと分かっている。なので詳細については聞かれたら話す程度にとどめ、早速本題に切りだす。
「……でも、その友達は……スマホのアプリで、璞を育成してた」
「!? 璞を、育成だって……!?」
育成という単語が驚愕の声音で響く。信じられないとばかりに風臣は目を大きく見開き、やや前のめりになる。
「俺も信じられなかった、でも、ARみたいにスマホの画面に璞が飛び出してきてた。
……レヴァイセンもあれを璞だって認識してたから、間違いない」
特徴的だったのは、よく見る璞よりも透過度があったこと。それと、スマホの画面に映っていたベタ塗りの球体の動きに連動するように画面の上で震えたり、跳ねたりしていた事。
ただ幸いか、あの半透明の本体は、ミカゲには見えていなさそうだった。
「……うーん……」
小さく唸りつつ身を引いて、顎に手を当てる風臣。
「普通、璞はネガティブな感情に反応するんだよな? でも友達は、この璞はポジティブな感情が餌なんだって話してた」
ミカゲは璞にマリモと固有の名前を付けて飼っていた。バーチャルペットにハマるような趣味がある事は意外だったが、よりにもよって璞だとは。3D画像であれば良いと何度思った事か。
「だからかな、友達は……今まで見た事ないくらいに、穏やかに笑ってたんだ」
とは言え両親から特別であることを求められ続けるプレッシャーを一切の気兼ねなく話せる存在をマリモに求めているなら、寧ろバーチャルペットは理にかなっている。
加えて餌を与える為にポジティブな面を積極的に探すという行為もまた、ミカゲの精神を癒していったのだろう。
「レヴァイセンは今すぐ浄化しろって言ってきたんだけど、あの笑顔を見たら、そんなこと出来なかった」
ハクトはミカゲの話を聞くことは出来るが、具体的に彼の心を救済する術を持たない以上、神主としての救済はミカゲの心を深く傷つける行為となる。
……出来るはずが、無かった。
「でも、今は璞が大人しいだけで、本当は違っていたのだとしたら……」
しかし冷静になってみると、今はポジティブな気持ちが先行しているから良いものの、今後何らかの理由で餌を与えられなくなってしまったり、あるいはマリモそのものが本性を表してしまったら……等、悪いようにいくらでも考えられてしまったのだ。
「……後々、友達は大変な目に遭うかもしれなくて……」
理の判断は非情だが的確だ。今後璞がどの様に変化するか分からない以上、レヴァイセンの指摘通り、直ぐの浄化の方がミカゲへの影響も最小限で済んだ。
浄化したところであの本体が消えるだけで、スマホの画面上のマリモには恐らく何ら影響は無かっただろう。とすればプラシーボ効果も相まって、ミカゲも特に精神を病むことなく、純粋にマリモとの日々を穏やかに過ごせたかもしれない……。
「だからレヴァイセンの言う通り、あの場で浄化した方が良かったのかな、って……」
そう零すと、意外にも風臣は即座に首を横に振る。
「いや、風遥の判断で良いと思う」
「え?」
「……スマートフォンのアプリに璞が搭載され、画面から飛び出て来るなんて初めて聞いた。どういう理屈か分からないけど、事情はかなり複雑に込み入っていそうだ」
自分の知らない情報が風遥の口から出るとは思わなかったのか、珍しく難しい顔で腕を組んでいる。
「しかも、レヴァイセンが傍にいるのに、何も反応しなかったんだよね?」
「うん」
「普通、璞は理が近くに来たら浄化されまいと逃げるはず。
……なのに構わず居座っていたという事は、その璞には浄化されない自信みたいなのがあったんじゃないかな」
「……!」
確かにあの時スマホの画面上にいたそれは、レヴァイセンの事など全く意に介していない様子だった。
「とすれば、浄化は一筋縄じゃいかない。
不意打ちが失敗したら、お友達も何か察するかもしれない。
何しろ璞は感情に寄生するわけだから、璞側からお友達へ“命の危機”を発信してもおかしくない」
「あ……」
それこそ、スマホの育成画面に何らかの異常を知らせる事も出来たかもしれないのか。
