平和に終わるはずだった休日

 狛犬状態のレヴァイセンが空を駆け、その背に風遥は座っている。初めはその高さにそぐわないセーフティーの無さに内心恐怖していたが、今は慣れた。それどころか、空を飛んでいる感覚の楽しさと、信号に一切引っかからない事や車内で誰かと話さなくても良い事への快適性を知ってしまったので、もう元に戻りたくない。

 川を渡り、道路から外れ、山に入り……眼下に一面樹木が広がったところで降下していくレヴァイセン。

『ここだ』

 風遥が下ろされた場所は幅の狭い道路の端、転落防止にしてはやや心許ない柵の手前。周囲を見渡す前に、人型に戻ったレヴァイセンが隣で道路の向かいを指差した。

「あれだ」

「!」

 風遥の目線の少し上、木々の合間の空間の一点から黒い靄が湯煙のように上がっている。

 ただ完全に空に昇っていくという訳でも無く、風の影響も受けていないようなので煙にしては明らかに不自然。しかもその靄の周囲には、たった今出てきたとばかりに璞が数匹まとまっている。

「じゃ、ちょっと閉じてくるぜ」

 そう言って軽やかに跳びあがったレヴァイセンは、慣れた様子で周囲にいた璞を次々と浄化。次に靄に向かい手を翳せば直線状の光が迸り、焼き尽くされたかのように靄が消える。

(光線も出すのか)

 胸中で呟く。爪で引っかいたりするような近距離的な浄化の仕方しか見た事が無かったが、ああやって遠距離的な方法での浄化手段も持ち合わせているようだ。

「……!」

 すると、靄が消えた跡に、地割れのような空間の裂け目が見えて驚く。

 黒くべた塗りされたその後ろからは、風に揺れる枝葉が見え隠れしており、まるで壊れた液晶画面の映像を見ているかのよう。

 歪みはレヴァイセンの背丈の半分ほどの長さで、人が通れそうな幅では無さそうだが、璞には関係なさそうだ。

 そこに手を添え、真剣な表情で少しずつずらしていくレヴァイセン。すると、触れた個所が白く輝き、くっつくようにして裂かれた空間が元に戻っていく。

「よし、終わったぜ」

 そうして5分としないうちに、結界の修復は完了。

 場に調和が戻り、すとん、とレヴァイセンは風遥の前に着地した。

「ああやって修復しているんだな」

「まあな。……実際見てどうだ? 俺の仕事は」

 じっ、と見つめてくるその目から、何か期待を向けられているような気がする。耳と尻尾の様子からしても、さながら褒めてもらうのを待っている犬のような……。

「そうだな……」

 少なからず風遥達人間には出来ないことを、人間の為に人知れず文句も言わず称賛も求めず淡々と行っているのは尊敬する。

「なかなか面白い。真剣なあんたの表情も、悪くないな」

 なので素直な感想を述べると、ぱああ、とレヴァイセンの表情が明るくなった。

「へへっ! ありがとよ!」

 笑顔やそれ以外の動きからも、喜んでいるというのが伝わってくる。

 その様子を見て風遥も小さく微笑む。最初出会った時から比べると、本当に感情が豊かになった。……多分、それはお互いに。

「んじゃ、次の場所に行くぜ! っても近いからよ、これで良いか?」

 その喜びそのままに両手をまっすぐ差し出してきたので、言葉と合わせてその意味するところを察し、風遥の先の微笑みは一瞬で崩れ即座に眉を寄せる。

「……いや、何でそうなる」

「これならいちいち変化しなくても良いからな。

 というか、風遥は何で横抱きを嫌がるんだ?」

 一見すると合理的な理由に添えられる疑問に、腕を組む風遥。とはいえ人間の事情を知らないが故なので、そろそろきちんと伝えておく必要がありそうだ。

「普通、男が男を抱きかかえる事はしない。介助の為だとしても背負う方が適している程にはな。

 その異常な状態を万が一見られたら、恥ずかしいで済まないからだ」

「? なら、俺が女性の姿になっていれば良いのか?」

 なので丁寧に説明するもきょとんと首を傾げられ、風遥は深く溜息。そうか、そういう反応になるのか。

「そうじゃなくてだな……」

 女性ならそれはそれで問題なのだがさて、この分からず屋にどう説明したものか。組んだ腕そのままにレヴァイセンをやや睨むが、

(……どう説明すればいいんだ……?)

 この生理的な嫌悪感を事細かに言葉にしなければならないのは正直気が乗らない。それに、人間の感情の複雑さをレヴァイセンに伝えようとして、さっきみたいに素朴にして説明に難儀する疑問を返されるのではないだろうか。