家族のような存在に手を出されたとなればミカゲも笑ってはいられないだろうし、怒るだろう。その瞬間、ハクトは敵に認定されてしまったかもしれない。
「お友達の事は気がかりだけど……今は精神面に異常はきたしていない訳だし、管轄の理に任せた方が良い。もしかしたら、その特殊な璞について知っているかもしれないしね」
「そっか……」
安心させるような微笑みに、自分の選択は間違っていなかったと思えほっとした。
……ただそれでも、レヴァイセンの言う通り、『いつか』が来てしまうのも確かで……友人に璞をインストールさせたサークルの先輩にはいつか一言物申したいと思いつつも、
「なあ、父さん」
「何だい?」
そもそもそれ以前に、自分自身が圧倒的に知識不足であると気づかされたので、その無力さも一緒に、風臣へとぼやく。
「璞って、何なんだろうな」
すると、風臣は笑みを深めて人差し指を立てた。
「良い質問だね。神主としての自覚が芽生えてきてる証拠だ」
「え? い、いや……」
まさか褒められるとは思わず、照れ隠しに眼鏡を押し上げる。
「だから今日は、風遥に大切なことを教えるね」
「……!」
大切なことと言われれば、自然と背筋が伸びた。組んでいた足もきちんと組み直す。
「理は全ての璞を浄化することを使命としている。
――けれど、神主は、璞をむやみやたらに浄化してはいけない」
「え……?」
聞き洩らさないようにと耳を澄ますも、意味の理解が遅れる。どういう事だろうと聞き返そうとしたが、風臣は更に言葉を続ける。
「風遥、世間一般に定義されている“害虫”は好きかい? 例えば」
「いや」
が、早々に不穏な単語が飛び交ったので咄嗟に遮った。具体的なイメージは頭に浮かんだだけで十分で、決して言語化してはいけない。
「まあ、普通はそうだよね。
じゃあ、仮にそれらをまとめて絶滅させられるよって言ったら、どうする?」
「どうって……マズいんじゃないのか?」
害虫という定義はそもそも人間が定めたもので、それを餌としている動植物もいる以上、人間の勝手で絶滅させてしまえば食物連鎖が途絶え、当然他の生物にも多大な影響が出る事だろう。
「そうだね。一時的には嬉しいかもしれないけど、周り回って、もっと困る事になる」
「うん」
「……同じように、璞もこの世界の大きな循環のひとつに組み込まれている。
だから過度に浄化すると、バランスが崩れてしまう」
「そうなんだ……」
「神主は、理と人間と璞、この3つの種族を取り持つ存在。
目指すべきは“共存”だ、って、私もかつてそう教えられてきたんだ」
「共存……」
呟きながら、ふと脳裏に浮かぶのは着物姿の璞。例によってあの独特な甘ったるい香りがそこに無いにもかかわらず思い起こされて、関連する記憶も相まって思わず眉を寄せる。
「コクトと共存だなんて、一体どうやって……」
「そこは正直難しい。でも、あの璞にも、何らかの意図がある事は間違いないんだ」
「…………」
風遥を神主にするために、理と手を組んでハクトを追い掛け回す。
満月の夜に雑談しに来たと思えば、後々住民を操って神社に向かわせる。
……正直これだけでは何一つ分からないが、そもそも璞の事自体、よく分かっていない。
それを自覚したからこそ、風臣も一歩進んだ助言をしてくれたのだ。
「だから風遥――まずは君の言葉で、璞について説明できるようにしよう」
……と。父から明確な課題が与えられたのは、今日が初めてだ。
「人づての知識だけじゃなく、風遥自身の五感を用いて、璞の事を理解する。
……そこに共存のヒントがあるんじゃないかな」
難しそうだが、楽しそうでもあり――風遥は大きく頷く。
「分かった、やってみる。
……ありがとう、父さん」
「どういたしまして。
風遥なりの答えが出たら、聞かせてくれるかな?」
「勿論。真っ先に父さんに話すよ」
そう告げると風臣は僅かに首を傾げつつ、目を細めて微笑んだ。
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