 結果、その複雑さが更に入り組んでいくということになりかねない……風遥は思考を断つように首を一度だけ横に振る。今はとにかく却下だ。

「無理なものは無理、それだけだ。

 だからさっさと変身しろ、神主命令だ」

 なのでやや身勝手な理由で職権を振るって強制終了。

「はあ……」

 まだ釈然としない様子ではあったが、特にそれ反抗することなくレヴァイセンは狛犬の姿に変身した。

 その背に乗って……ふと、風遥は先程のレヴァイセンのある種不自然な言葉を拾い上げる。

「……というか、今、女性の姿なら良いのかって言ったな?」

『そうだけどよ?』

 わざわざ“俺”と言ってきたのには何か理由があるのだろうか。例えば……

「まるでその言い方だと、性別も変えられると言わんばかりだな」

『出来るぜ?』

「……は?」

 とはいえ流石にそれは冗談のつもりだったのだが、全く間を置かずにさらっと答えられてしまい一瞬硬直した。

『理は性別ごとにデータが存在しているから、俺にも女性形態の機能は備わってるはずなんだ。

 っても、神主の性別と同じ性別の形態を選択する決まりだから、一度も使ったことはねえけどよ』

「何だと……?」

 人間も特別な理由があれば性別の変更は出来るが、不可逆的なものも多い上に、身体的には変化は不完全であるケースも多いだろう。しかし理のそれは恐らく違う。ちょうど狛犬に一瞬で変化できるように、完全な男女の姿を行ったり来たり出来るのではないか?

「……随分自由自在なんだな、あんた達も……」

 璞に対して思っていた感想が、まさか理にも言えるだなんて。異種族の柔軟さには感嘆させられる。

『そうか? 例外的な選択については上に申請しないといけねーから、自由じゃねえぜ?』

「……まあ、それはそうだな」

 そう言う意味では無かったのだが、すれ違うのは致し方ない。ただ、その誤解はもうそのままで良いと思った。例によって説明が長くなるので面倒だったのと、何より前方に黒い歪みが見えてきたから。

 今度は開けた場所に結界の綻びが出現しており、地面に接しているので風遥も直ぐ近くで観察できる。大きさは先程と同じくらいだ。レヴァイセンは降下し、風遥が降りたところで変身を解いた。

「じゃ、早速閉じるからな。ちょっと下がっててくれるか?」

「分かった」

 言われたまま少し下がって、しかしさっきよりかは近くで陽使の姿を捉える。ただこの歪みは近づくのを忌避させる嫌な存在感がある。先は覗いてみたいという好奇心があったが、今となっては積極的にそうしたいとは思えない。引き込まれて戻ってこれなくなりそうだ。

 しかし理はそれを感じていないのか、先ほどのように手慣れた様子で靄を浄化して、真っ黒に塗られた空間に手を添える。

 だが直後、歪みの内側からすっと黒い手が2本伸びてきて、がしりとレヴァイセンの腕を掴んだ。

「!?」

「このっ!!」

 待ち伏せと言わんばかりの奇襲だが、これはよくある事なのか、レヴァイセンは冷静に腕を引いて振り払ってから、爪で切り付ける。

 カウンターを受けた黒い手は大きくうねってから、慌てたように引っ込んでいく。

「逃がすか!」

 レヴァイセンは逃げた先、歪部分に向かって光線を放つ。しかし空間に音ごと吸い込まれるようにして消えた光が、果たしてあの手に届いたのかどうかは分からない。

「……やったのか?」

「分かんねえ……」

 遠目からだが少しだけ覗き込む風遥。ベタ塗りされた黒を貼り付けられているようで、向こうの世界の景色は何一つ見えない。

 ざわざわと風が吹くが、その黒の表面が揺れる事も、形を変える事もない。

「…………」

 レヴァイセンは暫く構えていたが、手が再び出現する気配は無さそうだと判断したようで臨戦態勢を解いた、次の瞬間。

 ちょうどレヴァイセンの死角、足元辺りの歪みからぬるりと手が現れ、今度はレヴァイセンに巻き付いていく!

「なっ……!」

 それは蛇のように素早く締め上げ、レヴァイセンの身動きを封じてしまう。

「ぐっ……なんだよ、これっ……!?」

 それに抵抗しているようだが完全に抑えつけられてしまっているようで、彼から明らかな動揺が見て取れる。

「レヴァイセン!!」

 その非常事態に駆け寄ろうとした風遥だが――独特の芳香が鼻腔を衝いたので、本能的に足がすくんでしまう。

「っ……!」

 視覚がそれを捉える前に、誰の仕業なのか風遥には分かった。分かってしまったのだ。

 急上昇する心拍に身を震わせながら入口へと目をやれば、まさに着物姿の女性が空間を広げながら現れた――しかしそれは決して人間ではなく――

「待ってましたよぉ、狛犬はん。

 ……神主はんと一緒に来てくれるなんて、嬉しいですわあ」

 ――黒兎の璞、コクト。

 毎月のように風遥とレヴァイセンを翻弄する最低最悪の存在が、また今月も来てしまったのだ。

「てんめえ……!!」

「あきまへんよぉ、狛犬はん。待つことは、わえの方がずーっと上手ですさかい。

 ……もう何日も待ってたんです、このくらいの時間“待つ”に入りませんわぁ」

 敵意に満ちた双眸で睨み付けるレヴァイセンを、涼しい顔でいなすコクト。ギリッ、と歯を食いしばるが、その拘束が緩む気配はない。


「さて、神主はん。

 ……わえと、遊んでくれますか?」


 風遥に向かい、にこりと微笑むコクト。

 生ぬるい風になびく黒髪の向こうで、空には暗雲が立ち込めていた。

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